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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2012年5月18日金曜日

オグ・マンディーノが紡ぎ出した『自己啓発物語』


最近の新聞、新刊広告を読むと
『スピリチュアル』もしくは『ヒーリング』に誘う本が多数刊行されていることに気付きます。しかし、与えられる『優しさ』や『癒やし』は、お金もかかり、そしてやがては飲み込まれる恐れがあることに注意すべきです。

90年代は、自己啓発本がよく売れました。
何かをしなければならない!
現状打開!
内から身を奮い立たせる事を、私たちは迫られたのです。
ジムに通い、通信教育も行いました。本も沢山読みました。

自己啓発本として愛読したのが、
オグ・マンディーノの著書です。
10年以上前に買って読んだ本ばかりで、いまも全て手元にありますが、具体的に内容がどうであったかと問われると憶えていません。オグ・マンディーノが紡ぎ出した物語は、今で言う『スピリチュアル』な物語で、たとえば仕事に疲れた男が、霊的な雰囲気を漂わす男と知り合い、語り、仕事への勇気を取り戻す、といった内容です。
そして、その物語にちりばめられた至高の言葉を解説した本もあります。
『幸福への43の贈り物』(管靖彦著)です。
その中で特に目を引いた言葉は

『悪い習慣をよい習慣に取って代わらせる』
自己を啓発する文章(神の覚え書き)を毎日、繰り返し読むという方法で、良い思考を潜在意識に植え付ける。

『愛は人々の心の扉を開く武器である』
愛は人々の扉を開く私の武器であると共に、苦しみの矢や怒りの槍をはね除ける私の盾である。

『幸せは何かを獲得する事によってではなく、与えることによって得られる』

です。
オグ・マンディーノはとても敬虔なクリスチャンであったのだと思います。
全て聖書に満ち溢れた思想であるからです。
一冊、二百ページに満たない物語ばかりなので、休憩時などに読み返したいと思います。

オグ・マンディーノの著書を読みたいと思われた方へ
『この世で1番の奇跡』”The Greatest Miracle in the World.”
『人生の選択』”The Choice”
『十二番目の天使』”The Twelfth Angel.”
をお薦めします。

映画『男の出発』を観ました。


昨日の昼、NHKBSプレミアムで
映画『男の出発』(原題:The Culpepper Cattle Co.)1972年アメリカ映画
を観ました。
西部劇です。ですが、1970年代が生んだアメリカン・ニューシネマでありました。
ジョン・ウェインが活躍した古き良き時代の西部劇は、ヒーローがいて、勧善懲悪が物語の基軸でした。ですが、ニューシネマの時代には、それぞれの時代、それぞれの出来事を赤裸々に描き出そうとする野心的な映画が出現しました。
そして、この『男の出発』もそうでした。

カウボーイに憧れた少年ベンは、コロラドまで牛を移動させるカウボーイの一団にコック見習いとして入ります。
他のカウボーイ達は皆荒くれ揃いで、一様に汚らしくそして貧乏でした。唯一の持ち物は、馬と拳銃です。彼らはその日の金と酒を求めて、この苦行に参加していたのです。
ですから、牛追いの道のりは、少年ベンの淡い憧れを打ち崩す出来事ばかりです。
喧嘩が絶えないし、すぐに拳銃を取り出しては決闘だとわめき散らす。
金に汚く、酒や女に飢えて、言葉は卑わい。
それに、彼らを待ち伏せる牛泥棒の夜襲におびえ、
町に立ち寄っても、常に彼らの牛や金品を狙うペテン師に注意を払わなければならない。
ベンは、その行程で、酒を知り、女を知り、下手な軽口を知り、そして暴力も経験します。
ただコック長から、
『カウボーイ(男)は、困った人がいたら立ち上がらなければならない』という粋な生き様も語り聞かされたのでした。

