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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2019年8月24日土曜日

秋季地区大会真っ盛り

大いに盛り上がった101回目の夏の甲子園

明石商業、最高に素晴らしい戦いぶりでした。
そして履正社の17番二年生岩崎投手、しっかりとその名、刻みました。

が終わってしまった、と祭の後の寂しさみたいなものを感じていました。忘れてました、盆が過ぎれば、秋季地区大会が始まることを・・・

兵庫県高校野球連盟のホームページから秋季地区大会の組み合わせ表をダウンロードし開いてみると
播淡地区は今日と明日が4ブロックの1位決定戦です。

播淡地区Aブロック
明石北(明石市)2 vs. 西脇工(西脇市)4 8月24日(土)10時 淡路佐野球場

播淡地区Bブロック
津名(淡路市)1 vs. 北条(加西市)2 8月24日(土)13時 淡路佐野球場

播淡地区Cブロック
淡路三原(南あわじ市)5 vs. 松陽(高砂市)1 8月25日(土)10時 淡路佐野球場

播淡地区Dブロック
加古川南(加古川市)3 vs. 小野工(小野市)2 8月25日(土)13時 淡路佐野球場

上記8チームは県大会進出です。

敗者復活戦で各ブロック第3代表を目指すのは
播淡地区敗者復活戦①
(東播磨(加古川市)vs.加古川東(加古川市))
vs.(社(加東市)vs.三木北(三木市)) 8月27日(火)10時 淡路佐野球場

播淡地区敗者復活戦②
(明石高専(明石市)2 vs.東播工(加古川市)11 )
vs.(明石(明石市)9 vs.小野(小野市)1 ) 8月27日(火)13時 高砂球場

播淡地区敗者復活戦③
(加古川西(加古川市)vs.県農業(加古川市))
vs.(高砂南(高砂市)vs.洲本(洲本市)) 8月27日(火)10時 高砂球場

播淡地区敗者復活戦④
((三木(三木市)10 vs.明石清水(明石市)0)vs.西脇(西脇市))
vs.((三木東(三木市)0 vs.加古川北(加古川市)4 )vs.淡路(淡路市))
8月27日(火)13時 淡路佐野球場

松陽高校、そして高砂南 応援しています。

9月7日(土)おはなし会です。

担当日の四週間前に、当日お話しする(予定の)本を連絡しなければならないところ、忘れていました。気づくと後二週間になっていて、急ぎ図書館に連絡を入れました。

9月7日(土)は、
ひと夏を過ごして、またすこし成長した子供達に送りたい、読んであげたい次の2冊を選びました。

①たいせつなこと
 マーガレット・ワイズ・ブラウン 作
 レナード・ワイズガード 絵
 内田也哉子 訳
②ムーミンのふしぎ
 トーベ・ヤンソン
その他、1、2冊を準備

加西市立図書館のおはなし会に参加する子供達は、下は2、3歳から上は小学生1,2年生です。2冊とも、言葉が若干多い絵本ですが、絵本の力を信じて、音楽や声色を使いながら、少しでも楽しいおはなし会にできればと思います。また一緒に聞いて下さる親御さんたちにも楽しんで頂ければと思っています。
おはなし会は、毎週土曜日二時から開催されています。素敵な読み手に出会いに、素敵な絵本と出会いに、是非お越し頂ければと思います。

この夏の記憶 その1 猿が出た

今年は梅雨入りが例年にないほどに遅かったですね。気象庁の発表では、近畿地方の梅雨入りは例年より19日遅い6月26日(水)ごろと発表されました。(梅雨明けも例年より3日遅い7月24日(水)ごろと発表されました。)

