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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2016年10月15日土曜日

とこしえに十五のちぎりたずさえて

齢重ねた一本松が、講頭の和也宅に集まりました。イチャさんとタクロウさんの軽快な話で笑いが絶えない酒宴でした。宴の締めはイチャさんのラブ注入で、各自の腕や肩にはしばらくは消えぬであろう歯形の印が残りました。
15歳で一本松連中を組んでから41年目となります。大病した者、現在進行形の者もいますが、それでも今だひとりとして欠けることはありません。一本松ひとり一人の顔を眺めますと、若い頃の面影はそのままに、でも41年の時がその上におもむきなるものを刻んでいました。

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