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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2015年6月26日金曜日

まれちゃんの中の怪物

石川県の方言がとても懐かしく、朝ドラ「まれ」を見ています。
今週のまれちゃん、二人の男友達への想いと気遣いが過ぎて、二人の女友達からあらぬ軽蔑を受けてしまいましたね。すっかり自己嫌悪に陥ったまれちゃんに掛ける言葉なんてなかなか見つからないだろうなと思っていますと、丁度横浜に出てきていた文さんが、含蓄のある言葉でまれちゃんを慰めてくれました。

「他人には言う必要は無いが、
人間誰しも、ここに(心の中に)汚いもんがあること、
自分だけは決して忘れてはいかん」

真面目で気遣いもできて何事にも一生懸命なまれちゃんであっても、その心の中に身勝手なもう一人のまれちゃんがいる。でもそれは誰しもが同じで、自分の心の中の汚いものをしっかりと見つめることができれば、好きな自分を見失うことはないよと、そう文さんはまれちゃんに伝えたかったんだろうなと思います。

この文さんの言葉を聞いて、ずいぶん昔に読んだ漫画を思い出しました。
浦沢尚樹さんの極上のスリラー「Monster」です。
”僕の中の怪物が大きくなっていく”
そして怪物は、僕を喰らい、回りにいる人間を喰らい、最後には世界を喰らい尽くして自殺を図ろうとする。
僕は、僕の中に怪物が潜んでいることを知っていた。
でもその怪物に注目するものがいた。
彼らは、僕の中の怪物を欲し、崇め、利用しようとした。
誰も、僕の中の怪物を許してはくれなかった。
天使の様な妹さえ許してはくれなかった。
そして、僕の中の怪物は手が付けられなくなった。
そんな物語であったと思います。

今の世の中、些細なことにでも怪物が現れて取り返しが付かない事件を引き起こします。恐ろしい時代となりましたが、
でも、怪物を暴れさせない方法はあります。
自分自身が、その存在に気付いて、怪物も自分であると受け入れ許して上げること。
また、誰かにその存在を認めて貰い、許してもらうこと。
でもそのためには、
軽薄で乾いた人間関係ではなく、
まれちゃんが育った能登の町にあった様な、
濃密で潤いのある人間関係が必要です。
私たちはまず、濃密で潤いのある人間関係を取り戻さなければいけないのだと思います。

まれちゃんには、それを証明するためにも、幸せになってほしいと願います。

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