その梅雨の最中の出来事でした。
我が町北浜町で、何度も猿の目撃報告と注意を促す防災放送が流れました。
そして、あれは7月13日(土)の夕方の事でした。ちょうど小雨降る裏庭の風景を眺めていた家族の目に、裏庭の向こうの西浜川のフェンスの上を器用に伝い歩きしながら北へと進む猿の姿が目に飛び込んできました。家族の「猿が出た」という高揚した叫び声が二階にいた私の耳に届きました。その時、猿を目撃したのは一階にいた家族とウルちゃんでした。ウルちゃんもテレビ台の上に乗って窓に手をかけ立ち見で外を凝視していました。

一本松連中にLINEで一報を書き込むと、すぐにぼーさんから「家の裏の畑の野菜がやられた様子」、またカズヤから「牛谷も出た」と追記の書き込みがありました。
でも私自身、まだ猿は見ておらず、取り残された様な気分でした。

そして翌日、庭で草引きをしていると、また猿が出たとの町内放送があり、ふと見ると同じように掃除をしていたのであろうと見える同じ隣保の一本松連中たかちゅんが川向こうで小学校の方に歩きながら、何やらニコニコしています。見ると小学校の方から市民の通報を受けてパトロールをしていた警官がこちらに向かっていました。その後で、高砂市のの危機管理部の職員もやって来ました。近所のFおっちゃんも自転車に乗って来ました。猿の出没騒動で、不謹慎かもしれませんが、私は野生猿と遭遇するかもしれないという、何というか心がざわめく気持ちになっていました。

たかちゅんと二人で、危機管理部の職員に話を聞くと
ひとつきほど前に牛谷に大人の猿が一頭出没するようになり、しばらくして北脇、西浜を飛び越えて的形町にも出没するようになり、遂に北脇、西浜、そして大塩町に現れたという話でした。
また、猿の捕獲罠ですが、兵庫県には二台しかなく、その罠は先に出没した牛谷と的形に仕掛けているため、北浜町では人間がパトロールするしか今のところ術がないとのことでした。
また、この猿は八家にある森に生息している群れから離れた猿ではないか、ということでした。
Fさんの話では小猿を見たという話もあって、いま追っている離れ猿とは別に親子猿がいるかもしれないという話も出ました。
また猿は、放っておくとどんどん大胆な行動に出ているようで、大塩町の方では民家の軒を強く揺らす悪さをしていたという話も聞きました。

たかちゅんは、私の家の物干し竿を指さして、
「猿がまたフェンスに現れたら、お前がその物干し竿で川に突き落とせばええやんか」と笑いながら指図をします。
「そんなことできるわけないやろ」と言い返すと
「そしたら連中に応援頼めばいいやん」
「そんなんアテにならんやろ、離れてビールでも飲みながらはやしたてるんがオチやん」
と、まあしょうも話を一時してからお開きしました。

その翌日の事です。早朝、庭で水まきをしていると、隣家との境目のブロック塀を伝って猿が目の前に現れました。顔の真っ赤な、立派な野生のニホンザルでした。遂に猿とご対面を果たしたことで、思わず笑ってしまいました。そして猿に向けて放水すると、おずおずと後ろ向きに退場しました。後を追うと、もう姿はありませんでした。

それから、今日まで我が町で猿が再び出没したという話は聞きません。
あの猿はどこかに行ってしまったのか、仲間たちの元に戻っていたらな良いなあと思います。

2019年8月23日金曜日

映画「ひろしま」を観て

8月16日の深夜零時に放送された映画「ひろしま」(1953年)、観られましたか?
私は観ました。ですが、家族には録画した映画の鑑賞を薦めましたが、重いと拒絶されてしまいました。

私は、以前のブログでも書きましたが、長田新さんが1951年に編纂された「原爆の子 広島の少年少女の訴え」を今年読み、その関連として映画「ひろしま」を知りました。でも同時に、まだ連合国軍(ほぼアメリカ軍)の占領下にあり、朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発したことで、連合国軍の主導のもと施行された新憲法で第9条が謳われながら、再び戦争に加わる事になった当時の日本では、反原爆、反戦、そして反米の訴えが汲み取れるこの映画「ひろしま」は公に上映することができず、それは今日に至っても続いていることを知りました。ですから、テレビで放送されることを知った時は驚きがありました。

