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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月19日土曜日

フラストレーションが溜まった『高砂中との練習試合』

本日3/19(土)、鹿島中に高砂中野球部を招いて練習試合が行われた。


第1試合は9:00から、鹿島中の先攻で始まった。
初回二死から3番幸伍が左中間二塁打を放つも得点にならず。

2回先頭打者5番拓樹が左中間二塁打を放ち、耕太郎が送って一死三塁のチャンスを作るも後続が続かず無得点。

3回二死から2番雄大が左中間二塁打を放つも得点ならず

先発の雄大が、ここまで高砂中打線をしっかりと押さえ込んでいたため、余計に、繰り返しチャンスを潰す攻撃に、フラストレーションが溜まる。


鹿島中には、『沈滞ムードを一変する元気印、声を出してチームを鼓舞する選手』が欲しい。大声で叫びたいほどにだ!

4回裏からセットアッパーとして凌がマウンドに立つ。

二つのエラーにより、ピンチを招くが、高砂中の走塁ミスに助けられ、この回零封。凌はこの後、7回までの4回をきっちり押さえた。


6回表、先頭打者幸伍レフト前ヒット。真己が送って一死二塁。

期待の拓樹が投手ゴロとなり幸伍が二三塁に挟まれて刺殺。その間に拓樹は二塁に進塁。そして6番耕太郎が、センター強襲のヒットで、拓樹が還って1点先取。

(耕太郎の打球は、大きなフライであったが、センターのグローブに触っていたのでヒットとは言いがたいし、また大飛球でありながら、二塁に進塁できなかった消極的な走塁は、いけいけムードに水を差すものであった。耕太郎には、否、鹿島中選手には、当たり前に積極果敢なプレーが行える選手に成長して欲しいと願う)
これが決勝点となり、第1試合は鹿島中が勝利。

第2試合は10:45から、鹿島中の先攻で始まった。
初回二死から、幸伍四球、拓樹レフト前ヒット、ダブルスチールで二死二三塁とチャンスが広がったが、5番耕太郎見逃し三振で得点にならず。

鹿島の先発は英祐。

1回裏、先頭打者への四球とWPが重なり打者走者が二進し、次打者が送って、一死三塁のピンチ。三番打者はしっかりレフト前に打ち返し、先制となる1点を奪われた。

3回表先頭打者凌は、ライト線を抜く鋭い当たりを放つも、走塁指示のミスにより、本塁で憤死。

3回裏、一死から四球の打者走者が盗塁。ボークで三塁に進塁した後、次打者にしっかりレフト前に打ち返されて2点を奪われた。

6回表、二死から5番耕太郎がこの試合2本目となるセンターへのヒットを放って出塁。真己のセンターオーバー二塁打で耕太郎が生還して1点を返す。

そして、続く代打孝鯛も、センターオーバー二塁打を放ち、真己を迎え入れ同点。

この後、孝鯛が三塁に進塁、帆岳の打球は強烈であったが、センターライナーとなり、この回同点止まり。

6回裏は守備で魅せてくれた。ノーアウトでセンター前の当たりを耕太郎が一塁へ送球しセンターゴロに打ち取れば、二死後、四球、ボークで二進したランナーが三塁盗塁を試み、拓樹からの送球が少し右にそれたものの、幸伍が上手くボールを捕球し、走者を刺殺した。

先発の英祐は、再三のピンチを迎えるも、落ち着いたピッチングで追加点を許さず、試合を作った。
7回裏、セットアッパーとして凌がマウンドに立ち、1安打を許すも、後続をしっかり押さえて、この試合、引き分けとした。


高砂中はこの数年、部員数の伸び悩みで、チームとして厳しい状況にあるなぁと感じているが、今チームは、エースを中心に試合を競い合う力を十分に持っている、と感じています。

鹿島中は、本日の試合の様に、チャンスを何度も潰す拙攻を繰り返す様であれば、今後は勝機を作り出すこともままならず、勝負運も離れてしまうことでしょう。
そうならないためにも、選手個々が、勝負運を招き入れる努力、毎日の練習をそれぞれが課題を持って取り組み、いざ試合では自信を持って、勝つことだけに集中して取り組むことです。ゲーム中、集中力を欠くことなど言語道断。プレーがかかり、ゲームセットがコールされるまで、一心不乱にゲームに集中して欲しいです。

