大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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パンデミックと戦うことを考える
昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...
2019年10月16日水曜日
2019年10月15日火曜日
毛獅子とたまちゃん
テレビの祭取材のゲストとしてよしもと新喜劇の島田珠代さんが来られていました。
写真は北脇毛獅子との対面場面です。
島田珠代さん、舞台では大きく存在感のある喜劇女優さんですが、とても小柄でかわいらしい方でした。
写真は北脇毛獅子との対面場面です。
島田珠代さん、舞台では大きく存在感のある喜劇女優さんですが、とても小柄でかわいらしい方でした。
2018年12月24日月曜日
一本松連中の忘年会
昨夜、どんどん&野路菊で一本松連中の忘年会がありました。
発起人はいちゃさんとまんちゃんです。
18:30、まずはどんどんの焼きそばとにくてんで腹を満たし
そして、隣の野路菊に移動してカラオケ大会です。
歌うのは、昭和歌謡、昭和艶歌、昭和フォークソング、唱歌、そして島唄です。
若いときは勢いで歌っていたように思います。でも今は、一人ひとりの歌声と語る歌詞が心の中に深く浸みてきて、なんだかジンとなりました。
病気で闘病中の連中がいます。
遠くの空で、同じ満月を見上げる連中もいます。
ちなみに昨夜の満月、突然にいちゃさんが表に飛び出し、そして一年でもっと高い位置に来る満月を観ようと皆を外に引き出したのです。いちゃさんの腰に手を当て夜空を見上げる姿、写真に残したいほどれ惚れしました。(ベンチャラじゃなくほんまにそう思ったんやで)
カラオケの一曲目、歌いました。「誰か故郷を想わざる」です。
おとつい、テレビで古賀政男さんのドキュメンタリーを観ました。この歌、出した当初はヒットしなかったそうです。それで余ったレコードを戦地の兵隊さんへ送ったところ、歌が誘う望郷の念が兵隊さんの心を打って、そこからじわじわとヒットしたという逸話を知りました。
故郷を想う、地理的だけでなく過去を振り返る事も同じだと思います。
まだ毛が生え揃うか否かの頃からの連中です。若さで脱線してばかりいた頃を想いながら、これまでに出会い今もとても大切に思う友人を思い浮かべならが、唱いました。
そして一本松は、連中のふるさとである事、昨夜、しみじみと思いました。
久し振りに少し飲んだことと、煙草の煙(元喫煙者なので香り嫌いじゃないんです)、そして久し振りに声を張り上げて何曲も唱ったんで、朝起きると喉が無性に痛いです。
発起人はいちゃさんとまんちゃんです。
18:30、まずはどんどんの焼きそばとにくてんで腹を満たし
そして、隣の野路菊に移動してカラオケ大会です。
歌うのは、昭和歌謡、昭和艶歌、昭和フォークソング、唱歌、そして島唄です。
若いときは勢いで歌っていたように思います。でも今は、一人ひとりの歌声と語る歌詞が心の中に深く浸みてきて、なんだかジンとなりました。
病気で闘病中の連中がいます。
遠くの空で、同じ満月を見上げる連中もいます。
ちなみに昨夜の満月、突然にいちゃさんが表に飛び出し、そして一年でもっと高い位置に来る満月を観ようと皆を外に引き出したのです。いちゃさんの腰に手を当て夜空を見上げる姿、写真に残したいほどれ惚れしました。(ベンチャラじゃなくほんまにそう思ったんやで)
カラオケの一曲目、歌いました。「誰か故郷を想わざる」です。
おとつい、テレビで古賀政男さんのドキュメンタリーを観ました。この歌、出した当初はヒットしなかったそうです。それで余ったレコードを戦地の兵隊さんへ送ったところ、歌が誘う望郷の念が兵隊さんの心を打って、そこからじわじわとヒットしたという逸話を知りました。