ある町で、町のボスにゆすられ、金と拳銃を奪われた一行は、丸腰のまま旅を続けようとしますが、草原の一角で、ニューヘブンを求めて彷徨うクリスチャンの一行に出会います。クリスチャンの一行は、約束の地を求めて彷徨い、そしてその草原を約束の地と定めて定住しようとしていたのです。
でもその地もボスの暴力の支配地でした。ボスは、出て行かなければ皆殺しにするといいます。カウボーイの一団は、そんなクリスチャン一行を置き去りにしようとしますが、ベンは『自分が立ち上がる時だ』と悟って、一人残ります。
そんなベンの純な心にほだされたのか、旅の過程でベンと親しくなった荒くれ男達が引き返し、ベンと共に銃をとり、ボス達と銃撃戦を繰り広げます。
そして、一人また一人と倒れ、最後ベンだけが生き残ります。
惨劇に呆然とするベンを横目に、クリスチャン一行は、『血で汚された地は、もはや約束の地ではない』と、屍をそのままに残して、この地を去ろうとします。
ベンは、クリスチャン一行を脅して、仲間の葬儀を行わせ、そして最後、一人荒野の向こうに旅立ちます。
end

大人になるということは、夢を実現させる時であると同時に、大人社会のさまざまな悪戯にも出会い、そして理不尽さにも出会います。ベンの仲間の非業な最後と、クリスチャン一行の無情さは、まさにそうであったと思います。
ベンはこの後、どうなるのでしょうか?映画では描かれません。でも私は想像します。ベンは漸く望んだカウボーイになったのだと。
彼は、命を投げ出す、最高に高揚する人生のクライマックスを求めて荒野を彷徨うのだと思います。

クリント・イーストウッドやロバート・レッドフォードという大スターは出ていません。名も知らぬカウボーイが、汚れて疲れ切った様子で、草原の苦行を続けます。乾いた空気と美しい風景、そして時折流れるハーモニカのメロディに、ただただ切なさを憶えました。

小鳥がいなくなりました・・・


お早うございます。
今朝ふと気付いたのですが、窓のほんそばの軒先に巣くって、美声で朝の時を告げてくれていた小鳥はいなくなったようです。

巣立ったのですね
嬉しいような、寂しいような、です。

2012年5月17日木曜日

日本製造メーカーへの提言『不振打開の鍵、あります。』


『東芝、テレビの国内生産から撤退』
今日の国内経済トップニュースとして報道されました。

日立も国内生産から撤退、ソニーとパナソニックは業務提携し背水の陣で巻き返しを図る、ともありました。
そしてニュース番組のコメンテーターは一様に
『日本の技術は世界一』と唱え、海外移転しコストダウンに努めて、いずれ巻き返しを図るだろう、と解説していました。

テレビは2003年以降、薄型大型化に拍車がかかり、メーカーはより画面が大きく高精度な美しい映像が見られる高額テレビを次々に大量生産しました。
しかし、作れば売れると踏んだメーカーのもくろみは見事に外れ、商品はだぶついて価格は下落、また世界市場でも韓国メーカーに水をあけられ巨大赤字を生む事態となりました。

90年代初頭の、日米自動車摩擦時の米国自動車メーカーの状況に似通っていると思います。
当時の米国自動車メーカーは、車体も排気量もどでかいだけの、そして故障しやすい高額な車を、作れば売れるとして大量生産し、また小型で燃費が良く故障の少ない安い日本車の台頭には政治圧力で潰そうとした。しかし、日本の自動車メーカーは、アメリカ国内での生産にシフトし、そして、良くて安い商品『日本メーカーの車』は、アメリカ国民に支持されて、自動車摩擦を乗り越えたのです。

