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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2022年12月31日土曜日

大晦日の朝の、思わぬ出来事

 深夜...突然の電話のコール音で目を覚まし、相手を確認すると娘でした。

なんや、こんな深夜にといぶかりながら電話を取ると、数名の男女の会話声が聞こえてきます。とっさに娘の名前を呼ぼうとしましたが、会話の様子からまだ仕事中みたいなのです。偶然スマートフォンの電話ボタンに手が触れて、こちらに掛かってしまった様子です。本人も気が付いていない様子でしたので、察して電話を切りました。

メガネを掛けて、時間を確認すると5時でした。明け方です。

娘は現在アニメーション制作会社に勤めていて、ある作品のアニメーション制作のプロジェクトマネージメントに携わっています。追い込みで年末年始は帰れないと連絡はありましたが、頑張っているな、と頭が下がる思いがしました。

夕方電話を入れると、これから帰宅すると話します。今朝は一度家に戻って午後から出勤、それでも大晦日ということで、一応仕事納めとなった様子です。

明日は秩父の方に初詣に出かけると話していました。きっと、大変だけど、しんどいんだろうけど、充実しているんだろうと、自分のことのように誇らしく思います。

一段落付いたら帰省するとも話していたので、来年の娘の帰りを楽しみにしたいと思います。

2022年12月12日月曜日

保育の現場で、今起きていること

イエスはオリーブ山に行かれた。そして、朝早く、イエスはもう一度会堂に入られた。民衆は皆、御許に寄って来た。イエスは座って、彼らに教え始めた。

すると、パリサイ派の律法学者が、姦淫の現場を捕らえたひとりの女を連れて来て、会堂の真中に置いてから、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の現場で捕まえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ち(死刑)にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」彼らはイエスを試してこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。

しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。けれども、彼らが問い続けて止めなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなた方の内で罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。

彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、一人ひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者は無かったのですか。」

彼女は言った。「誰もいません。」

そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」


新約聖書、ヨハネの福音書第8章1-11節の御言葉です。

イエスは、神がモーセに授けたイスラエルの民の律法に反する罪を犯した者を裁けるのは、罪を犯したことのない者だけだと語り、そして、神の子として地上に使わされた私(イエス)、神の権威を授かる私(イエス)は、罪人の罪を許し改心に導くと語ります。殺伐な現代においても、心が平安に満たされる御言葉です。

保育園での保育士による園児虐待の報道が、連日テレビのワイドショーでヒートアップしながら取り上げられる様を見ていて、人が死ぬような事態にならなければよいのにという不安を感じ、この思いを妻に話すと、妻は上の御言葉を沿えて同意を示してくれました。


保育士が行ったとされる園児へのあるまじき行為が一つでも事実だとすれば、これは被害者となった子どもとその保護者にとってとても許せない事件です。報道でこの事件を初めて知った時の私でさえ怒り心頭になったほどです。ですが冷静になってみると、私は行為を行ったとされる保育士に向かって石を投げつけることは出来ません。私は彼らが犯したとされる罪に対する量刑を決めることも、刑を執行することも出来ないからです。彼らの人生を左右する責任を負えないからです。

保育士は、事件が報道されてから数日後に逮捕されました。しかし、保育士は、逮捕されるまでに人生が終わるほどの私刑に晒されたのではと想像します。

テレビの報道では、様々なコメンテーターから、一様に厳しい言葉を投げつけられ、逮捕されてからは顔写真と氏名も公表されました。ネット上では、誹謗中傷の餌食となっているかもしれません。それは本人だけで無く、家族にも累を及ぼしているかもしれません。


この事件が、残念でならないことは、事件が通報されてから、役所の担当部署が三ヶ月も放置していたこと、また園長が何をとち狂ったか隠蔽しようとした事です。

もしも、他の保育士から通報があった時点で、すぐに行為の事実関係を明らかにして、保護者を交えて、行為の事実内容と謝罪、そして行為に至った原因を示して、再びこの様な行為が起きないようにするための話し合いがもたれていれば、責任ある者が罪を犯した保育士に対して罪に相当する罰を与え、また利用者、保育士にとって、園の環境や運営を良いものに改善する契機に出来たのではないかと思います。


