播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年5月4日水曜日

『一球専心』

鹿島中学野球部の横断幕の一つに『一球専心』という文字が記されています。
『一球』とはもちろん野球の事です。そして『専心』とはひたすら一つのことに心を集中する事です。

現在の鹿島中野球部の部員達は皆、無限の力を秘めた笑顔の素敵な少年ばかりです。
そんな彼らの中でも、冬トレを経て開花した者、まだもがき苦しんでいる者、それぞれです。

彼らは横並びではなく、一人ひとりが素晴らしい個性の持ち主であり、と同時に開花の時期やその表現も違います。本人自身の思いとの隔たりを感じている事もあるでしょうし、また周りの見方もそれぞれ違う、それも苦悩の原因の一つであり、飛躍の鍵でもあります。

人生70年、80年といわれる時代ですが、私はそうは思いません。私たちには過去と今日があり、そして明日が与えられる、そう思っています。

彼ら鹿島中野球部員は12歳から15歳ですが、まだ1年生だから、中学生だから、は関係ないです。好きなモノ、大切なモノには、真摯になって敬意もってその世界に飛び込んで、見聞きし、真似、学び、そしてそれぞれの進化を日々遂げて欲しい、もっと好きになって欲しい、そう思います。(この言葉は、彼らに贈っているだけではなく、自戒を込めてもいます。)

苦しくてどうしようもないときは、一端立ち止まって、深呼吸し、大空を見上げ、周りの風景を見渡してみて下さい。心地のよい風が、瑞々しい空気がいつも君たちを包んでくれていることに気付くはずです。そうしたら、また『一球専心』で歩み出して下さい。

p.s.
息子耕太郎は、最上級生となり、現在、試合では中堅手、もしくは三塁手の守備を与えられています。中堅手としては、親バカですが、チームに貢献していると見ています。
但、攻撃面において、余り本人は表情に表しませんが、非常にもがき苦しんでいます。

私は普段の練習を知りませんが、指導して下さる藤原監督が話して下さいます。
『練習では出来ている。それが試合で出せないだけ』。監督の思いやりが伝わってきます。

息子耕太郎は、練習では、それなりによい時もあるのでしょうが、現在、試合でグラウンドを駆け回る開花したチームメイトとの違い、それは、練習時の取り組み方、姿勢の違いだと思っています。
ただ、『打つ』『走る』『守る』ではなく、練習時からチームを引っ張る心意気を養う習慣を自らに課し育み、また、練習風景の全体を、チームメイトをよく観察し、自分の課題を常に追い求め、そしてその課題を克服するために、目標を持って練習に取り組む。
自ら設定した課題であれば、それを克服するためには、己しか克服するための手段や情報を追い求めることができない。
それが『真摯さ』『やる気』『向上心』を生む重要な要素だと思います。

息子耕太郎は、まだまだ苦しみの本質を味わっていない。
もっともっと味わって、いつか逞しく、そして心根の優しい『野球小僧』になってくれることを信じています。

0 件のコメント:

コメントを投稿