日本の家電メーカーは、今、アメリカの自動車産業が陥った轍を踏んでいるのだと思うのです。そして、現在の海外生産のシフトは、コスト削減以外のなにものでもなく、その先に希望が見えません。コストダウンを図るために、生産拠点を海外に移す事のデメリットは、
ライフラインが脆弱な国では、災害時に復旧がままならない。(昨年のタイ大規模水害がまさにそうでした)
そして、どこまで移転するのか。技術移転の問題、そして人の育成問題です。
移転規模が小さければ、レスポンスやコミュニケーションの問題が操業後の足かせとなるでしょうし、従業員の忠誠心も鈍ります。
移転規模が大きければ、それはもはや日本製でなく、その国の製品となって、あらゆる利益も渡すことになります。

80~90年代に掛けて、何故に日本製品が世界を席巻できたのか?
それは、『純日本製』であったからだと思います。
『日本製』自体がブランドだった。小型で性能が良く、そして壊れにくく価格が安い。
戦後の焼け野原から立ち上がった日本の物作りは、創意工夫と粘り強さ、そして『共に豊かになろう』という国民の一体感に支えられて成長し、やがて世界が認知する『安心なるは日本製』となったのです。
そして『トヨタ』や『ソニー』が世界を席巻した。でも、それは『日本製』という安心の御旗があったればこそだと思います。

日本の製造メーカーが今やらなければならないことは、
『日本の物作り精神』の原点に立ち戻ること、『魂』を取り戻すことです。
『空洞化』は、心が失われれる象徴です。
心に空いた穴は、『情熱』『希望』『幸福』で満たさなければなりません。
『まず同胞を、日本人を幸せにする!』
これそれが日本の製造メーカーが不振から立ち上がるための唯一の『鍵』そして『行動目標』だと思います。

2012年5月15日火曜日

『雨に唄えば』


昨日から小雨が続いています。
昨日、仕事が終わって駐車場まで小雨の中歩いていますと、口から思わず
”Singin' in the rain”雨に唄えば
のメロディがこぼれました。

ジーン・ケリーが、雨が降りしきる歩道を傘をステッキにして、そして軽やかにタップを踏んで踊り歩く・・・
1952年ミュージカル映画の傑作『雨に唄えば』劇中の名場面です。

良いことがあると、雨も嬉しいものです
(*^_^*)

パルサーが創造した”宇宙の手”


朝8時過ぎ、テレビをつけてチャンネルを替えていますと、
NHKBSプレミアム『コズミックフロント』という番組が興味を引きました。
テーマは”パルサー”でした。
パルサー自体、何のことかはよく分かりませんが、
でも超新星爆発によって作られた星雲の、X線写真には魅了されました。
特に次の1枚
Pulsar Creates Cosmic "Hand"(パルサーが創造した”宇宙の手”)には感動を越えた神々しさを憶えました。
瑠璃色のドレスを纏った女神が、燃えさかる栄光のプレートを天にかざしています。
壮大な神話のクライマックスです。

朝から良いものを見ました。


『Pulsar Creates Cosmic "Hand"』
この1枚の写真は、NASAのホームページに掲載されていた写真です。
http://www.nasa.gov/multimedia/imagegallery/image_feature_1323.html
Multmedeiaギャラリーには、膨大なNASA秘蔵メディアが公開されている様子です。
今度の休日には、このギャラリーを巡って遊びたいと思います。

この写真は、NATIONAL GEOGRAPHICのホームページにも掲載されていました。
http://news.nationalgeographic.com/news/2009/04/090406-hand-pulsar-nebula-photo.html
Google chromeインターネットビューワでは、ページを日本語翻訳してくれますので助かります。こちらの写真ギャラリーも一度楽しみたいと思います。

2012年5月13日日曜日

第57回東播中学校親善選抜野球大会二日目、観戦記


第57回東播中学校親善選抜野球大会二日目、準決勝戦を観戦してきました。
眩しい日差しと爽やかな風が舞い込む高砂球場、黒土のグラウンドは美しく掃き清められ、両翼91.2mのフェンス際まで白線がくっきりと描かれています。
私はこの、第一試合が始まる直前の、静寂に包まれ凛とした緊張感を漂わすグラウンドがとても好きです。