保育士は、大変な仕事です。

預かる園児の数によって必要な保育士の人数が決まり、その余裕のない人数で、保育業務にあたっています。保育士は、児童心理に精通しなければならず、園児一人ひとりの安全確保から、児童向けの遊びや童謡にも精通し、創意工夫して、園児の良き遊び相手にもならなければなりません。当然に園内の雑務から事務処理も行わなければならず、保護者の応対から、外部の有識者と呼ばれる方の視察にも対応しなければなりません。

平時ならなんとか回せたとしても、この三年にも及ぶコロナ禍の様な非常時では、途端に保育士の人数不足に陥ります。ですから保育士は、自らや家族にも行動制限を課すなりして、非常に過敏な精神状態を強いられます。つまり常に強いストレスに晒されています。

政治がアフターコロナに舵を切った後も、世の中がアフターコロナを謳歌しようという風潮に変わっても、コロナ禍が全く収まる兆しのない現在、保育の現場は何も変わりません。何も変わらないどころか、もはや無防備にコロナ禍に晒されている状況です。

それは医療の現場でも、介護の現場でも同様であると思います。最近のコロナ罹患による高齢者の死亡が増加に転じていることを見ても、そう言えるのではないかと思います。


今回の事件から、他の園からも同様の問題が指摘され始めています。原因は多様でしょう。しかし、保育士が現在晒されている職場環境の悪化から受けるストレスが、大きなウエイトを占めているのではと思います。

子どもにとって、保育園、こども園、児童園は、現在の社会環境においては必要不可欠なシステムです。そして子どもが安全で安心に過ごせるためには、保育士にとっても安全で安心に働ける職場でなければなりません。そして利用者の理解と互いの尊重も必要です。そして労働に見合う報酬に引き揚げること、それが保育士のプライドを高めるために必要です。

その事を、政治だけで無く、政治を動かす力の源泉である民意としなければいけないと思います。

そうしなければ、近い将来にも児童保育システムが崩壊し、さらに日本人の出生率が激減するという事態が起こりかねないこと、想像に難くないと思います。

 

2022年11月5日土曜日

常福院露台から眺めた深秋の絶景

 義兄の満中陰法要で、瑠璃寺の常福院を訪問しました。法要後に、境内や露台から一望できる深秋の絶景をしばし堪能しました。そのパノラマは当然スマートフォンのカメラの画角に収められるものではありませんが、一部分だけ切り取り持ち帰りました。



2022年10月30日日曜日

アインシュタインの提起「人間を戦争の頸木から解き放つことはできるのか?」

「ひとはなぜ戦争をするのか」というタイトルの講談社学術文庫があります。

この本には、1932年に現在の国際連合(United Nations)の前身組織にあたる国際連盟(League of Nations)からの求めに応じ、アインシュタインが提起した「人間を戦争の頸木から解き放つことはできるのか?」という問題で、A.アインシュタインとS.フロイトという二十世紀の知の巨人が意見交換した書簡の文面が収められています。

当時を振り返ってみましょう。
現在、私たちが世界史で習う「第一次世界大戦」(1914-1918)の終結後、再びこの様な悲惨な大戦争が起こらぬように持続的な平和を模索する為の組織、国際連盟(1920-1946)が創設されました。しかし、大戦争で荒廃したヨーロッパの国々の中からファシズムやナチズムという狂信的なナショナリズムが現れ、ヨーロッパは再び大戦争に向かう暗雲が立ちこめ始めていました。
ドイツ人であるアインシュタインは、ナチスドイツが掲げるユダヤ人排斥(最終目的は絶滅)運動から逃れるために、この年、ドイツを離れました。
そして、国際連盟の求めに応じて、当時すでに心理学者として名声を博していた年長者で同じユダヤ人であるオーストリア人、フロイトを指名して、「人間を戦争の頸木から解き放つことはできるのか?」という命題で往復書簡を交わしました。