本日、藤原監督から、第24回高砂市中学校春季軟式野球大会(会期 4/9-10)のトーナメント表を頂きました。鹿島中の初戦の相手は高砂中です。
今日の借りをきっちり返して、そして勝ち上がって欲しい。鹿島中を除く、高砂市中学校軟式野球チームの6校とも、鹿島中と同様に、厳しい冬のトレーニングを積んで、一回りも二回りも大きく、強くなっていることでしょう。でも、鹿島中の野球部員、君たちもそれに負けず劣らず、否、それ以上のトレーニングを積んできています。
過信は禁物だが、やりきった自信はもっていい。自分を信じ、チームメイトを信じて、深紅の優勝旗を目指して勝ち上がって下さい。期待しています。

p.s.
選手達を見て感じることですが、タイプとして、バッティングの好調さが守備やその他の軽快さに繋がる選手がいます。また、守備でリズムを作り、それがバッティングに良い影響を与える選手もいます。また少ないですが、あまり顔に出さずに淡々とこなせる選手もいます。それぞれが、最高のパフォーマンスを出せる状態で、試合をさせたい、そこに指導者のジレンマがあるのだと思います。

2011年3月18日金曜日

絵本『大きな木』読後感想

『1Q84』で一昨年、昨年と再び文壇の寵児となった村上春樹さん。
村上春樹さんは、オリジナル小説やエッセイを執筆される以外にも、往年の名作、レイモンド・チャンドラー作『The Long Goodbye』やF・スコット・フィッツジェラルド作『The Great Gatsby』、J・D・サリンジャー作『The Catcher in the Rye』等、多数を新意訳されています。
絵本も同様、クリス・ヴァン・オールズバーグ作『The Polar Express』も、そして今回取り上げた、シェル・シルヴァスタイン作『The Giving Tree(邦題:大きな木)』も昨年秋、新意訳され話題となりました。

家にあった『大きな木』は、妻がまだ保育士駆け出しの頃に購入したと思われる、本田錦一郎さんが1976年に翻訳出版されたものの第30刷(1987/4~)です。因みに原書初版は1964年に出版されています。

ブラックインクのペンによる均一な線画と、現在のTwitterよりも短い文で物語が綴られています。

「むかし、りんごのきがあって・・・」からはじまり

りんごの木は、ある少年の絶好の遊び相手となります。
しかし少年は成長して青年となり、ガールフレンドができ、
遊ぶ金が入り用となると、りんごの木に無心し、
りんごの実をすべてもぎ取り、持ち去ってしまいます。

年月が流れて、ひょっこり現れたかつての少年は、
大人となり、家族を持つために家を無心します。
そして家を建てるために、枝をすべて切り払って、
持ち去ってしまいます。

そしてまた、長い長い年月が流れて、
ひょっこり現れたかつての少年は、
すっかり人生に疲れた老人となり、
この世界から逃げ出す舟を無心し、
舟を作るために、りんご木の幹を切り倒して、
持ち去ってしまいます。

りんごの木は何もかも失ってしまいますが、
それでも少年に施しができたことを喜びます。

そしてさらに年月は過ぎ去って、
かつての少年であった老人が帰ってきます。
老人はすっかり疲れ果て、ただ休みたいと、
かつてのりんごの木の切り株に語りかけ、
そして切り株の指示に従い、こしかけます。

木はそれでうれしかった・・・

という物語です。

原題を直訳するならば、「優しい木」あるいは「親切な木」ということになります。では邦題の「おおきな木」はどうでしょう。私は「おおきな」からは「大らかさ」「父のような逞しさ」或いは「母のような広い愛」を想像しますが、この物語は、そのどの連想にも合致しません。

では、視点を変えて、木は『神』でしょうか。『神』は、良きものもお与え下さいますが、試練も与えられます。
では、木は『悪魔』でしょうか。『悪魔』は、陥れ、すべてを奪います。
この様に見ていくと、木から与えられた、もしくは木から奪った人は、本編では触れられてはいませんが、必ずしも幸せではなさそうです。
そして、人生の最後に、その最初の出会いと同様に、木のもとに安らぎを見いだします。
とすると、木は『神』ということになるのでしょうか。

『西遊記』の釈迦如来と孫悟空の逸話と同様に、結局人は、どんなにわがまま放題に振る舞ったとしても、所詮は、大いなる存在の手のひらの内で戯れるだけの存在なのだ、作者はそう仰っているのかもしれません。

今回、書店で村上春樹さん新訳の絵本も手に取り、読みましたが、装丁は全く一緒、異なるのは文だけです。村上春樹さんの訳は、凄く丁寧でした。
私は、本田錦一郎さん訳の、人の子の『ぶっきらぼう』や木の『マゾヒズム』が、異様で、また哲学的でもあり好きです。

