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「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」

8時15分、町に鳴り響いたサイレンを合図に、広島で原爆によって殺された被害者に黙祷を捧げました。 74年前の1945年(昭和20年)8月6日、広島市は快晴でした。 1944年(昭和19年)の秋からアメリカ軍による日本の都市部への無差別絨毯爆撃が始まりました。広島市上空にも何...

2025年8月18日月曜日

締めは 新生軒

 昨日は、久しぶりに姫路の町をぶらぶら歩いてきました。

目的は、イーグレひめじで開催中の、『生誕百年記念 桂米朝まつり特別展』を覗きに行く事でした。米朝さんは1925年生まれで私の母と同い年、そして米朝さんは10年前89歳の時にお亡くなりになられました。

母の初盆も終わり、少し開放感を味わいたいと家族には「ちょっと出かけてくる」とだけ伝え、スマホはカバンにしまいこんで一人歩いて出かけました。

高温が毎年のように更新される近年の夏の暑さですが、盆を過ぎた昨日は少し薄雲が日差しを和らげてくれました。そして夕方になると姫路の空には山水画の様な墨を足らしたような連なる重い雲が覆い始めまして、夕立を心配しながらの姫ブラとなりました。

最初に訪れたのは、二階町で甥っ子大輔が友だちと開いた食品ロス削減ショップ「エコイート(ecoeat)」です。店の営業で忙しい中、お祖母さんの法要に駆け付けてくれたことのお礼を直接言いたかったのです。「エコイート」は食品流通の中で、まだ食べられるのに廃棄されていたいわゆる食品ロスとなっていた食品を消費者である私たちに気付かせ、食品ロスを削減するために消費行動を促す活動を行っている店です。今回は徒歩で先の予定がありましたので何も購入しませんでしたが、次回訪問時には、食品油や缶詰など購入したいと思います。

https://snhllc.wordpress.com/

そして甥っ子と別れ、イーグレひめじを目指します。

特別展はB1の展示室で行われていました。米朝さんの年表がパネル展示され、年代で区切られた展示では、手紙や写真そして貴重品を間近で見ることができました。一角にテレビが据えられ、米朝さんの落語DVDが映されていました。私は「茶漬け間男」という艶話と「夏の医者」をしばし楽しみました。語り口と仕草、目線、そして絶妙な間によって、私は目の前で実際に滑稽な営みを垣間見ている、そんな心持ちになって終始ニヤニヤしならが観賞しました。特別展は盛況でしたが、いかせん、私と同輩以上がほとんどでしたので、視聴用の椅子、用意してくれてたらもっと良かったと思いました。

https://himeji-culture.jp/hall_event/18844

そしてイーグレを後にし、北へ進み、城の東側に位置する姫路美術館を目指しました。特別展示などはありませんでしたが常設展示の絵画をゆっくりと鑑賞し、無料展示では、500年前の日本刀の展示に心引かれ、また書写円教寺や姫路城内を舞台にした能舞踊という普段見慣れない映像を楽しみました。高細緻な映像で繰り広げられる特別な舞台での能だけに、非常に厳かな気分を味わいました。

そうこうしている間に閉館の時間が近づき、慌てて外に出ると、空が墨絵の雲に覆われていました。雨具を持ってこなかったので急ぎ足でアーケードのある繁華街を目指しました。そして山陽電車に乗って帰路に着く前に、姫路ぶらぶらの締めと勝手に思っている新生軒を目指しました。何年かぶりの新生軒の暖簾を潜ると、若いご夫婦と思われる男女が店を切り盛りされていました。小学生の低学年からここのワンタン麺を食べ継いできましたが、相変わらずの済んだ潮味のスープを堪能しました。でも少し変化がありました。トッピングの薄切り豚が、以前は気持ち入っているという感じだったのが、大きめの豚が4枚も入っていました。満足したついでに以前から気になっていた質問を、カウンター越しにご亭主に尋ねてみました。「新生軒は家族経営ですか」「随分前になりますがおじいさん三人で切り盛りされていましたね」とか尋ねますと、ご亭主は快く返答をしてくれました。

「新生軒は創業70年近くなります。三代目までは家族経営でしたが、四代目の私は外から店を継ぎました」という話でした。

後で調べてみると、創業は1960年(昭和35年)でした。私と同輩でした。どうやら親近感ははそう云う理由もあった様です。

そして姫ブラは、結局雨に当たらず終えることができました。めでたしめでたし

https://www.himeji-cci.or.jp/back_number/pdf/manpuku_202107.pdf

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