時代は繰り返されるのでしょうか。この往復書簡が交わされた時代背景と、現在、私たちが直面している時代の背景は、非常に近いものに感じられます。

ナチスドイツは、隣国オーストリアの併合を目指して、オーストリア国内のドイツ語圏の人々が迫害を受けている等々の様々な秘密工作を行い、1938年3月に遂にオーストリアを併合してしまいます。そして1939年9月にポーランドに軍事侵攻したことが発端となり、第二次世界大戦が始まりました。
2014年のクリミア併合に始まり、今年2月ウクライナ全土を併合しようと侵略戦争を始めたプーチンロシアが重なります。
また、事実上先進国となった中国には、先進国としての責任、世界の平和的安定に貢献するという責任を期待していましたが、指導者である習近平が独裁者に変貌し始め、隣国台湾を武力併合する構えであることを明らかにしました。習近平中国は、日本の沖縄も中国のものであると吹聴し始めています。海洋側への侵攻は、当然、日本全土も視野に入っているでしょう。

では私たち平和を望む者の現代の敵は、ロシアでしょうか。また、中国でしょうか。これには明確に否を唱えます。ロシア人も中国人も、家族、友人、隣人を大切にする私たちと同じ、平和を望む人たちです。
問題なのは、彼らの上に立つ独裁者の指導者です。独裁者は、外だけではなく内にも牙をむきます。刃向かう者、従わない者は非情に責められ、最悪の場合、殺されます。また、メディアをはじめ、学校や教会などを手中に収めて、妄言や偽りを国民にすり込んで洗脳します。つまり鞭と嘘で国民を無理矢理に従わすのです。

だからでしょうか。
アインシュタインとフロイトの深い考えは、心に沁みます。しかし、一度や二度読んだ程度で沁みるほど容易いものではありません。
私など、何十編も読み返していますが、それでも、深い考えの周辺を彷徨いているだけなのかもしれません。
だからでしょうか。
もし、この書簡を読んだことのない人がいるなら、是非手元に求めて、読んで欲しいと思います。そして、ともに考えて欲しいと思います。

返信にあたるフロイトの書簡には多くの意見が述べられています。
その中から二つ、ここに記したいと思います。

「人と人の間の感情と心の絆を創り上げるものは、すべて戦争を拒むはず」

感情の絆、一つは、愛するものへの絆のようなもの
宗教で言われる「汝、隣人を汝の如く愛せよ」
二つ目は、一体感や帰属意識によって生み出されるもの
人と人の間に大きな共通性や類似性があれば、感情レベルでの結びつきも得られる
こうした結びつきこそ、人間の社会を力強く支える。

「優れた指導者を作り上げる努力をこれまで以上に積み重ねていかねばならない」

自分の力で考え、威嚇にも怯えず、真実を求めて格闘する人間。
自立できない人間を、正しく導く人間。
そうした人たちを育成するために、多大な努力を払わなければならない。
政治家が力尽くで国民を支配したり、教会(学校)が国民に自分の力で考えることを禁止したりすれば、優れた指導層が育つ筈がない。

アインシュタインからフロイトへの手紙の一部朗読です。


2022年3月21日月曜日

「防人の詩」に思いを馳せています。

 

ロシア大統領プーチンの軍隊が、ウクライナに武力侵略を始めてから、さだまさしさんの名曲である「防人の詩」が思い出されました。

「防人の詩」は、万葉集に収められた名もなき防人の歌、古代日本が朝鮮半島から侵攻してくるかも知れない唐の軍隊から、日本国土を防衛するための軍事制度防人の兵として対馬や九州北岸に赴任した名もなき民が詠んだ歌、をモチーフに作られた哀歌です。またこの「防人の詩」は、1980年公開の映画「二百三高地」の挿入歌でもあります。

古代日本の防人は、古代朝鮮半島を分割統治していた三国の内の新羅が唐の冊封国となり、唐・新羅連合軍によって残りの高句麗、百済が滅ぼされたことから、今風に言えば百済と同盟国であった古代日本が百済の再興のために海を越えて派兵したものの、白村江の戦いで大敗し、次なる脅威、唐の日本国土への侵攻に備えるために、朝鮮半島に面した沿岸部や島の防御として制度化されたものです。

また二百三高地は、日露戦争の激戦地です。

「防人の詩」は反戦歌として作られた歌と言われますが、防人、防人の詩の浅い知識しか持ち合わせていなかった私は、防衛とロシアというキーワードからこの歌を連想し、国土や国民の命がプーチンのロシア軍隊によって蹂躙されているウクライナの人々の側に立って、聴いていました。