映画「ひろしま」は、文集「原爆の子 広島の少年少女の訴え」を下敷きとして、原爆を経験した広島の市民8万8千人がエキストラとして参加した、原爆罹災者による再現ドラマと言えるかも知れません。健康な男子は戦争に兵隊として取られ、銃後の、女、子ども、お年寄りが中心の日常生活の頭上に突然、太陽の様な閃光を伴って炸裂した原子爆弾は、一瞬にして、半径1㎞の範囲を焦土にし、半径4㎞の範囲を爆風と放射能で破壊しました。それが真に一瞬の出来事であったか、映画は閃光の後、破壊された家並みと下敷きになった人々の姿で物語っていました。その破壊された、なぎ倒された建物から次々に火の手が上がり、それはすぐに猛火となって広島の市街地を焼き尽くし始めます。多くの人々が、瓦礫の下に埋もれたまま焼け死にました。瓦礫に埋もれなかった人々も、重度な裂傷や火傷を負った人々は、苦しみの末に亡くなりました。歩いて逃げられる人々も火の海に阻まれて逃げ道を失い次々に亡くなりました。そして、避難所に辿り着いたとしても、原爆の放射能に冒された人々は、原爆症によって次々に亡くなりなりました。そして焼き尽くされた街に残されたのは、家族を失った人々、親を失った子供達、そして原爆症に怯える人々でした。そんな映画で描かれた悲惨な光景は、「原爆の子」に掲載された罹災者である子供達の記憶を再現したものでした。原爆投下時、下は4,5歳から上は中学生までの子供達が実際に体験した光景でした。

この映画「ひろしま」には、現在の私たちも直面する普遍的な二つの問題への問い掛けがありました。一つは、知ろうとしない事(無知)の罪悪です。

それは冒頭シーン、原爆投下から7年後の、高校の一クラスでの出来事です。
ラジオから流れる「0の暁」の朗読を視聴中にひとりの女学生、大場さんが鼻血を流し倒れます。入院して検査を受けると白血病でした。クラス担任は終戦後に広島に赴任してきた人で、誠実な人柄でしたが、これまで原爆のことに関心を持つことはありませんでした。しかし、この一件が、先生を原爆の罹災者である人々、特に子供達が抱える問題に目を向けさせることになります。
先生は、クラスの生徒に問い掛けます。

原爆の罹災者は手を上げて下さい、するとクラスの約三分の一が手を上げました。
これには意味があります。「原爆の子」の後書きに書いてありますが、広島市は戦前40万人を越える人口がありました。しかし、終戦時には9万人になっていました。原爆の罹災によって二十数万の人々が亡くなり、また他所へ転出する人も多くいたからです。しかし、広島市の復興事業が興るとともに他所から転入する人が増えて、6年後には戦前の人口ほどに戻ります。広島市は、今や三分の二以上の市民が原爆の惨劇を知らない人たちとなっていました。

一人の罹災を経験した女生徒に体の不調がないかとたずねると、その生徒は体の慢性的なだるさを口にします。それを聞いていた男子生徒から揶揄する言葉が飛んでクラス中で笑いが漏れます。女生徒はうつむいて黙り込みます。
これもまた「原爆の子」に書かれていました。ケロイドが残る人たち、放射能に冒されて慢性的な疲労に苦しむ人たちは、原爆の惨劇を知らない人たちから、原爆罹災に託けて怠けている、お金を無心していると非難され、まるで原爆罹災によって苦しむことが犯罪の様におもわれて二重の苦しみを負っていました。

