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映画「ナチュラル」の名台詞を、大谷翔平選手に贈ります。

大谷翔平選手が、信頼する人に裏切られ欺され巻き込まれた疑惑について、自ら矢面に立って会見を開き、大勢の記者とテレビカメラの前で、自らの言葉で、今公表できる事実をしっかりとした口調で伝えてくれました。 その会見が開かれた日、NHKシネマで野球映画の名作「ナチュラル」(The Nat...

2012年7月28日土曜日

今日は朗読を楽しんできました。


今日はおはなしの会担当日で、加西市立図書館で絵本を朗読してきました。

オリンピック開会式が始まった5時過ぎに自宅を出発し、9時半頃アスティア加西に到着しました。

それからおはなしの会が始まる14時まで図書館で雑誌を読んだりうたたねをしたりして過ごし、14時から、3歳から7歳までの子供たち(とお母さん達)と30分の絵本朗読を楽しみました。
今日朗読した絵本は次の三冊です。
『はじめてのおつかい』筒井頼子さん作、林明子さん絵、福音館書店
『おひさまがいっぱい』与田準一さん詩、堀内誠一さん画、童心社詩の絵本
『ムーミンのふしぎ』トーベ・ヤンソン原作、松田素子さん文、スタジオ・メルファン絵、講談社

『はじめてのおつかい』は友達のお薦め本です。
私はずいぶん昔家族で、林明子さんの原画展を見にいったことがあり、その前後に林さんの絵本を数冊購入、その中に『はじめてのおつかい』もありました。
5歳の女の子が、お母さんから赤ちゃんの弟(もしくは妹)に与える牛乳を買うおつかいを頼まれます。そして女の子のわくわくどきどきするはじめてのおつかい冒険が描かれます。

二冊目の『おひさまがいっぱい』は前回の担当時でも朗読した可愛いポエムです。
子供たちには次のような話をしてから朗読を始めました。
『夏は夜が楽しんだよ
人間は昼間遊んだり勉強したり仕事をして夜休むけれど
動物たちは、暑い昼間は休んで夜活動するんだ
そんな動物たちのお話しです』
そして朗読を始めました。
3歳の男の子がこの絵本を持っていると話してくれました。

そして三冊目は『ムーミンのふしぎ』です。
目の前に居る男の子や女の子と同様に、ふしぎ大好きな永遠の少年ムーミンが、色の不思議を巡る物語です。ムーミンファミリーであるミイ、スニフ、スナフキンそしてムーミンママも出演する賑やかな朗読劇です。15分弱となる少し長いお話しでしたが、どうやら子供たちも色のふしぎを楽しんでくれた様子でした。

実はもう一冊用意していた本があります。
『すてきな三にんぐみ』です。
黒い帽子に黒マント、三人のちょっと怖い山賊が、闇に隠れて襲った馬車に乗り合わせていた、貰われていくかわいそうな女の子ティファニーちゃんに出会います。
山賊達は、これまでに奪いに奪った金銀財宝の使い道を相談し、綺麗なお城を買って、孤児やかわいそうな子供たちを集めに集めて揃いの赤い帽子に赤マントという制服を与え、そして城で大切に育てます。やがて子供たち大きくなり、城の周りに家を建て村を作り、大きく繁栄した村人達は3人に感謝を込めて、三つの塔を築きます。
そんなちょっと不思議なお話です。
ですが、あまり朗読練習ができなかった事、またストーリーがあるお話しが重なると子供たちがしんどくなるのではという思いから、二冊目を『おひさまがいっぱい』に変更しました。

でもいつもながら、洞穴のような朗読コーナーで朗読すると、声が大きく反響し、とても気持ち良かったです。


追伸
加西からの帰り、始めて北条鉄道のワンマントレインに乗りました。
毎時42分発の粟生行きで
14:42分に乗りました。
トレインはディーゼルエンジンで走るため、線路には電線がありません。
ですから加西や小野の丘陵地帯の田園や森の中を走るトレインは
まるで千と千尋に出てくる海原を走るトレインの如く緑の海原を走っている様でした。
また、鎮守の森に入った時、となりのトトロに出てくる猫バスの如くに木々達がよけてくれているような錯覚を覚えました。二十分ほどの乗車でしたが、とても軽やかな時間を過ごすことができました。

オリンピック開会式より楽しきもの


おはようございます
静かな朝です。

もうすぐオリンピック開会式が始まりますね
様々なショーが繰り広げられるオープニングの中でも特に
『英国音楽史』の演目に興味津々です

でも私は、今日の最大のイベントのため
そろそろ出発します。
北に向かって歩きます。

2012年7月23日月曜日

『ありがとう』


鹿島中野球部の最後の大戦となったゲームは、観戦することはできませんでした。
でも現会長で大切な友人である本多さんから
『本当に良い試合でした』という感想を頂きました。

激しいスコールや厳しい日差しよりも熱い熱い、熱いゲームを戦った様子です。
フィールドの爽やかな風であった選手達に
『ありがとう』
を贈ります。

2012年7月22日日曜日

先祖の記憶


昨日父方の従兄弟頭の兄さんが亡くなったとの連絡がありました。
そして今日は通夜でした。

通夜の後、私の兄とともにしばし喪主のはとこと談笑しました。
彼らの祖父さんがどんな人であったか、また曾祖父さんがどんな人であったかという話をしました。
『彼らのお祖父さん』は、父の兄です。父とその兄の関係を端的に表した一枚の写真が家に残っています。
その写真は戦前(もしくは戦中)にどこかの写真館で撮られたもので、軍服に身を包んだ二人が並んで写っています。
叔父は陸軍で、父は海軍でした。
叔父は軍服をきりりと着こなし背筋を伸ばして真っ直ぐ前を向いています。
父は叔父の左隣で襟を開け、少し砕けた様子で写っています。
そう、しっかり兄さんとやんちゃな弟、という風采なのです。

叔父はまさにしっかりした人でした。商売人で折り目の厳しい人でした。
でも私の父は、やんちゃとはほどとおい、口数が少ない、けれども躾に厳しい人でした。また余り人付き合いが上手でない人でもあったように思います。字が上手で、手先が器用で何でも作ったり修理をします(できばえはあまり美しくありませんでしたがね)。

タバコは吸うが、酒は口にしない人でもありました。
何故に酒を飲まなかったのか?これは私の長年の謎でしたが、今日一つの答えを知りました。『彼らの曾祖父さん』、つまり私達の祖父さんが原因であったと兄が語りました。

『私達の祖父さん』には会ったことがありません。私が生まれる前に亡くなっていたからです。でも兄は知っていました。幼い頃、大きな腕でだっこして貰った記憶があると語りました。
私に祖父さんの逸話を最初に語ってくれたのは、亡くなった従兄弟頭です。
祖父さんは体躯の立派な人で醤油屋を営んでいました。
後年は店を子供に任せ、読めもしない新聞をもって、日々好きな競馬に通うという、ちょっと砕けた人であったと聞きました。
それに加えて、今日兄が語った祖父さんは、とても大酒飲みであったという事です。
それが為、父は(そして叔父さんも)飲酒を戒めていたと語りました。

この様な、家族親族の歴史を語り合えるのも、葬儀の会くらいになりました。
そして昨日、一番の伝承者が亡くなりました。先祖の記憶はどんどん乏しくなっていきます。