故郷を想う、地理的だけでなく過去を振り返る事も同じだと思います。
まだ毛が生え揃うか否かの頃からの連中です。若さで脱線してばかりいた頃を想いながら、これまでに出会い今もとても大切に思う友人を思い浮かべならが、唱いました。
そして一本松は、連中のふるさとである事、昨夜、しみじみと思いました。
久し振りに少し飲んだことと、煙草の煙(元喫煙者なので香り嫌いじゃないんです)、そして久し振りに声を張り上げて何曲も唱ったんで、朝起きると喉が無性に痛いです。
2018年10月18日木曜日
祭りの伝統
ここ何十年と祭りは見るものになっていました。
でも、一本松連中が世話人をしたとき、少年野球の父母会の一員として一緒に活動した友人が世話人をしたとき、また我が子もふくめ、小さい頃から見守ってきた子供らが成長し、いっぱしの祭りの担い手になったとき、そこに自分はいないけれど、晴れ晴れしい気持ちになれました。
でも今年の祭りでは、自分の中の祭りの伝統が蘇ってきました。
本宮、自治会評議員の一員として、北脇丁のテントの下の車座でヤッサがあがるまで過ごしました。そこに年長の評議員の方の同級生も集まってきて車座の中に入ってきました。どなたも面識のない人たちです。と思っていたのですが・・・
その中のお一人が突然に「前田くん、覚えているか?」と話しかけられたのです。
その方は、私を含め、高校生だったころの一本松連中の事をよく覚えていました。その筈です。その方は、私らが一番祭りに夢中になっていたころの青年団の団長でした。あの頃は、祭りの季節になると、毎晩集会所で獅子舞の稽古をし、その後決まって酒が出、酒をあおりながら祭りの話や艶っぽい数え歌、昭和の歌を歌って過ごし、最後は決まって泥酔状態でぶっ倒れていました。私ら一本松連中は、祭りで酒と歌を腹一杯覚えました。それを見守ってくれていたのが団長でした。
車座の中でだらしなく座っていたのですが、その事実を聞かされてからは背筋が伸びました。久々に嬉しい緊張感に浸ることになりました。
テントの中から望む空があかね色に染まり、そして夕闇に染まった頃、座はお開きとなって、銘々シデ棒を持って、最後のヤッサの練り合わせを待ちました。
北脇丁のヤッサはしんがりで、ヤッサが練り場の大塩公園に入ってきたのは夜でした。そして同僚の評議員や班長さんらとともにシデ棒を持ってヤッサに近づきます。
そして練り合わせが始まります。ヤッサの太鼓の音に集中していると、突然に昔のように太鼓の音の心地良さに心がざわついてきて、ヤッサを担いでもいないのに、シデ棒を振りながら、わーっショイっ、ヨイヤサの声の一朶になっていました。
同僚の評議員も皆、真っ赤になって声をからして一朶となっていました。
練り合わせの合間、周りを見渡せば、一本松連中のぼーさん、かんちゃん、かずやもいました。その時、その感覚、そのなんとも言えない誇らしい感覚こそが、私の祭りの伝統、大切にしたい伝統なんだと思い気づいた次第です。
でも年甲斐もなく騒いだ結果、以後数日、体まったく動きません。40年近く忘れていた感覚は、老体には非常に堪えたこと、付け加えさせて頂きます。
でも、一本松連中が世話人をしたとき、少年野球の父母会の一員として一緒に活動した友人が世話人をしたとき、また我が子もふくめ、小さい頃から見守ってきた子供らが成長し、いっぱしの祭りの担い手になったとき、そこに自分はいないけれど、晴れ晴れしい気持ちになれました。
でも今年の祭りでは、自分の中の祭りの伝統が蘇ってきました。
本宮、自治会評議員の一員として、北脇丁のテントの下の車座でヤッサがあがるまで過ごしました。そこに年長の評議員の方の同級生も集まってきて車座の中に入ってきました。どなたも面識のない人たちです。と思っていたのですが・・・
