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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2015年5月13日水曜日

次男の仕事始めに、野球の素晴らしさに出会いました。

国恩祭の間、一本松連中と会食していた時にこんな話題が登りました。
連中が勤めている、役所でも、また大手企業でも、入社したばかりの若い人が数年も経たない内に簡単に辞めてしまうと云う話です。早い者なら、入社して一週間も経たぬ間に出社拒否に陥って辞めてしまいます。
大方の退職理由は、「仕事の不満」と「人間関係の不満」です。相談を受ければ納得できる理由もあるでしょうが、多くの場合は「我慢の無さ」と「身勝手さ」が真因である様に思います。

雇用する側にとって、時間と費用を掛けて採用した金の卵の若者を、さあこれから戦力として育てていこうとする矢先に辞められてしまうという事は、採用するのに掛かった時間や費用ばかりか、これからの事業計画まで台無しになってしまうと云うことです。

そして、だからスポーツ経験者、特に野球などの団体スポーツの経験者を優先して採用する傾向にあるという話が出ました。
スポーツ経験者は、体力があり、辛抱強い。また上手くなろうという向上心と上下関係の分別を備えているなど、OJT(オンザジョブトレーニング)を無事に乗り切り、独り立ちしてくれる期待が高いのだと思います。
それに加えて、団体スポーツの経験者は、自分の置かれている立場や役割を理解して、チームの一員としてチームの為に働いてくれるという期待があるのだと思います。

次男が仕事に就いて一ヶ月が経ちました。家族の前では、御多分に洩れず「しんどい」とかブツブツと不満を漏らしもしますが、それでも毎日仕事に出かけています。
そんな次男が、会社でこんな事があったと嬉しそうに話してくれました。
会社の上の人が、次男を知っていると話しかけてきたと云うのです。
その上司の方は、次男が小学生時代の少年野球大会で対戦したチームの監督をされていたそうで、一生懸命に野球をしていた次男の姿を覚えていると話をされたそうです。
次男は、6年生で主将となった少年野球チームがなかなか勝てなずに、いつもプレッシャーを感じていました。それが最後の大会で、チームは一丸となり次男もプレッシャーを感じさせない活躍を初めて見せてくれました。三試合を一人で投げ抜き自責点0、優勝には届きませんでしたが、次男にとっても家族にとっても晴れ晴れしい思い出となったあの試合が、なんと偶然にも、次男の上司の方にとっても懐かしい思い出となっていたというのです。
次男にとって、なんとも照れくさくもあり、また誇らしくもある出会いであったと思います。次男には、こんな貴重な出会いを大切にし、人の温かいまなざしや期待に応えられるように、仕事に精進して欲しいと思います。

そして、あらためて、野球って、野球繋がりって素晴らしいなぁと思います。

2013年2月18日月曜日

祝”第11回播磨灘少年野球大会優勝”


少年野球Aリーグのオール鹿島チーム(旧阿弥陀・北浜連合)松井監督から吉報が届きました。
オール鹿島が、第11回播磨灘少年野球大会に優勝しました。

『全員野球!』を信条に戦い抜いた小学六年生の16名の戦士が大きな栄誉を勝ち取りました。
オール鹿島の選手の皆さん、そして少年達を導いた監督をはじめコーチの方々、また少年達をしっかりと支えられた保護者の皆様へ、本当におめでとうございます!

2012年11月24日土曜日

北脇子ども会野球部の試合を観戦しました。


昨日の朝です。店に入ろうとした時、馴染みの子供たちが自転車に乗ってやってきました。
そして「今日はハルトも一緒や」と教えてくれました。見るとハルト君が一人駈けてきます。家からここまで走ってきたん?と尋ねると「ハイ!」と応えてくれました。
そして明日(つまり今日です)、小学校最後の大会があります、と教えてくれました。

そして今日です。
今日は、鹿島中学校野球部は加西球場で8:30から試合です。でもまだ酔っ払い状態でしたので観戦には行けませんでした。
酔いがだいぶんと治まった10時前、北浜小学校にソニー生命杯(学童少年野球大会)を観に行きました。1試合目は阿弥陀東が戦っていました。久しぶりに不断さんと会いました。試合が終わった後一度家に戻り、11時過ぎに再び学校に行くと、北脇子ども会野球部が試合の準備をしています。ハルト君がいました。”10”のキャプテン番号を背負っています。そして、耕太郎が6年生時、ハルト君とともに最年少コンビで可愛らしかったショウタ君が”1”のエース番号を背負っていました。他の子供たちもなかなかの若武者でした。
曽根西との試合が始まりました。先攻は曽根西です。
ショウタ君はなかなかの速球で無難な立ち上がり、1回を0点に抑えます。
その裏の北脇の攻撃は鮮やかでした。
1番SSのハルト君がレフト前ヒットで出塁し、すかさず二盗三盗を決め、次打者の内野ゴロの間にホームを駆け抜けました。3回裏も四球で出塁した走者を三塁まで進め、エラーやヒットで2点を加点し、3-0とセーフティリード。
しかしここから曽根西の猛追が始まりました。4回表、ショウタ君の球を見極め次々に四球を選び、満塁。そして押し出しとヒットで2点を返すと、5回表にも1点を入れて同点となりました。
最終回となった5回裏、二死からハルト君がヒットで出塁しました。そして二盗し、さらにチャンスを広げようと三盗を試みましたがあえなく刺殺となりゲームセット。試合は引き分けで終わりました。

チーム 123 45
曽根西 000 21
北脇子 102 00

低温で、また冷たい風が時折吹き抜けるグラウンドでしたが、少年達の歓声(そして父母の応援)がとても熱かったです。北脇子ども会野球部の4名の6年生は、明日からAリーグチームに参加すると聞きました。監督は熱血漢の松井さんです。彼らがこれからどんな野球選手に成長していくのか楽しみになってきました。