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映画「ナチュラル」の名台詞を、大谷翔平選手に贈ります。

大谷翔平選手が、信頼する人に裏切られ欺され巻き込まれた疑惑について、自ら矢面に立って会見を開き、大勢の記者とテレビカメラの前で、自らの言葉で、今公表できる事実をしっかりとした口調で伝えてくれました。 その会見が開かれた日、NHKシネマで野球映画の名作「ナチュラル」(The Nat...

2017年6月24日土曜日

唸る剛速球

7回裏、ダルビッシュ有投手がヤンキースの若き大砲ジャッジ選手に投じた六球目は、ストライクゾーンに構えた捕手のミットに突き刺さる、まさに唸る剛速球でした。
MLBで初めてのダルビッシュ有投手と田中将大投手の投げ合いは、回を追う毎に、解説の斎藤隆さんが言われる「ゾーン」状態、いわゆる研ぎ澄まされた集中状態に入り、両投手ともアウトの山を築きました。ダルビッシュ有投手は、言い過ぎかも知れませんが、ヤンキースの打者に畏敬を持たれているのではないかと思うほど、完璧な支配でした。
田中将大投手は、リズムのよい投球で低めを丹念に付き、ピンチを迎えても味方野手の好プレーにも助けられ、零の山を築きました。
雨で一時間近く遅れて始まり、試合中も降雨という悪コンディションが続く中で、二人の日本人投手は、今年最高のパフォーマンスを見せてくれました。二人とも、この試合まで例年にない酷い成績でしたが、この試合が切っ掛けとなって、再びエース街道を歩み出してくれること、大いに期待します。

https://www.mlb.com/gameday/rangers-vs-yankees/2017/06/23/491211#game_state=final,lock_state=final,game_tab=videos,game=491211


2017年6月21日水曜日

分かりやすく丁寧に

テレビを観ていると、あるコマーシャルで起用されたタレントが「分かりやすく丁寧に」商品を伝えますと台詞を喋っていました。「分かりやすく丁寧に」は、最近よく耳にする言葉です。そう、安倍首相が国民向けの会見でよく使われる言葉です。

でも、説明したり弁明する人が「分かりやすく丁寧に」を使うのは、正しくない様に思います。本来「分かりやすく丁寧に」に続くのは、「話をしてくれて」あるいは「説明してくれて」そして「ありがとう」という風に、説明を聞く側が「ありがとう」の理由として使う言葉だと思います。
それが説明する側が「分かりやすく丁寧に」と言うと、何か上から目線で言われた様で、私は不快な気分になります。まして安倍首相がこの言葉を使うのは、疑惑の弁明や推し進めた法案の強硬裁決後の事後説明の時です。「分かりやすく丁寧」を聞く度に、安倍首相から、「分かりやすく丁寧に」話すからよく聞いて納得しなさい。と言い含められているような気分になります。

Google翻訳で「分かりやすく丁寧に」を英訳すると”Clear and polite”となりました。
これをさらに日本語に翻訳すると「明確で丁寧な」となりました。
説明するには、この”Clear”、「明確」さが一番大事だと思います。そこから、はじめて本当の議論が生まれるのだと思います。

2017年6月20日火曜日

車屋さんでの出来事

車のヘッドライトの球が切れたため、近くの車屋さんに出かけました。球の交換の間、事務所に入ってスポーツ新聞を読もうとすると、奥さんが出てきて「メニューから飲み物選んでね」と言って貰ったので、「冷たいコーヒーお願いします」と応えました。
すると奥さん、きびすを返しながら「はい、ホットコーヒーね」と言いながら去りました。思わずコケてしまいました。

夕方に別の車屋さんに別の要件で出かけました。ショールームの椅子に腰掛けて待っていると、空中を何かが忙しく舞っているのを目にした瞬間、自動ドアにぶつかって「ドンッ!」という大きな音がしました。いやっ、やってもたんちゃうか、死んでもたんちゃうか、と心配になりましたが、ドアは何事もなかったように開きはしません。その後も人の出入りがないので、ドアの直下の惨劇が見えません。店の人も奧のカウンターで何事もないように事務に忙しくしています。
決して、ドアに近づいて外の様子を見に行くことにしました。ドアの直下には、二羽の雀がいました。怪我をしている様子はありませんでしたが、一羽がぶつかり、一羽は危険を承知で側に寄り添っている様に見えました。

