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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年8月11日土曜日

韓国イ・ミョンバク大統領が竹島に上陸、で思ったこと


昨日、韓国イ・ミョンバク大統領が竹島に上陸し、この島の領有権を主張しました。
許されない行為です。ですが、韓国大統領の逸脱したこの行為を日本政府が外交力でなんとしても阻止しなかった事に一番の怒りを感じます。

日本の国土は、中心を成す四島以外にごまんの島で形成されています。
それは様々な歴史的背景があって日本人が信ずる国土となっています。
日本は国土から産出できる資源が乏しい国ですが、一方国土の四方に広がる海は資源の宝庫であります。日本人の食の根幹である水産物はもとより、近年では日本近海の底には膨大なメタンハイグレードなる化石燃料が眠っていることも判明しました。
そして今や、広大な領海を成す為の小さな遠島が、日本の将来を握る鍵となっています。

世界に目を向ければ、21世紀は太平洋の時代といわれます。大陸の大国は挙って大海に開かれた港を求めます。
ロシアは2010年、占領支配している北方四島に時の大統領メドベージェフが訪問しました。また、中国は日本の南西に長く広がる尖閣諸島を武力をちらつかせて固有の領土を主張します。
その行為は、20世紀までであれば、十分に戦争の糸口となった筈です。
現在の様な世界同時不況下であれば、自国民のはけ口を国外に向けさせるのは容易です。
そして戦争を起こして、利益をむさぼろうとする悪者の存在も感じます。

私は、そして私達日本人は、それでも戦争を望みません。
また、対立する国の多くの国民も戦争など望んでいないはずです。

韓国は、特に2000年以降、商業文化が先導して、友好が広がってきました。
しかし二国間には、今も過去の戦争が生んだ歪んだ感情が深く根付いているのも事実です。しかし歴史をもっと長く観たならば、日本の黎明期に、大陸の文明は朝鮮半島を通じてもたらされました。そして半島からの渡来人は、日本の各地で文明の開化に尽力しました。
韓国は日本にもっとも近い国です。距離的にも時間的にも、そして民族的にもです。

日本人は、世界中に友人がいます。ですが日本国として、肩を組み、互いに励まし合って支え合える、真の友国を持っていません。
物質主義の時代は終わりました。物質主義の末路が退廃でしかないことを私達は経験しました。これから本当に目指さなければならないのは、協調、協力、信頼を信奉して進むことだと思います。
韓国は、その信奉を捧げる最初の国としなければなりません。

正直、歴史や歴史観というものはとても曖昧で、かつ歪曲されれているという実感を持っています。歴史を知ることはとても重要ですが、それで感情を左右されるのはナンセンスです。今、目の前にいる人を、国をしっかりと見つめて、学んで、そして今日を明日を、共に歩んでゆく道を選び抜くことが肝要です。

21世紀が海洋の時代であるならば、共に海洋を開拓して、恩恵を分かち合う、それが手立てとなって日本が真の友国を持つ事ができれば、最高に幸せなことだと思います。

ハーツでハイスコアーをマークしました。(*^_^*)


Windowsゲームのハーツで、ハイスコアーをマークしました。
たぶん20年近く遊んでいて最高のゲームでした。というよりあっという間に勝ってしまいました。
0 26 26 26
0 26 26 26
0 26 26 26
0 25 0 1
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0 103 78 79
4回目もシュート・ザ・ムーンなら完全勝利でした。

2012年8月9日木曜日

今日は長崎に原爆が投下された日です。


最近、『地獄』という絵本が大人気になっているといいます。
悪いことをしたら地獄に落ちる、地獄とはこんなに恐ろしい世界なのだ、
そう小さな子供たちに諭すのです。
でもこのような戒めは、私の子供の頃は常識でした。でも現在のようにビジュアルで訴えるわけではありません。押し殺した肉声と、暗闇、音、薄光、それが心の内に芽生えた恐れを否応なく増幅しました。

でも、心の内に芽生えた恐怖よりも、もっと恐ろしく、もっと深く悲しい事実を、私は絵本を通じて学んだことがあります。

丸木俊さん作『ひろしまのピカ』と
早乙女勝元さん作『猫は生きている』です。

『ひろしまのピカ』は、広島に生きる健気な家族を通じて原爆のむごたらしさが描かれています。
『猫は生きている』は、東京大空襲で、火焔地獄と化した町でむごたらしく焼き殺される命が描かれています。
怒り狂うどう猛な炎が、命を頂いていたモノを小さな墨に変える様が描かれます。
ページをめくる度、涙がこぼれました。
でも描かれている世界は『地獄』ではありません。現実の世の世界です。
そこに登場する人々は何一つ悪いことなどしていないのです。
そこに描かれているのは、戦争が招く理不尽さです。冷徹さです。人が成した恐ろしさ、おぞましさです。

