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差別の天秤

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2012年8月6日月曜日

今日は8月6日、世界で初めて殺戮の為に原子爆弾が投下された日です。


今日は8月6日、世界で初めて殺戮の為に原子爆弾が投下された日です。
ちょうど67年前、昭和20年8月6日(月)午前8時15分
エノラ・ゲイから投下されたリトルボーイが広島市街地上空で炸裂、
それは放射能と熱線渦巻く火の玉となって、町をそして人々を焼き尽くしました。

私達は昭和の時代、そして平成に入ってからも、八月になれば
8月6日を
そして、
同じく8月9日、長崎に原子爆弾が投下された日を、
終戦が公になった8月15日を、
忘れない日として過ごしてきました。

1956年、日本は『もはや戦後ではない』とする白書を出して、近代化、そして経済成長へと舵を切り猛進し始めました。
ですが、60~70年代の高度成長期に生まれた私どもの世代にも、原風景として戦後の風景が記憶にあります。そして何か重いものを背負った様な父母の記憶が残っています。心理的にまだまだ戦後が影を落としていました。またそれが、躍進の原動力ともなっていました。

しかし西暦2000年以後世界は一変し、あらゆる事が一国では立ちゆかなくなりました。
政治、経済、金融、食料、雇用、教育、安全、情報・・・等々です。
そしてこれまで盲信していた事柄が次々に瓦解し、共通の倫理よりも個々人の正義が勝る世が到来しました。
八月の三つの日が教訓とする
『やってはいけない事は、二度とやらない』
という共通の倫理させ、正義の身勝手さの前に有名無実と成り果てました。

原子力の問題も然りです。
今、原子爆弾はどれくらいの国が保有しているのでしょうか?おそらく10は下らないでしょう。大国もあれば小国もあり、テロ国家と呼ばれる国が保有している可能性もあります。長崎以後、何十万人を一度に殺戮するという原子爆弾の使用はありませんが、劣化ウラン弾は中東紛争で使用されています。
『やってはいけない事』が、いつ起こってもおかしくない事態なのです。

そして原子力エネルギーの電力として平和利用ですが、
福島原発の事故から、盲信された原子力発電所の安全神話は瓦解しました。
3.11と同等かそれ以上の地震や津波が各地にある原発を直撃すれば、深刻な汚染を避けることができないことを実感しました。
そして性急な主張、『原発を今すぐ0にする』という正義が台頭してきました。国会前では多くの国民が集まってシュプレヒコールを繰り広げてきます。『原発は悪』と叫ばれる様になりました。
原子力エネルギーは、化石燃料を保有しない国家にとってエネルギーを国民に安定供給できる唯一のエネルギーです。その恩恵を私達日本人は受けてきました。
しかし原子力エネルギーは、私達人類が完全にコントロールできない恐ろしさを秘めています。それが今、白日の下にさらされたのです。
この春、日本の原子力発電所はすべて稼働を停止しました。そして、夏までに稼働を再開しなければ計画停電をする事態となりました。
計画停電とは、都市機能、経済機能、物流機能等々のあらゆる機能が一時であったとしても完全に止まってしまうという事です。近代国家にあるまじき事態です。
そういう事態が今後も続くことを踏まえて、すべての日本人が『原発を今すぐ0にする』という正義を支持しているとは思えません。しかし、ここまで正義か悪かという論法が進んでしまうと、原発は今必要だ、とする意見は悪としてまともに発することができなくなりました。

日本国民の気性には、性急さがあります。立ち直りや成長において、その気性はとても力強いエネルギーとなります。
その力をもとに、戦後日本は、近代化そして経済の急激な成長を成しました。
ですが現在の日本ははっきりと衰退期に入っています。
この衰退期に急激な変化を求めるのか、それとも緩やかな変化を求めるのか、その国民の総意を計ることこそ今一番必要な事と思います。

私達はその成長期、発展期において、湯水の如くお金を使い、エネルギーを、そして食料を膨大に消費してきました。私達は消費に頼った豊かさに幻惑されていたのだと思います。
消費は渇望を生み、渇望は身勝手さを生みます。

私は、『100』か『0』かという性急な変化ではなく、
緩やかな変化を求めます。そして、一歩ずつしっかりと歩み出すことを求めます。
その歩みの中で、既成のあらゆる疲弊した、老衰したシステムを変革していけば良いと思うのです。

そしてまた私達は、本当の快適さ、豊かさに立ち戻らなければならないと思います。
本当の快適さ、豊かさとはなんでしょう?
それは、自然と共生して生きていく中で、小さな喜びを積み上げてゆくことであったと思います。小さな快感に出会うことであったと思います。
そういう環境の中で、心と体がおなじペースで成長してゆくことであったと思います。

八月の忘れない日、忘れてはならない日に、
過去を思い返し、現在を見つめ、そしてより良き未来を思い描く、
その様にして過ごしたいと思います。

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