その中のお一人が突然に「前田くん、覚えているか?」と話しかけられたのです。
その方は、私を含め、高校生だったころの一本松連中の事をよく覚えていました。その筈です。その方は、私らが一番祭りに夢中になっていたころの青年団の団長でした。あの頃は、祭りの季節になると、毎晩集会所で獅子舞の稽古をし、その後決まって酒が出、酒をあおりながら祭りの話や艶っぽい数え歌、昭和の歌を歌って過ごし、最後は決まって泥酔状態でぶっ倒れていました。私ら一本松連中は、祭りで酒と歌を腹一杯覚えました。それを見守ってくれていたのが団長でした。
車座の中でだらしなく座っていたのですが、その事実を聞かされてからは背筋が伸びました。久々に嬉しい緊張感に浸ることになりました。
テントの中から望む空があかね色に染まり、そして夕闇に染まった頃、座はお開きとなって、銘々シデ棒を持って、最後のヤッサの練り合わせを待ちました。
北脇丁のヤッサはしんがりで、ヤッサが練り場の大塩公園に入ってきたのは夜でした。そして同僚の評議員や班長さんらとともにシデ棒を持ってヤッサに近づきます。
そして練り合わせが始まります。ヤッサの太鼓の音に集中していると、突然に昔のように太鼓の音の心地良さに心がざわついてきて、ヤッサを担いでもいないのに、シデ棒を振りながら、わーっショイっ、ヨイヤサの声の一朶になっていました。
同僚の評議員も皆、真っ赤になって声をからして一朶となっていました。
練り合わせの合間、周りを見渡せば、一本松連中のぼーさん、かんちゃん、かずやもいました。その時、その感覚、そのなんとも言えない誇らしい感覚こそが、私の祭りの伝統、大切にしたい伝統なんだと思い気づいた次第です。
でも年甲斐もなく騒いだ結果、以後数日、体まったく動きません。40年近く忘れていた感覚は、老体には非常に堪えたこと、付け加えさせて頂きます。
2017年5月7日日曜日
米寿の旅立ち
連中の親が、またひとり旅立たれました。
親、という響き、そう連中の親は、わたしら連中にとって実の親に近い響きがあるのです。
満の八十八歳まで後四日だったと連中は話してくれました。
私は母親の米寿の時の事を思い出しました。
まだ存命であった兄が音頭を取り、兄弟姉妹、その子(孫)、そのこの子(ひ孫)と一統が集まって米寿の祝いをする事になりました。でも当日に母は調子を崩し、主賓不在の祝いの会となりました。でも、様々に昔話で花が咲きました。
私の父と母には、なれそめなど無かった様に思います。
父は、復員後に夫婦となった最初の妻を昭和33年のクリスマスイブの日に事故で亡くしました。五人目の子の出産時に動脈瘤が破裂して亡くなりました。五人目の子は、出産後直ぐに近所の子供のいないご夫婦に引き取られ、その後一人子として育てられました。
母は母で、長年連れ添った夫を病気で亡くします。子供がありませんでしたので、実家に戻ることになりました。
40半ばを迎えようとする子持ちの男と、30半ばを迎えようとする独り身の女、取り持つ縁があって夫婦となり、そして昭和35年の秋に私が誕生することになりました。
兄が存命中、あることに気付き、兄にたずねました。それは、父と母の婚姻が昭和35年の春であった事についてです。当時は子供が授かってから婚姻届けを出すこともままあったということで、父と母もそうであったのだろうと話してくれました。
あれから57年です。今年は、父が他界して26年が経ち、母は92歳を迎えます。
連中の父は、私の父より14歳若いので、早生まれの連中が生まれた昭和36年の冬は、まだ三十歳の若者です。おばちゃんと二人、輝いていたと思います。
昨夜、家を訪問した際、少しビールを頂いた後に、眠るおっちゃんの向こうにいるおばちゃんに思わず、なれそめをたずねてしまいました。どちらが先に好きになったの?と