罹災を経験した男子生徒が立ち上がり、クラスの皆に訴えます。
僕たちは、原爆の後遺症によっていつ命が奪われるか、ずっと怯え続けながら暮らしている。
原爆症は最新の医療によって治せるのかも知れないが、それは一握りの人たちのものであって、僕たちには与えられない。だから原爆罹災者の中には、ケロイドを見世物にして生きて行かざるを得ない人がいる。原爆乙女と公然にして支援を訴えざるを得ない人がいる。浮浪者となって旅人の情けにすがらざるを得ない人たちがいる。しかし多くの罹災者は、ケロイドを隠し、原爆罹災者であることを隠し、苦しみながらひっそりと暮らしている。
広島市は今、原爆が落とされた街として平和を世界に訴えているけれど、僕は世界の人たちに訴える前に、日本の人たちに、広島市の人たちに、このクラスの仲間たちに、先生に、原爆が招く惨劇と原爆によって苦しむ人々のことを知って欲しいし、考えて欲しい。

最後に先生は、無知であったこと、それが生徒を苦しめていたことを、生徒全員に謝罪します。

二つ目の普遍的な問題は、不正に目をつぶり、あるい不正と知りながら加担する事の罪悪です。

クラスの仲間であった遠藤君の話です。遠藤君は、広島に原爆が落ちた時、学童疎開中でしたが、家族は原爆によって全員死亡し、敗戦後は孤児として惨めな暮らしを送りました。学校も流川でボーイをしながら通っていました。しかし、学校も辞め悪い仲間とつるむようになりました。しかし、更生の機会を得て、小さな町工場でようやく汗水流しながら働くようになりますが、朝鮮戦争が始まり、工場で鉄砲の弾を作るようになって、それが嫌で工場を辞めました。

戦争によって、原爆によって、優しい家族をいちどに失い、一転して苦境の道を歩まねばならなくなった遠藤君にとって、戦争や原爆は親の敵、家族の敵で、決して肯定することも加担することもできません。子どもであるがゆえに、純粋ゆえに、信条と信条と異なる行動を取るという不条理に堪える事ができません。

朝鮮戦争は、日本の敗戦復興の起爆剤となりました。もしも朝鮮戦争が勃発しなければ、日本の高度成長は許されなかったのではないか、と想像します。また、当時の日本は、占領軍(アメリカ軍)に従うしか選択はなかったとも思います。反抗すれば罪人となって刑務所に送り込まれたでしょうし、従うことが日本のメリットであると誰もが認識していたとも思います。それが決して正しい選択ではなかったとしてもです。
でも正しいこと正しくないことを学校で学んでいた子供達にとっては、筆舌に尽くし難い矛盾であったのではないかと思います。

以上で述べた普遍的な問題は、現在の日本社会においても、また国際社会においても数多くあります。
しかも、優勢な勢力の意見や意思が、異なる意見や意思を、尊重することなく、攻撃し、またデモクラシーの砦であるはずのジャーナリズムやマスコミュニケーションまでが、優勢な勢力に靡いて、異なる意見や意思の抹殺に手を貸す始末です。
普遍的な問題とはデモクラシーの存立の問題だと思います。

小さな意見、異なる意見、見ざる言わず聞かざるの問題に対する意見に、国民の誰もが真摯に耳を傾け、批判や攻撃ではなく、良識と尊重を交えながら互いに議論し、後世に恥じない選択をしながら前に進む事が、デモクラシーの理念であると思いますし、民主主義国家、デモクラシー国家を名乗る限り、それを求め続けなければいけないのだと思います。

無知となり、不正に目をつぶる、不正に加担することはデモクラシーの破壊行為であり、それは人権や自由を自ら放棄する行為なのだと思います。
その先にあるのは、独裁であり、戦争であり、死です。

追伸.
この映画で取り上げられた

0 (ゼロ) の暁 : 原子爆彈の發明・製造・決戰の記録
W.L.ローレンス著 ; 崎川範行訳
(創元文庫, D-17)
創元社, 1951.12

僕らはごめんだ : 東西ドイツの青年からの手紙
篠原正瑛編
學生社, 1961.6 c1956

是非探して読みたいと思います。