でも、よく歌詞を吟味して聴こうとすればするほど、歌詞の本意が分からなくなりました。それで、改めて防人とはどういうものかを、調べてみました。

古代日本の中央集権政府は、畿から東方の国の民に防人の任務を命じます。民は重い税を課せられた上に、更に、遙か西国に赴任する費用、武具を備える費用、そして、いつ終わるか知れない防人の任務を過ごす日々の費用、等々すべてを自らで賄う事も命じられました。それは民にとって、不条理で理不尽で過酷極まりない重責であったと想像できます。そして防人に赴任した多くの東国の民は、西国の地で、任地との往路で、命を落としたといいます。

これって、訓練と称してロシア各地から集められ、ウクライナの地で実際の戦闘に放り込まれ、兵站の乏しい中で、兄弟国だとして教え込まれたウクライナの兵と殺し合い、ウクライナの民間人、女性や子ども、お年寄りまで殺すことになったロシア軍の新兵の、今の心の内に通じるのではないか、とそう思えてきました。

特に、「防人の詩」の『私は時折、苦しみについて考えます』から始まる二番の歌詞の最後に記された『いまの自分と』が、母から善を望まれた自分が、逆らえぬままに、取り返しのつかない悪に陥っていく様への絶望の嘆きに聞こえてきました。

ロシア国民の中にも、プーチンのプロパガンダや情報統制、さらには暴力による支配にも怯まずに、この戦争はロシアの誤りと強く憤り、悲しみを表明されている人々がいます。命の危険を顧みずプーチンに反対の声を掲げて戦う人々もいます。しかしまた、ロシアの外で、日本で、働き生活をされるロシア人は、肩身の狭い思いをされています。昨日までは親しい隣人であった人々から敬遠され、ヘイトのターゲットにされている人々もいます。

「防人の詩」は、そんな彼等の苦悩や悲しみにも通ずる様にも思います。


少なくとも、戦争に直接的に関与していない私たちは、この戦争で苦しむすべての人々の立場や状況を理解して、寄り添い、十分な支援が出来る様に行動しなければならないと思います。

万一、私たち自身が、サディストの独裁者に支配されたり、魅入られたり、標的にされたら、必ず、今、この戦争で苦しむすべての人々と同じ状況になることは想像に難くないことを理解しなければなりません。

この戦争に終わりはありません。戦闘はいつか終わっても、すべての人々の心が癒え、また破壊された町が復興するためには、とてつもなく長く厳しい時間が必要となるでしょう。その長く厳しい時間を、私たちすべてが、寄り添い続ける覚悟こそ、サディストの独裁者に試されているのかもしれません。

2022年3月3日木曜日

先月21日、アメリカで開催された国連の緊急会合。ケニアのキマニ国連大使のスピーチ

 「ウクライナ危機でアフリカが見せた“怒り”のスピーチ 世界中で大きな反響(2022年3月3日)」((https://www.youtube.com/watch?v=_GmExlbsyOw 参照 2022年3月3日))


ケニア共和国・キマニ国連大使:

This situation echoes our history.Kenya、 almost every African country was birthed by the ending of empire.Our borders were not of our own drawings.They’re drawn in the distant colonial metropoles of London、 Paris、 and Lisbon、with no regard for the ancient nations that they cleaved apart.

この状況は、私たちの歴史と重なります。ケニア、そして殆どのアフリカの国々は、帝国の終焉によって誕生しました。私たちの国境は、私たち自身で引いたものではありません。ロンドン、パリ、リズボンといった遠い植民地の本国で引かれたものです。いにしえの国々の事など何も考慮せず、彼らは引き裂いたのです。


Today、 across the border of every single African country、 live our countrymen with whom we share deep historical、 cultural、 and linguistic bonds. At independence had we chosen to pursue states on the basis of ethnic、 racial、 or religious homogeneity、we would still be waging bloody wars these many decades later.