軽くあしらわれてしまいましたが、でもその顔には笑顔がありました。
告別式の翌日が、おっちゃんの米寿の日です。家族で、楽しい思い出でいっぱい花を咲かせて欲しいと思います。
親、という響き、そう連中の親は、わたしら連中にとって実の親に近い響きがあるのです。
満の八十八歳まで後四日だったと連中は話してくれました。
私は母親の米寿の時の事を思い出しました。
まだ存命であった兄が音頭を取り、兄弟姉妹、その子(孫)、そのこの子(ひ孫)と一統が集まって米寿の祝いをする事になりました。でも当日に母は調子を崩し、主賓不在の祝いの会となりました。でも、様々に昔話で花が咲きました。
私の父と母には、なれそめなど無かった様に思います。
父は、復員後に夫婦となった最初の妻を昭和33年のクリスマスイブの日に事故で亡くしました。五人目の子の出産時に動脈瘤が破裂して亡くなりました。五人目の子は、出産後直ぐに近所の子供のいないご夫婦に引き取られ、その後一人子として育てられました。
母は母で、長年連れ添った夫を病気で亡くします。子供がありませんでしたので、実家に戻ることになりました。
40半ばを迎えようとする子持ちの男と、30半ばを迎えようとする独り身の女、取り持つ縁があって夫婦となり、そして昭和35年の秋に私が誕生することになりました。
兄が存命中、あることに気付き、兄にたずねました。それは、父と母の婚姻が昭和35年の春であった事についてです。当時は子供が授かってから婚姻届けを出すこともままあったということで、父と母もそうであったのだろうと話してくれました。
あれから57年です。今年は、父が他界して26年が経ち、母は92歳を迎えます。
連中の父は、私の父より14歳若いので、早生まれの連中が生まれた昭和36年の冬は、まだ三十歳の若者です。おばちゃんと二人、輝いていたと思います。
昨夜、家を訪問した際、少しビールを頂いた後に、眠るおっちゃんの向こうにいるおばちゃんに思わず、なれそめをたずねてしまいました。どちらが先に好きになったの?と
軽くあしらわれてしまいましたが、でもその顔には笑顔がありました。
告別式の翌日が、おっちゃんの米寿の日です。家族で、楽しい思い出でいっぱい花を咲かせて欲しいと思います。
2016年10月15日土曜日
とこしえに十五のちぎりたずさえて
齢重ねた一本松が、講頭の和也宅に集まりました。イチャさんとタクロウさんの軽快な話で笑いが絶えない酒宴でした。宴の締めはイチャさんのラブ注入で、各自の腕や肩にはしばらくは消えぬであろう歯形の印が残りました。
15歳で一本松連中を組んでから41年目となります。大病した者、現在進行形の者もいますが、それでも今だひとりとして欠けることはありません。一本松ひとり一人の顔を眺めますと、若い頃の面影はそのままに、でも41年の時がその上におもむきなるものを刻んでいました。
15歳で一本松連中を組んでから41年目となります。大病した者、現在進行形の者もいますが、それでも今だひとりとして欠けることはありません。一本松ひとり一人の顔を眺めますと、若い頃の面影はそのままに、でも41年の時がその上におもむきなるものを刻んでいました。
2016年4月30日土曜日
ご冥福をお祈りします。
昨日、一本松連中のお母さん、おばちゃんの葬儀に参列しました。
会場の入り口に、おばちゃんの二人の息子が育んだ大家族の真ん中に笑顔のおばちゃんが写った写真が飾られていました。亡くなる数週間前に病室で撮ったと思われる家族写真もありました。定年後に始められたという陶芸作品の大皿もありました。
喪主である連中からの会葬礼状は
「いつも家族のことを思ってくれてありがとう」という感謝の言葉から始まっていました。