作者であるシェル・シルヴァスタインさんの略歴を見ると、詩人、児童文学作家、漫画家、歌手、演奏家、作曲家とマルチに活躍されていたようです。その風貌は、丸坊主に顎鬚、ブルージーンズをはき、カウボーイハットをかぶる、アメリカ中西部の男そのものです。十代の頃、月刊プレーボーイを開いたことがある同輩はお分かりになると思いますが、妖艶なプレイメイトの挿絵、エロティックもしくは風刺の効いた漫画の作者だ、と言えばお分かりになると思います。

大震災から一週間、私に何ができるか?

東北・太平洋沿岸を襲った大震災から今日で一週間です。
地震による、津波、激震の被害、余波はあまりにも甚大で、こうも世界が一変するものかと唖然としてしまいます。そして、現在も大規模な余震が続き、原発被災事故は予断を許さない状況です。

ただ、非常時においても、暴動や略奪行為もなく、辛抱と助け合う日本人の姿が、世界中のメディアを通じて世界中に発信され、日本人の良き一面が、驚きと共に賞賛されています。また、生命の危険を顧みず、原発被災事故による放射能被害を食い止めようと現場で戦う「50名の顔を隠した無名の作業員たち」を米紙などでは、『最後の砦の勇気ある者』として紹介されています。

3月も半ばというのに、第一級の寒波が被災地を襲い、食料、暖房、灯りの乏しい中で約50万人の人々が堪え忍んでいます。日本中から、世界中から危険を顧みず、救援物資を運び、救助活動の為に現地入りされる方が数多くおられます。
これまでの、日本の医師免許がなければ日本で医療行為ができない、という医師法も特例法により受け入れを可能にして、海外からの善意ある医療チームを受け入れて、もはや日本人だけでは到底対応しきれない医療、看護が必要な最前線で尽力頂いている状況です。

被災地以外の自治体も、『緊急疎開』や『ホームスティ』など、被災者の救済に本格的に動き始めています。『人』『物』『金』意外にも『助け合う』という精神が大きな運動の輪を育み始めています。

私の周りにも動きがあります。ある知人は、消防隊員としてこの30日から一昼夜掛けて、宮城県を目指し、津波被害が甚大であった釜石、三陸町で救援活動に従事するとのことです。
また、別の知人は、『今の私には何も出来ない、出来る事は、しっかり稼いでおくことぐらい』と、取りようによっては不謹慎な言動にも聞こえますが、本人はいたって人情家で、つまり今、働ける者がしっかりと働くことこそ、復興の一助となる、と考えているようです。
私は躁鬱症状が快方に向かっているとはいえ、無職、義援する蓄えもありません。しかし、傷ついた子どもたちや年配者の方たちに、たとえば絵本や本を朗読し、また日本の美しい唱歌等を歌って、心に生きる灯火を繋ぐ一助ができるかもしれない。また話をとことん聴き、心の中の悲しみ、怒り、憤りを受け止める一助ができるかもしれない。そういった事で、役立てるのならば、思いっきり働かせて頂きたい、と一心に願います。

2011年3月15日火曜日

日本の国難に際して、私たちが取り組まなければならないこと

3月11日に東日本を襲った地震は、有史以来最悪の自然災害となり、また、これまで人類が経験したことのない放射能災害を引き起こそうとしています。

未曾有の津波、激震、地盤沈下、それに伴うライフライン、建造物の壊滅、そして多くの人命が失われました。地震発生から4日です。これからも、日一日甚大なる被害実態が明らかになるでしょう。私たちはもはや、悲しみを通り越して、この国がどうなってしまうのかという、漠然たる不安を感じ始めています。

阪神大震災を経験した私は、数週間後、電車が三宮まで復旧し、乗り込んだとき、まだ陽が明け切らない、長田界隈に灯りが一つもない不気味さを感じ、そして三宮に降り立った時、多くのビルの崩壊を目にしました。フラワーロードは波打ち、ところどころでアスファルトが裂けていました。バスに乗り込み、芦屋駅まで43号線を走りましたが、バスは橋脚が折れて横倒しになった阪神高速神戸線の下を暫く走り続けました。道の沿線にあるマンションはどれもバルコニーが崩落していました。東灘から芦屋に掛けては、崩れた木造家屋をただ眺めるだけでした。
あの震災は、それでも都市災害、地方災害という扱いであったと思います。マスコミのキー局はすべて東京にあり、マスコミの報道と被災地域に住む私たちとでは温度差がある、そう感じたものです。