現在、アフリカの全ての国の国境線をまたいで、歴史的、文化的、言語的に深い絆を共有する同胞たちがいます。独立する際に、もし私たちが民族、人種、宗教の同質性に基づいて、建国することを選択していたのであれば、この先何十年後も血生臭い戦争を繰り広げていたことでしょう。


Instead、 we agreed that we would settle for the borders that we inherited、 but we would still pursue continental political、economic、 and legal integration. Rather than form nations that looked ever backwards into history with a dangerous nostalgia、 we chose to look forward to a greatness none of our many nations and peoples had ever known.We chose to follow the rules of the Organisation of African Unity and the United Nations charter、 not because our borders satisfied us、 but because we wanted something greater、 forged in peace.

しかし、私たちはその道を選びませんでした。私たちは既に受け継いでしまった国境を受け入れたのです。それでもなお、アフリカ大陸での政治的、経済的、法的な統合を目指すことにしたのです。危険なノスタルジアで歴史に囚われてしったような国を作るのではなく、未だ多くの国家や民族、誰もが知らないより偉大な未来に期待することにしたのです。私たちは、アフリカ統一機構と国連憲章のルールに従うことを選びました。それは、国境に満足しているからでなく、平和のうちに築かれる偉大な何かを求めたからです。


We believe that all states formed from empires that have collapsed or retreated have many peoples in them yearning for integration with peoples in neighboring states.This is normal and understandable.After all、 who does not want to be joined to their brethren and to make common purpose with them?However、 Kenya rejects such a yearning from being pursued byforce.We must complete our recovery from the embers of dead empires in a way that does not plunge us back into new forms of domination and oppression.

帝国が崩壊、あるいは撤退してできた国家には、隣国との統合を望む多くの人々がいることを知っています。それは普通な事で理解できます。かつての兄弟たちと一緒になり彼らと共通の目的を持ちたいと思わない人など、いるものでしょうか?しかし、ケニアはそうした憧れを、力で追求することを拒否します。私たちは、新たな支配や抑圧に再び陥らない方法で、滅びた帝国の残り火から、自分たちの国を甦らせないといけないのです。


We rejected irredentism and expansionism on any basis、 including racial、 ethnic、 religious、 or cultural factors.We -- We reject it again today.Kenya registers its strong concern and opposition to the recognition of Donetsk and Luhansk as independent states.We further strongly condemn the trend in the last few decades of powerful states、 including members of this Security Council、 breaching international law with little regard.

私たちは、人種、民族、宗教、文化など、いかなる理由であれ、民族統一主義や拡張主義を拒むのです。我々は......今日、再びそれを拒否したいと思います。ケニアは、ドネツクとルガンスクの独立国家としての承認に重大な懸念と反対を表明します。さらに我々は、この安保理のメンバーを含む強大な国家が、国際法を軽視するここ数十年の傾向を強く非難します。


Multilateralism lies on its deathbed tonight.It has been assaulted today as it as it has been by other powerful states in the recent past.We call on all members to rally behind the Secretary-General in asking him to rally us all to the standard that defends multilateralism.We also call on him to bring his good offices to bear to help the concerned parties resolve this situation by peaceful means.

多国間主義は今夜、死の淵にあります。過去に他の強国から受けたのと同様に、今日も襲われているのです。多国間主義を守る規範のもとに再び結集させるよう求めるにあたり、私たちはすべての加盟国が事務総長の後ろ盾となるべきです。また、関係当事者が平和的手段で問題解決に取り組むように求めるべきです。


Let me conclude、 Mr. President、 by reaffirming Kenya’s respect for the territorial integrity of Ukraine within its internationally recognized borders.Thank you.

最後となりますが、ウクライナの国際的に認められた国境と領土的一体性が尊重されることを求めます。

((https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000246701.html 参照 2022年3月3日))


2022年2月27日日曜日

夜と霧の恐怖支配に抗う

 ユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクルが、ナチス強制収容所から生還した後に、その体験を綴った著書「ドイツ語タイトルの日本語訳は『それでも人生に然りという:ある心理学者、強制収容所を体験する』1946年出版」の邦題が『夜と霧』です。

1956年にドクター・フランクルの友人であったドクター霜山徳爾が、この邦題で邦訳本を刊行した時、その本文の前説の中で、ヒトラー率いるナチスがホロコーストでヨーロッパを恐怖に陥れる前夜にドイツ国民に行ったおぞましい「夜と霧」作戦の様子を記していました。