早くにご主人を亡くされて、一生懸命働いて二人の息子を育て、そして大年に大家族に見守られて旅立たれた笑顔の素敵だったおばちゃんのご冥福をお祈りします。
会場の入り口に、おばちゃんの二人の息子が育んだ大家族の真ん中に笑顔のおばちゃんが写った写真が飾られていました。亡くなる数週間前に病室で撮ったと思われる家族写真もありました。定年後に始められたという陶芸作品の大皿もありました。
喪主である連中からの会葬礼状は
「いつも家族のことを思ってくれてありがとう」という感謝の言葉から始まっていました。
早くにご主人を亡くされて、一生懸命働いて二人の息子を育て、そして大年に大家族に見守られて旅立たれた笑顔の素敵だったおばちゃんのご冥福をお祈りします。
2015年10月29日木曜日
近くてとても遠い存在
満月の光が照らす道を、連中4人でとぼとぼと歩きました。向かったのは、おばちゃんが亡くなった連中の家です。
おばちゃんと対面するのは、もしかしたら十年から経っていたかもしれません。
白無垢の布団に眠るおばちゃんは、とても小さく見えました。
小さなお顔には薄化粧がされ、とても高齢とは思えないほど、また長く闘病されていたとは思えないほど、安らかで可愛らしい寝顔でした。
連中とは言ってもいつも会っているわけでなく、今では祭りを除いたら一年に一度会うかどうかの連中もいます。おばちゃんならなおさらです。
ですから、おばちゃんの面影として映るのは、もう何十年も前、しゃきしゃきとした話し振りの若々しいお姿です。私ら連中が、いつもほたえあっていた時代の頃です。
同じ町に住んでいたというのに、近くてとても遠い存在になっていました。
おばちゃんのご冥福を、心からお祈りします。
おばちゃんと対面するのは、もしかしたら十年から経っていたかもしれません。
白無垢の布団に眠るおばちゃんは、とても小さく見えました。
小さなお顔には薄化粧がされ、とても高齢とは思えないほど、また長く闘病されていたとは思えないほど、安らかで可愛らしい寝顔でした。
連中とは言ってもいつも会っているわけでなく、今では祭りを除いたら一年に一度会うかどうかの連中もいます。おばちゃんならなおさらです。
ですから、おばちゃんの面影として映るのは、もう何十年も前、しゃきしゃきとした話し振りの若々しいお姿です。私ら連中が、いつもほたえあっていた時代の頃です。
同じ町に住んでいたというのに、近くてとても遠い存在になっていました。
おばちゃんのご冥福を、心からお祈りします。
2015年10月18日日曜日
素晴らしき、一本松
15日、ボーさんが「連中を代表して担いでくる」と祭り装束に着替えました。
それで宮に送り出す前に記念写真を撮りました。
一本松連中は、北浜小学校の同級生であり、今年55歳を迎えます。そして一本松連中を組んで40年となりました。
各々、いろんな事がありました。そして今もそう、これからもそうなのでしょう。若いときの様には体が動かなくなりました。持病を抱える者もいます。大病をする者も現れました。現在進行形の者もいます。
たとえ顔を見ずとも、会わずとも、互いを気遣う心があります。それが一本松連中の心意気なのだと思います。それをボーさんが体現してくれたのだと思います。
カズヤとタカちゅんが全快して、11月22日(日)に全員揃ってどんどんでカラオケできること、楽しみにしています。
それで宮に送り出す前に記念写真を撮りました。
一本松連中は、北浜小学校の同級生であり、今年55歳を迎えます。そして一本松連中を組んで40年となりました。
各々、いろんな事がありました。そして今もそう、これからもそうなのでしょう。若いときの様には体が動かなくなりました。持病を抱える者もいます。大病をする者も現れました。現在進行形の者もいます。
たとえ顔を見ずとも、会わずとも、互いを気遣う心があります。それが一本松連中の心意気なのだと思います。それをボーさんが体現してくれたのだと思います。