頭の天辺に禿げ地ができました。

時々、頭の天辺が痒くなります。痒くて、気付くと手で天辺をこすっています。するとそこに傷ができ、やがてかさぶたとなって、さらに痒さが増すのです。
今度はかさぶたをいじります。するとかさぶたは取れ、表皮に血だまりの穴ができます。
天辺がずきずき痛むようになって気付くんですね。触らなければよかったと。

また、先日から天辺が痒くなりました。わかっていた筈なのに、結局、血だまりの穴を作る事になりました。妻が薬を買ってきてくれて、ようやく痛み痒みは治まってきました。
どんなあんばいか、前屈みになって、頭の天辺を鏡に映しました。するとそこに禿げ地ができていました。
若い頃は、髪の毛はとても元気で、密集して生えていて、多すぎることに難儀するほどでしたのに、今では髪の毛は真っ白になって、細くなって、すかすかになってきました。それでも禿げ地はなかったのに、自分の手で、禿げ地を作ってしまいました。

2017年6月19日月曜日

ある週刊誌で、ヴォルテールの言論の自由の宣言を見つけました。

病院の待合室で読んでいた週刊誌に、先頃、一橋大学での講演会を中止に追い込まれた百田尚樹氏自らが執筆した、事の顛末記事が載っていました。
なんでも、レイシストの百田尚樹に学内で講演をさせてはならないと主張する人権活動グループが、執拗に開催中止を要求してきたため、講演会の実行委員会が安全を担保できないと判断し、中止になったとする経緯が綴られていました。
百田氏は、私はレイシストではないと断りを入れた後、ヴォルテールの『私は君の言うことを徹頭徹尾嫌悪するが、しかしそれを言う君の権利を死ぬまで擁護する』という言論の自由の宣言を引用し、執拗に開催中止を求めたグループを、「人権と表現の自由」を活動に掲げる人権活動家を名乗る資格はないと批判し、さらに彼らの正体についても言及していました。(以上は、誌面を読んだうろ覚えの記憶を頼りに書いています。念のため)

人は、目の前に並べられた幾つかの真実から、自分が気に入ったものを本当の真実として選び取る傾向があります。そして、たとえその真実に後でフェイクと疑いを持っても、なかなか宗旨替えする事が出来ない生き物でもあります。

今回の問題について、私は反対があって講演会が中止になったという事実以外、目の前に並べられた真実から本当の真実を選び取る事は来ませんでした。
百田氏はレイシストではないという真実も、これまでの彼の言動を見聞きしていて、そう言い切れるのかという疑念を持つし、中止に追い込んだ人権活動グループも、自分たちの正義を自己満足で強引に押し通している様で、彼ら側にも本当の真実がないように思えたからです。

私は百田氏が引用したヴォルテールの宣言を、「表現の自由、入門」(原題 FREE SPEECH 2009年ナイジェル・ウォーバーン、2015年森村進、たまき翻訳)を読んで知っていました。
フランスの哲学者ヴォルテールの『私は君の言うことを徹頭徹尾嫌悪するが、しかしそれを言う君の権利を死ぬまで擁護する』という宣言には、
ある人や組織の、言論や行為が、不愉快だから不都合だからと、自ら規制しようとするのは、それは、民衆が権力者との長い戦いの中で獲得してきた人権や表現の自由、言論の自由という権利を自ら傷つけることに他ならない。さらには、権利を再び権力者に奪い取られかねない。だから私たちは、どんなに嫌悪を抱く言論や行為であっても、それを容認しなければならない。絶対に規制を掛けてはならない。
という悲痛な覚悟を覚えます。
しかし、その覚悟が呪縛となって、現在に至り、自分勝手で、無責任で、不愉快で、さらには他者を傷つける言論や行為が、大手を振って行える社会を生み出してしまったことも事実だと思います。ですから、誰であれヴォルテールの言葉を、自分の主張の担保として使うべきではないと思います。