ただ、この度の地震は、東北、関東の多数の都県が被害に見舞われ、震源被災地はもとより、日本の政治、行政、経済、文化等すべてを司るあらゆるシステムの中枢都市東京が麻痺状態に陥っています。

今回の災害は、未曾有の自然災害であるとともに、何年も前から予測されていた災害に対して、具体的な対策(国家レベルでの対策)を講じてこなかった人的災害とも見なせる、と感じています。ただ、現時点では非難をする場合ではなく、国家レベルでこの国難を、どう乗り越えてゆくか、それを考え、実行しなければいけません。

まず、菅首相には、国家非常事態宣言を発令され、被災地ではない西日本にも、被災地への物資、また人的派遣を要請するだけではなく、国家レベルで、日本人全体でこの国難に対応する様々なオプション、たとえば『疎開』、『ホームスティ』等、考えられる短期的、中期的、長期的施策を、救援活動、原発事故対応と並行して進める必要があると考えます。
家族の離散という非情を伴うことになるかもしれないけれども、幼子を抱える女性や、妊婦の女性、保育・教育の必要な子どもたち、年配者、身体に不自由を抱えておられる方、病気の方を速やかに安全な土地に避難し、日本人みんなで被災者に安全な生活を提供し合う、助け合う事も一つの政策ではと考えます。但し、政策を実行するには、首長たる者の強い意志と、誠実さ正直さが必要です。

原発被災による予測不可能な放射能問題については、IAEAに協力要請をされていますが、自衛隊も東京電力も対応できない現在、指揮権をIAEAに渡して、世界の英知を結集して、この問題の解決に全力を注ぐことです。それが強いては、今回の原発被災の影響で各国で再熱している性急な原発廃止論に歯止めを掛け、原子力発電の更なる安全性の実現を目指すと共に、次世代のクリーンエネルギー開発と供給という世界規模の連携を果たす試金石になればと考えます。

中長期ビジョンとしては、道州制への移行を本気で考えなければならない、そう考えます。一都市(東京)が破壊されることで、日本が滅びる事のないよう、たとえばGDPレベルおよび人口レベルの均等化等で、3つ程度(東日本、中部日本、西日本)の道、もしくは州に分けて、首都には政治のファーストキャビネット程度の機能役割に留め、万一首都が破壊された場合は、州が合議制でセカンドキャビネットを組み、国を運営する。
各道、もしくは州には、政治、行政、エネルギー、経済、食料、文化、防衛等すべての内政権限を委譲して、独自に運営させる等、思い切った日本国家の在り方を見直さなければいけないと考えます。

今回の地震は、国家の存亡に関わる事態であるけれども、だからこそ、疲弊した、もしくは有害でしかないシステムを破棄し、二重三重のセーフティを持つ、国家システムを再構築する絶好の機会と捉えるべきと考えます。

それが、被災された方、そして亡くなられた方への哀悼と新生日本の力強い復興の誓いとなり、且つ、将来の日本人へ引き継ぐ『精神』『心』『愛』だと信じます。

読み終えられない小説『ライ麦畑でつかまえて』

私のリックサックには、常に2冊の本が入っています。
リチャード・バック著、五木寛之訳『カモメのジョナサン』(中学生の頃に買ったものです)
もう1冊が、J.D.サリンジャー著、野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』(昨年、Amazon.jpにて新古書を購入、あとがき頁の裏白紙頁に朱印で『中嶋蔵書』と角印が押されています)

『カモメのジョナサン』は、司馬遼太郎著『竜馬がゆく』と同様に何度も読み返し、本の装丁をだいぶん傷んでいます。『竜馬がゆく』の様な大河ドラマではなく、100頁にも満たないファンタジーとラッセル・マンソンの写真で構成された元々は装丁の美しいペーパーバックサイズの本で有り、ちょっとした合間に読めるのでいつも携帯しています。

なかなか読み切れないのが『ライ麦畑でつかまえて』です。購入前、1950年当時のアメリカ・ティーンエージャーの香りがあるとされる野崎孝さんの訳本か、村上春樹さんの新訳本か迷いましたが、本の装丁が気に入り、野崎孝さん訳本を購入しました。