カズヤとタカちゅんが全快して、11月22日(日)に全員揃ってどんどんでカラオケできること、楽しみにしています。
酒飲みねぇ、スシ食いねぇ
今年の祭りは、兄のこともあって家でじっとしていようと思っていましたが・・・
耕太郎が間際になって急に「小頭になるから家で連中のご飯して!」と言い出して、まぁエエかと燦欄連中(といっても二名だが)に振る舞う酒や肴を用意して、13日から15日にかけての晩朝晩朝、「酒飲みねぇ、スシ食いねぇ」と陽気に過ごすことになりました。何もできないけれど酒だけはと、良い酒を用意しました。
目指したのは25年前に加古川明姫幹線沿いにオープンしたワインフィールド・ウィンズァー、私はこの店でワイン教えて貰いました。訪ねたのは十数年振りでしたが、ご主人がたいへん元気で、なんというかほんとに嬉しくなりました。
そのご主人に、日本酒がほぼ始めての若者に、飲みやすく旨い酒をという要望をお伝えすると、純米大吟醸の二本を勧めて頂きました。
14日と15日の朝は、家の用事を済ませてから、一本松連中万ちゃん宅でおよばれしました。アルコールもご馳走も控えなければいけない理由があって、飲まない食べないを決め込んでいたのですが、14日にさっそくその禁を破ってしまいました。
連中の甘い誘惑と、威勢のよい掛け声「酒飲みねぇ、スシ食いねぇ」についぐい飲みに一杯日本酒を注いで貰い口を付けました。でもそれが悪かった・・・
旨い酒でした。甘みが抑えられたシャープな飲み口に、いやしんぼのたがが外れてしまいました。そして気付けば、一本いってしまいました。
連中が「飲んだらあかん、ゆうとったんとちゃーうんか?」といじってきましたので、
「くうたらあかんのに、くえる口があるからこまっとんのやろう」とのたまってしまいました。イチャさんに家まで送ってもらって、気が付いたら夜の10時でした。
遅ればせながら・・・万ちゃん、奥さん、有り難うございました。
耕太郎が間際になって急に「小頭になるから家で連中のご飯して!」と言い出して、まぁエエかと燦欄連中(といっても二名だが)に振る舞う酒や肴を用意して、13日から15日にかけての晩朝晩朝、「酒飲みねぇ、スシ食いねぇ」と陽気に過ごすことになりました。何もできないけれど酒だけはと、良い酒を用意しました。
目指したのは25年前に加古川明姫幹線沿いにオープンしたワインフィールド・ウィンズァー、私はこの店でワイン教えて貰いました。訪ねたのは十数年振りでしたが、ご主人がたいへん元気で、なんというかほんとに嬉しくなりました。
そのご主人に、日本酒がほぼ始めての若者に、飲みやすく旨い酒をという要望をお伝えすると、純米大吟醸の二本を勧めて頂きました。
14日と15日の朝は、家の用事を済ませてから、一本松連中万ちゃん宅でおよばれしました。アルコールもご馳走も控えなければいけない理由があって、飲まない食べないを決め込んでいたのですが、14日にさっそくその禁を破ってしまいました。
連中の甘い誘惑と、威勢のよい掛け声「酒飲みねぇ、スシ食いねぇ」についぐい飲みに一杯日本酒を注いで貰い口を付けました。でもそれが悪かった・・・
旨い酒でした。甘みが抑えられたシャープな飲み口に、いやしんぼのたがが外れてしまいました。そして気付けば、一本いってしまいました。
連中が「飲んだらあかん、ゆうとったんとちゃーうんか?」といじってきましたので、
「くうたらあかんのに、くえる口があるからこまっとんのやろう」とのたまってしまいました。イチャさんに家まで送ってもらって、気が付いたら夜の10時でした。
遅ればせながら・・・万ちゃん、奥さん、有り難うございました。
2015年5月6日水曜日
大塩天満宮国恩祭 毛獅子舞共演:宮本丁
平成27年5月5日(火)、本宮