私は、広島にも長崎にいったことがありますが、ともに美しい町です。
ですが67年前、二つの町は原爆によって一瞬にして焦土となりました。
多くの命が一瞬で焼き殺され、そして命はなんとか長らえたものの、その後死ぬまで原爆の火に苦しめられた人々も大勢います。

戦争が、そして原爆がどれほどに醜くおぞましいものか、そしてそこに生まれた深い悲しみは決して繰り返してはならない事を、
私達ひとり一人がしっかりと心の内に育み続けなければならない、そう思います。

2012年8月7日火曜日

昨日、『ダークナイトライジング』観ました。


この夏、本当の恐怖を味わいたければ、そして本当の救いを体験したければ、
『ダークナイトライジング』を観ることです。
そして、より楽しむ為のアドバイスがあります。
この『ダークナイトライジング』は、クリストファー・ノーラン監督『ダークナイトサーガ』三部作の最終章です。本当の恐怖(言い換えれば悲劇的な愛)は
第一章『バットマンビギンズ』から始まっています。連綿なる、深遠なる物語の結びを味わう為に、
バットマンビギンズ
ダークナイト
を見返してから、堪能してから、この最終章を観賞される事をお薦めします。

私は映画を見終わっても、心の震え(感動です!)がなかなか収まらなかったです。
近年の作品では
『シンドラーのリスト』
『ラストサムライ』
以来の、一段上の感動体験でした。

そして、もう一つ
この『ダークナイトライジング』のアメリカ公開当日に、凄惨な事件がありました。
上映映画館内で、冷徹な傭兵ペインに扮した実行犯が、銃を乱射し、多くの人命を奪ったのです。ですがこの映画を観て、人の命を欲するという欲情を煽る映画ではない事がハッキリしました。そして、この映画にかこつけて、殺戮を犯した犯人に強い怒りを感じます。

p.s.
よく推敲して、感想を書きたいと思います。

2012年8月6日月曜日

今日は8月6日、世界で初めて殺戮の為に原子爆弾が投下された日です。


今日は8月6日、世界で初めて殺戮の為に原子爆弾が投下された日です。
ちょうど67年前、昭和20年8月6日(月)午前8時15分
エノラ・ゲイから投下されたリトルボーイが広島市街地上空で炸裂、
それは放射能と熱線渦巻く火の玉となって、町をそして人々を焼き尽くしました。

私達は昭和の時代、そして平成に入ってからも、八月になれば
8月6日を
そして、
同じく8月9日、長崎に原子爆弾が投下された日を、
終戦が公になった8月15日を、
忘れない日として過ごしてきました。

1956年、日本は『もはや戦後ではない』とする白書を出して、近代化、そして経済成長へと舵を切り猛進し始めました。
ですが、60~70年代の高度成長期に生まれた私どもの世代にも、原風景として戦後の風景が記憶にあります。そして何か重いものを背負った様な父母の記憶が残っています。心理的にまだまだ戦後が影を落としていました。またそれが、躍進の原動力ともなっていました。

しかし西暦2000年以後世界は一変し、あらゆる事が一国では立ちゆかなくなりました。
政治、経済、金融、食料、雇用、教育、安全、情報・・・等々です。
そしてこれまで盲信していた事柄が次々に瓦解し、共通の倫理よりも個々人の正義が勝る世が到来しました。
八月の三つの日が教訓とする
『やってはいけない事は、二度とやらない』
という共通の倫理させ、正義の身勝手さの前に有名無実と成り果てました。

原子力の問題も然りです。
今、原子爆弾はどれくらいの国が保有しているのでしょうか?おそらく10は下らないでしょう。大国もあれば小国もあり、テロ国家と呼ばれる国が保有している可能性もあります。長崎以後、何十万人を一度に殺戮するという原子爆弾の使用はありませんが、劣化ウラン弾は中東紛争で使用されています。
『やってはいけない事』が、いつ起こってもおかしくない事態なのです。

