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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2019年4月9日火曜日

憧れる人

日曜日、仕事帰りに服も着替えず花見に参加してくれたぼーさんが、こんな話をしてくれました。新入社員研修で、新入社員に何のために仕事をするの?と問い掛けたところ、一様に「金のため(お金を稼ぐため)」、「生きるため(生活するため、あるいは自分で生きていくため)」と答が返ってきて、「う-ん」という気持ちになったという話です。
その話で、聞いた連中は一様に「それは当たり前のことやけど、な-」とため息が漏れました。

尋ねたぼーさんは、問い掛けに対して期待する正解の答えというのは無かったはずです。
でも何気ない問い掛け(ではなかったかもしれませんが)にも、一生懸命に、個性を出して欲しかった、気概を見せて欲しかった、人となりを見せて欲しかった、のだと思います。

もうずいぶん前からですね、若者が本音で答えることがカッコいいとなったのは。私の勝手な想像ですが、これは現在のテンポの速い攻撃的なお笑い文化の影響ではないか、と思います。会話の途中に相手から水を向けられると、間髪入れずに相手が期待するおもろい答えを返す。そうでなければ空気の読めん(KY)奴、おもろない奴となる訳です。そして若者が本音といっているのは、昨今の意味での忖度といえるのではないか、と思います。
そして、考えて、考えながら、時間が掛かっても話す(自分の心に問いながら話す、これが本来の本音だと思います)事は、恥ずかしいこと、と思っている様に思います。

先ほど忖度という言葉を使いましたが、忖度の本来の意味は「相手をおもんばかる」、相手の立場に立って考えるという意味です。しかし、昨今「目上の者に気に入られる行動、言動をする」という悪い意味が加わりました。

人垂らし、という言葉があります。だれに対してもいい顔をするとか、欺すという悪い意味もありますが、私は「人の内に飛び込める」という良い意味で大変好きな言葉です。
歴史上の人垂らしと呼ばれる人物は豊臣秀吉や坂本竜馬です。
「人の内に飛び込める」人というのは「心の内を相手に伝えられる」人のことだと思います。

60年近く生きてきて、憧れる人というのは
人の心に寄り添え、かつ、自分の心の内を相手に伝えられる人です。若者には、恥ずかしがらず、臆せずに、そういう者になって欲しいと思います。

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