宮本丁も、本日最初の毛獅子舞を能舞台で披露しました。
宮本丁は、第五幕、まるで悪戯っぽい少年の様にはしゃいでは疲れて休み、はしゃいではつかれてやすみと、馴れない喜びに戸惑っているようにも見えます。その舞はとても初々しく思います。
宮本丁も、本日最初の毛獅子舞を能舞台で披露しました。
宮本丁は、第五幕、まるで悪戯っぽい少年の様にはしゃいでは疲れて休み、はしゃいではつかれてやすみと、馴れない喜びに戸惑っているようにも見えます。その舞はとても初々しく思います。
大塩天満宮国恩祭 毛獅子舞共演:東之丁
平成27年5月5日(火)、本宮
東之丁は、本日最初の毛獅子舞を能舞台で披露しました。
東之丁は、最終幕(第六幕)、神様に捧げる最上の歓喜の舞です。
動と歓喜に満ち溢れた舞台です。
東之丁は、本日最初の毛獅子舞を能舞台で披露しました。
東之丁は、最終幕(第六幕)、神様に捧げる最上の歓喜の舞です。
動と歓喜に満ち溢れた舞台です。
大塩天満宮国恩祭 毛獅子舞共演:北脇丁
平成27年5月5日(火)、本宮
5月4日(月)の本宮が降雨のため今日に順延となりました。
そして午後二時過ぎから獅子舞が始まりました。
八台の毛獅子の道中舞に始まり、その後は四つの舞台に場所を移して毛獅子舞の共演です。
北脇丁は、本日宮外東舞台に次いで、ここ能舞台で毛獅子舞を披露しました。
北脇丁は、第一幕、道化が牡丹の華で洞窟に潜む毛獅子をおびき出す舞です。
5月4日(月)の本宮が降雨のため今日に順延となりました。
そして午後二時過ぎから獅子舞が始まりました。
八台の毛獅子の道中舞に始まり、その後は四つの舞台に場所を移して毛獅子舞の共演です。
北脇丁は、本日宮外東舞台に次いで、ここ能舞台で毛獅子舞を披露しました。
2015年5月5日火曜日
大塩天満宮国恩祭 毛獅子舞共演:西濱丁
平成27年5月3日(日)、宵宮
午後から降り出した雨により、午後七時から始まった毛獅子舞は
道中舞が取りやめられ、また毛獅子舞は屋根のある本殿と能舞台のみ行われました。
そして、本殿で三番目に行われた西濱丁の毛獅子舞を観ました。
大塩天満宮の毛獅子は八台ありますが、その内の六台で一つの物語がリレー形式で綴られます。
暗い洞窟に毛獅子が潜んでいました。そこにひょっとこのお面を被った道化が現れて、牡丹の華を乱舞させ、毛獅子を洞窟から陽の降り注ぐ表に誘います。
陽の下に出た毛獅子は、喜びで歓喜の舞を始めます。
毛獅子は一度、舞うことに疲れて寝た寝たを始めますが、
最後はまた、最上の歓喜の舞を披露し、表に引き出してくれた神様に感謝を捧げる
という様な物語で、
西濱丁は、第二幕、陽の下に出た喜びの舞に興じます。
午後から降り出した雨により、午後七時から始まった毛獅子舞は
道中舞が取りやめられ、また毛獅子舞は屋根のある本殿と能舞台のみ行われました。
そして、本殿で三番目に行われた西濱丁の毛獅子舞を観ました。
大塩天満宮の毛獅子は八台ありますが、その内の六台で一つの物語がリレー形式で綴られます。
暗い洞窟に毛獅子が潜んでいました。そこにひょっとこのお面を被った道化が現れて、牡丹の華を乱舞させ、毛獅子を洞窟から陽の降り注ぐ表に誘います。
陽の下に出た毛獅子は、喜びで歓喜の舞を始めます。
毛獅子は一度、舞うことに疲れて寝た寝たを始めますが、
最後はまた、最上の歓喜の舞を披露し、表に引き出してくれた神様に感謝を捧げる
という様な物語で、
西濱丁は、第二幕、陽の下に出た喜びの舞に興じます。
2015年5月3日日曜日
2015年3月20日金曜日
訃報
12月、母よりも十歳も若い叔母さんが入浴中の事故で亡くなりました。
それからというもの、母の行動を一層注意して見守る様になりました。
寒い季節、突発的な体の不調が命の危険を招きます。