そして原子力エネルギーの電力として平和利用ですが、
福島原発の事故から、盲信された原子力発電所の安全神話は瓦解しました。
3.11と同等かそれ以上の地震や津波が各地にある原発を直撃すれば、深刻な汚染を避けることができないことを実感しました。
そして性急な主張、『原発を今すぐ0にする』という正義が台頭してきました。国会前では多くの国民が集まってシュプレヒコールを繰り広げてきます。『原発は悪』と叫ばれる様になりました。
原子力エネルギーは、化石燃料を保有しない国家にとってエネルギーを国民に安定供給できる唯一のエネルギーです。その恩恵を私達日本人は受けてきました。
しかし原子力エネルギーは、私達人類が完全にコントロールできない恐ろしさを秘めています。それが今、白日の下にさらされたのです。
この春、日本の原子力発電所はすべて稼働を停止しました。そして、夏までに稼働を再開しなければ計画停電をする事態となりました。
計画停電とは、都市機能、経済機能、物流機能等々のあらゆる機能が一時であったとしても完全に止まってしまうという事です。近代国家にあるまじき事態です。
そういう事態が今後も続くことを踏まえて、すべての日本人が『原発を今すぐ0にする』という正義を支持しているとは思えません。しかし、ここまで正義か悪かという論法が進んでしまうと、原発は今必要だ、とする意見は悪としてまともに発することができなくなりました。

日本国民の気性には、性急さがあります。立ち直りや成長において、その気性はとても力強いエネルギーとなります。
その力をもとに、戦後日本は、近代化そして経済の急激な成長を成しました。
ですが現在の日本ははっきりと衰退期に入っています。
この衰退期に急激な変化を求めるのか、それとも緩やかな変化を求めるのか、その国民の総意を計ることこそ今一番必要な事と思います。

私達はその成長期、発展期において、湯水の如くお金を使い、エネルギーを、そして食料を膨大に消費してきました。私達は消費に頼った豊かさに幻惑されていたのだと思います。
消費は渇望を生み、渇望は身勝手さを生みます。

私は、『100』か『0』かという性急な変化ではなく、
緩やかな変化を求めます。そして、一歩ずつしっかりと歩み出すことを求めます。
その歩みの中で、既成のあらゆる疲弊した、老衰したシステムを変革していけば良いと思うのです。

そしてまた私達は、本当の快適さ、豊かさに立ち戻らなければならないと思います。
本当の快適さ、豊かさとはなんでしょう?
それは、自然と共生して生きていく中で、小さな喜びを積み上げてゆくことであったと思います。小さな快感に出会うことであったと思います。
そういう環境の中で、心と体がおなじペースで成長してゆくことであったと思います。

八月の忘れない日、忘れてはならない日に、
過去を思い返し、現在を見つめ、そしてより良き未来を思い描く、
その様にして過ごしたいと思います。

真夏の夜の夢~ロンドンオリンピック100m決勝~


早朝、そしてロンドンでは真夏の夜
ロンドンオリンピック100m決勝を見ました。
堅強な偉丈夫達の中でも首一つ抜きん出ているボルト選手は、やはり桁違いでした。
まるでサラブレッドの様に、筋肉が躍動するそのフォームは力強く優雅さがありました。
そしてオリンピックレコードで連覇を果たしました。

2012年8月5日日曜日

少々夏バテ気味なのです。。。


おはようございます。
朝起きると、朝日の長く赤く強い光が町を貫いていました。
光とともに少々強めの東風も町を貫いてゆきました。
空は真っ青です。西の空に透明な月がありました。

金曜日、健康診断を受けに行き、諸処の検査の後、医師から
「どこもかしこも健康です」なるような言葉を頂きました。
喜んで、午後長歩きを楽しみました。

12時過ぎに家を出て、
浜国を八家まで歩き、
小赤壁→福泊→八家→大塩、と海岸線を東に歩き

天川を渡って、合宿中の松陽高野球部の様子をのぞきに行き
すき屋でニンニク牛丼を食した後、
中筋から再び天川を渡って
牛谷→馬坂→北浜一本松ハイキングコースを巡って

6時前に自宅に帰り着きました。

心地の良い長歩きでしたが、その後のクールダウンを失敗したようです。
これまでは風呂に入って汗を流し、風呂上がりさっと涼風を頂いて
その後はまた外気温に身を置いて、水分補給しながらじっくりと体のほぐれを待ちました。
しかしこの日は、長く冷房に身を置いたのです。
当然ながら、気持ちも肌もさらさらになってとても気持ちよかったですが、
疲労した足の疲れは、翌日になっても取れませんでした。

昨日は、夕涼みがてらTom'sのナイターゲームを観戦するのを楽しみにしていたのですが
仕事から帰っても足の疲れ、しびれは収まらず、外出せずに寝ることにしました。
そして今ですが、
まだ足の疲れは完全には取れていません。快適さの代償はなかなか厳しいものとなりました。