そして9時
準決勝第一試合 鹿島中(先攻)vs.黒田庄中(後攻)が始まりました。

フォトアルバム:準決勝第一試合写真へのリンク


先発は両チーム背番号1同士、
鹿島中は加古君(右)、黒田庄中は東田君(右)です。

初回表、黒田庄中東田君の圧巻の投球に鹿島中打線は沈黙。
その裏、鹿島中の守備の乱れに乗じ黒田庄中が1点先取。
そして3回裏、またも守備の乱れから一死二三塁のピンチを招き、黒田庄中4番東田君の二点タイムリーヒットで鹿島中3点のビハインドとなりました。
鹿島中打線も3回以降、毎回走者を出しはするものの後続を断たれ、結果0-3xの完封を喫しました。

11時、
準決勝第二試合 加古川中部中(先攻)vs.竜山中(後攻)の開始。
両軍とも中盤以降チャンスを作るも、もう一本が出ずに0行進。
そして迎えた7回表、
中部中は3度目の三塁走者を、この試合唯一となる竜山中の守備エラーによって1点を得点し、それが決勝点となりました。
最後は竜山中にとって残念な結果に終わりましたが、締まった良い試合でした。

13時、
3位決定戦が始まりました。竜山中(先攻)vs.鹿島中(後攻)です。

フォトアルバム:3位決定戦試合写真へのリンク


この試合は、シーソーゲームとなりました。
一回裏、鹿島中の攻撃
1番本多君が四球で出塁すると、後続が送って繋ぎチャンスを広げ、6番長谷川君の四球でまず1点。
二回裏、
8番松本(凌)君四球、
9番吉永君バントヒット、
1番本多君送りバントで追加点のチャンスを作ると、2番矢野君の打席でボークにより2点目を得点。
三回表、
竜山中は、二死満塁から押し出しで1点、その後タイムリーエラーで2点と計3点を得点。
四回裏、
9番吉永君がバントヒットで出塁すると、後続が繋いで同点に追いつきます。
そして六回裏、
9番吉永君が四球で出塁、2番矢野君が送って二死二塁の好機に
3番三木君はセンター左横を抜く強い打球を打ち、打球が転々と転がる間に、打者走者三木君も生還して勝ち越しの2点をあげました。これが決勝点となり、3-5xで鹿島中は勝利しました。

今日の試合観戦で強く感じたこと、それは”繋ぎ”です。
少ないチャンスを、次打者が繋いで繋いで得点に結びつける。
またもう一つは、四球を選んだ時、次打者にバットを手渡して一塁に駆けてゆく。
三振に喫した時、次打者にバットを手渡してベンチに駆けてゆく。
この様な行為は見ていて晴れ晴れとします。彼らは次打者を信じ、望みを託している。そして彼らのバットは、攻撃の道具であると同時に望みを繋ぐタスキとなっている。
『真摯さ』、『ひたむきさ』ほど、心を打つ行為はない、そう思います。

鹿島中野球部は、最後の大戦”中学校総合体育大会”に向け、いよいよ勝利するチームへと変貌しました。部員達にひとつ希望することは、ただ仲間との最高の笑みを交わすためだけに腐心し、一戦一戦を、一秒一秒を愛おしんで、集中して戦い尽くしてほしい、という事です。

でも、ほんと野球場っていうのは最高に素敵な劇場です。
夢が叶う場所です。

輝け!鹿島中野球部の少年達よ!


お早うございます!
最高の天気で日が開けました。
太陽は眩しく輝いています。そして爽やかです!

昨日、鹿島中野球部は、高砂招待大会で1回戦、2回戦を突破しました。
今日9時から、黒田庄中と準決勝を戦います。
昨年夏、中体連東播地区大会で前チームが敗れた黒田庄と対戦します。
鹿島中野球部の少年達が最高の栄誉に浴すること願って応援に行きます。