この町でも、早朝、深夜に関わらず、救急車のサイレンをよく耳にしました。
そしてようやく穏やかな季節を迎え、少し安心を覚えていたところに、突然の訃報が届きました。
一本松連中で友人のお母さん、小さい頃からよくお世話になったおばちゃんが亡くなったと連絡がありました。
同じく一本松連中の友人が連絡をくれました。その晩、皆でおばちゃんに会いに行きました。誰もが「まさか」という顔をしていました。おばちゃんは、昨年の祭りで家にお邪魔した時に、変わらない声と笑顔で迎えてくれました。それが元気な姿を見た最後となりました。
12月、体調が思わしくなくなって、しばらくの闘病の末、3月18日(水)、友人の息子二人がおばちゃんの看護をしていた時に、眠る様に息を引き取ったと、奥さんから聞きました。
今日が友引ということで、今晩通夜、明日告別式が行われます。
友人は、賑やかにお母さんをと送り出したいと話していました。
皆で賑やかに、おばちゃんを送り出す、その一助になれればと思います。
それからというもの、母の行動を一層注意して見守る様になりました。
寒い季節、突発的な体の不調が命の危険を招きます。
この町でも、早朝、深夜に関わらず、救急車のサイレンをよく耳にしました。
そしてようやく穏やかな季節を迎え、少し安心を覚えていたところに、突然の訃報が届きました。
一本松連中で友人のお母さん、小さい頃からよくお世話になったおばちゃんが亡くなったと連絡がありました。
同じく一本松連中の友人が連絡をくれました。その晩、皆でおばちゃんに会いに行きました。誰もが「まさか」という顔をしていました。おばちゃんは、昨年の祭りで家にお邪魔した時に、変わらない声と笑顔で迎えてくれました。それが元気な姿を見た最後となりました。
12月、体調が思わしくなくなって、しばらくの闘病の末、3月18日(水)、友人の息子二人がおばちゃんの看護をしていた時に、眠る様に息を引き取ったと、奥さんから聞きました。
今日が友引ということで、今晩通夜、明日告別式が行われます。
友人は、賑やかにお母さんをと送り出したいと話していました。
皆で賑やかに、おばちゃんを送り出す、その一助になれればと思います。
2014年10月17日金曜日
北脇丁 奉納地舞
本宮の奉納地舞は、本殿前と管公前(菅原道真公碑文前)で行われました。
一本松連中のカンちゃんと輪の一番前に陣取り撮影しました。
でも両手を突き上げたままの30分近くの撮影は、まるで道中舞を何番を連続して舞い続けるが如く、とても過酷でありました・・・
管公前では、太鼓と対面の位置、練り場でいえば後ろからの撮影となりました。
耕太郎ははじめて一番の舞を任されたのですが、青年団の先輩の声援に励まされ、後ろから見ていても、楽しんで楽しんで舞っているのが伝わりました。
北脇獅子舞の名物ひょっとこは敦基が演じました。二番での登場では、勢い余ったユーモラスな演技で舞台を笑いに包み、その後の登場では軽妙さで毛獅子を見事に誘導しました。見事な花さばき、お見事でした!
一本松連中のカンちゃんと輪の一番前に陣取り撮影しました。
でも両手を突き上げたままの30分近くの撮影は、まるで道中舞を何番を連続して舞い続けるが如く、とても過酷でありました・・・
管公前では、太鼓と対面の位置、練り場でいえば後ろからの撮影となりました。
耕太郎ははじめて一番の舞を任されたのですが、青年団の先輩の声援に励まされ、後ろから見ていても、楽しんで楽しんで舞っているのが伝わりました。
北脇獅子舞の名物ひょっとこは敦基が演じました。二番での登場では、勢い余ったユーモラスな演技で舞台を笑いに包み、その後の登場では軽妙さで毛獅子を見事に誘導しました。見事な花さばき、お見事でした!
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