あとがきで野崎さんが、『(原書は、)1950年代アメリカのティーン・エージャーの口調を実に的確に捉えられていると推賞され、~これを日本語に訳すことは至難であり、~』とこの訳本への苦労を綴られています。
その口語訳、主人公のホールデンの粗野な言い回しや、嫌らしいほど素直じゃないところが読んでいて気に障り、なかなか読み進められないのです。
この『ライ麦畑でつかまえて』が、何故にアメリカのティーン・エージャーのバイブルと称されるのか知りたい、知りたくて読もうとしていますが、この様な理由で、いまだ読み切ることが出来ていません。

ただ、面白いと思った点があります。
第4節の45頁、でルームメイトであるストラドレーターのナルシストぶりを皮肉って、
『あいつがどうしてきちんと身なりを整えるというとだな、それはあいつがすっかり自分に惚れ込んでいるからなんだ。自分で西半球第一の美男子と思ってやがんだよ。』
この『西半球第一』、やはり1950年代が色濃く反映されていると感じました。当時、世界は東西で反目していたことが小説の中からもうかがえます。

そして本書の題名です。
第22節の269頁、妹フィービーとの会話で、
「君、あの歌知っているだろう『ライ麦畑でつかまえて』っていうの。僕のなりたい-」
「それは『ライ麦畑で会うならば』っていうのよ!」とフィービーは言った。「あれは詩なのよ。ロバート・バーンズの」
「それは知っているさ、ロバート・バーンズの詩だということは」
それにしても、彼女の言う通りなんだ。「ライ麦畑で会うならば」が本当なんだ。ところが僕はそのときはまだ知らなかったんだよ。

ホールデンは、とてもリッチな家庭の御曹司、そして相当な放蕩息子なのでしょうね。軽くて、気まぐれで、自分勝手で、そして大好きだと言う歌の題名さえ、しっかり覚えない。

ジョージ・ルーカスが、メジャースタジオで撮った処女作品『アメリカン・グラフィティ』も、1950年代のティーン・エージャーの自由放漫ぶりが描かれていました。
現代のアメリカ・ベビーブーマー世代(60歳以上)には、懐かしい記憶なのでしょうか。それほどに、自由放漫に生きられた時代の回顧として『ライ麦畑でつかまえて』があるとするならば、文化的遺産としての価値は認めても、現代の十代の若者には、右手で手錠を持って左手でマリファナを与える様なものではないかと思います。
ただ、ノーベル文学賞作家であるヘミングウェイの『武器よさらば』にしても、戦線の兵士、兵士を相手にする娼婦など、戦争の惨たらしさと同時に、無法と化した戦地の退廃ぶりが極めて克明に描かれていて、あまり、本の世界にのめりこみすぎるのも危険である、そう感じます。

映画では、映画の内容や描写により上映作品によって視聴年齢が制限されています。
但し、最近では直ぐにビデオ化されるため、視聴制限は有名無実なわけですが・・・

書籍もそうです。
以前、書店探訪が趣味と書きましたが、昨日も、明石へ通院に出かけた際、2時間ほどジュンク堂で書籍探訪をしました。書店内には地図があり、どこにどの様なジャンルの本があるのか分かる様になっています。また、書名や作家名が判れば、備え付けのパソコンから所在、在庫の有無が一目で検索できます。
様々なジャンルの本があります。聞いたことのない出版社が出している本もあります。怪しげな本もありました。
『万引き防止』ポスターはそこかしこに張られていますが、表現の自由が第一の牙城なのでしょう(本来はそうあるべきと思います)、独裁者賛美の本や、差別的な本、宗教法人が出した開祖者のミラクルを賛美する本、一日でボロ儲けする本、テクニックだけのSex本等、現東京都知事石原慎太郎がいう日本人の欲深さ『我欲』を引き込もうとする本も多数ありました。
表現の自由は当然に尊重されるべきものですが、ドイツや北欧諸国では、自主規制に取り組み、その実践も行われています。そうしてより崇高な表現の自由を享受しようと努めています。そういう意味では、日本は、無法地帯なのかと、思ってしまいます。
自由の謳歌は、しっかりとしたモラルと自主規制が伴ってはじめて、有効に機能するものだと思います。

Newsweek日本語版3/16号 Cover Story『思考力を奪うSNS時代』読後感想

3月12日、加西市立図書館の雑誌コーナーでNewsweek日本語版3/16号を読んだ。
発売日が3/9なので当然ながら、この度の国家的危機を招いた地震についてはなにも触れられていない。

さて、表紙を飾るCover Story
『思考力を奪うSNS時代』である。
ツイッターやフェースブックに大量のメール・・・
殺人的な情報洪水が 頭を「フリーズ」させる