ヒトラーがナチスに命じた「夜と霧」作戦とは、ナチスへの反抗者、抵抗者、政敵、そしてナチスに批判的な市井の人々、ナチスが不適合者の烙印を押した性的マイノリティー、障害者までをも、誰の目にも映らないようにしてさらい、殺害し、行方不明者に仕立て上げる事でした。そして、きっとナチスの所業に批判的であった大多数の人々は、その得体の知れぬ恐怖で沈黙したのだと思います。それがヒトラーの真の狙いであったのだと思います。

しかし、ロシア連邦の独裁者となったウラジミール・プーチンは、ウクライナ侵略に反対の声を上げる多くのロシアの人々を、世界の人々の目の前で弾圧するという暴挙まで晒しています。

ヒトラー以上の狂気を覚えます。

第二次世界大戦以後、民主政治の団結のもと、繁栄を享受してきた先進国は、1989年、或いは2001年を曲がり角として、そのどの国も全てが、おごりにより、経済的な停滞や衰退、また民主政治の弱体化に直面しています。

軍事と資源の保有大国であるロシア、そして驚異的な経済的発展を遂げた軍事大国である中国は、今、弱体化に直面する民主国家が築いてきた国際秩序を破壊し、ロシア、或いは中国を覇権者とする秩序を国際社会に広げようとしています。

しかし、それを真に求めているのは、ほんの一握りの、ほんの一握りの独裁者だけです。ロシアの大多数の市井の人々も、中国の大多数の市井の人々も、100年前、50年前の無垢で無知な状態に置かれた人々ではありません。他国の人々も同じ人間、血の通った人間、共に歩むべき人間であることを知っている人々です。

本当の殺戮者は、サディストだけです。サディストでないものが殺戮に加担すれば、自らを業火に焼べることになります。兵士たちは、その事を知るべきです。自らに問うべきです。

そして、私たちは、私は、

暴力に屈しない、絶対に屈しない

ウクライナで苦しむ人々と、ロシアで苦しむ人々と、共に生きる

そして、命を賭さなければならない時が来れば、命を賭す

このことを決意しなければなりません。


2022年2月26日土曜日

ぼーさんのお父さんが亡くなりました。

 一報を受けたのは昨日午前で、同じく大変お世話になった方の告別式に向かう準備の最中でありましたので、驚きで言葉を失ってしまいました。

そして今昼に、ぼーさん宅に弔問しました。

白布団に横たわるおっちゃんの枕元に静座して顔を見つめた時、感謝の気持ちが湧いてきました。その気持ちをそのままぼーさんに伝えました。

おっちゃんは・・・聴力がすっかり衰えていたけれど、できることはできる限りご自分で行い、高齢であるがため、きっと痛いところ辛いところは一杯あったはずなのに、そんな素振りは一切見せず、そして、少し食欲が落ち体調が悪いとなって入院したところ、五日目で亡くなってしまった・・・とぼーさんが話してくれました。

おっちゃんは、一本松連中の父親、最後のひとりでした。そんなこんなが、感謝の気持ちに、ぼーさんと同じ気持ちになったんだと思います。


2022年2月24日木曜日

永遠の平和

 昭和14年(1939年)9月1日(金)、ナチスドイツ率いるヒトラーは、自作自演によるポーランド正規軍のドイツ領内への攻撃という捏造、そしてポーランド国内でのドイツ人迫害という虚偽、を理由にポーランドへの侵攻を自らの軍隊に命令した。これが第二次世界大戦の口火となりました。

そして令和4年(2022年)2月24日(木)、悪夢は繰り返されるのでしょうか?

ロシア連邦のプーチン大統領が、ウクライナ国内のロシア人が実行支配する東部地域の独立を強行し、かつ、東部地域へのウクライナによる攻撃、迫害を理由に、ウクライナへの侵攻を自らの軍に命令しました。

ウクライナの市井の人々も、またロシアの市井の人々も、慎ましくとも、家族と平和な日常が過ごせること、それがいつまでも続くこと、を一番に願っていると思います。

市井の人々の永遠の平和という願いは、いつも独裁者の欺瞞によって打ち砕かれてしまいます。

戦禍があらたな100年の憎悪を生み出さないこと、また未曾有の戦禍へと拡大しないこと、切に願います。