その記事を注意深く読んだ。
要約すると、
・情報は必要であるが、溢れるほど大量に与えられると、脳の、情報を精査する機能、選択する機能が著しく低下するだけではなく、正しい判断ができなくなる。
・10の情報が次々に与えられるとすると、結局、脳に印象として強く残るのは最新の1、2の情報でしかない。(脳の一時記憶領域、いわゆるバッファは余りに小さい。)
・以上の様に情報を過剰に摂取する、際限なく求めようとすると結局、収拾がつかなくなる。

気に入った言葉は、
『情報の流れを止めて、小休止する必要がある』

つまり、SNS全盛期の時代において、大切な事は、
『情報収集には何らかの条件で区切りをつけて、そこまでで得た情報により考え、精査し、判断を下す』。
付け加えるならば、この作業を繰り返すことでさらに洗練された思考に辿り着くということでしょう。
私たち人間は、闇雲に突っ走るばかりではなく、時に立ち止まって、自分の責任において考え、再び歩み出す道を決定する、そういったルーティーンが必要なのだ、そう思います。


さて、このNewsweek日本版は1986年に刊行されました。当時、大阪まで通勤していた私には、タブロイド判の夕刊紙、文庫本、と並び、長時間通勤電車に揺られながら、立っていても読める貴重な雑誌の一つでした。また、Newsweek日本版は、これまでに読んでいた日本の雑誌とは、視点が違う(ほとんどの記事がオリジナル雑誌の翻訳で日本人の視点で書かれていない)のが面白く長く愛読していました。

今でも数冊スクラップしています。
主なスクラップは以下の通りです。
1995/10/25号 「保存版 NOMO 1995 アメリカに夢を思い出させたトルネード」
1995/12/6号 「ビル・ゲイツ大予言 パソコン・ソフトの帝王が語る情報革命の明日」
1996/6/5号 「御成婚から3年 雅子妃はいま・・・ プリンセスはどこへ行った」
1996/12/4号 「マイクロソフトの世紀 ビル・ゲイツの飽くなき野望」
1998/9/16号 「ホームラン! 世紀の記録へばく進するマグワイア」
2003/12/10号 「超特別保存版 シネマ!シネマ!シネマ! 本誌厳選おすすめビデオ30作。
2003冬の話題作レビュー&秘話『ラストサムライ』完全解剖」
2006/2/1号 「ニューズウィーク日本語版創刊20周年 独占インタビュー55連発」
2006/9/6号 「進化する太陽系 冥王星だけじゃない ここまで変わった宇宙の『定義』」
2006/12/27号 「硫黄島からの手紙 イーストウッド、渡辺謙、二宮和也 米批評家をうならせた戦場のリアリズム」
2008/3/26号 「丸ごと1冊 地球白書」

2011年3月14日月曜日

野球は『どこでする』スポーツか? ~顕在意識と潜在意識の話~

息子耕太郎が入部している鹿島中野球部は、約3ヶ月間の冬トレーニングを終え、3月に入ってから、毎週末、練習試合が行われています。
部員達が目指すのは、6月末までに予定されている公式戦
4/9-10 高砂春季大会
5/7-8 東播親善大会
6/24-25 中体連高砂大会
での優勝です。
何としても中学時代に公式大会で優勝し、深紅の優勝旗を誇らしげに掲げる姿を見たい、またそれをチーム一丸となって成し遂げて欲しい、そう願います。
中体連大会は、勝ち進めば、上位大会があり、長く中学野球も楽しめます。

練習試合も三日間、計6試合を消化しましたが、監督である藤原先生も昨秋までの『一から指導する』『チーム力を把握する』『作戦で勝ちに行く』というスタンスではなく、選手一人ひとりに、技術面だけではなく、君にはこの様に育って欲しい、とある意味、人生の先輩としての思いを、アドバイスを伝えられています。
たまたまエースに語りかけられているのを側で聞き、
『お前は、そんなもんじゃない、小さくまとまるな』とか、
『ピンチになれば、セットではなく、振りかぶって(自分の一番の力を出して)全力で勝負を楽しめ』、
『もし捕手との呼吸、サインが合わないのならば、受け身ではなく、自分で決めることも大切』など、野球というスポーツだけではなく、『生きてゆく』に大切なメッセージを伝えようとされていました。
エースだけでなく、個々に選手を呼んで話をし、また技術面の不足を身振り手振りで精力的に伝えようとされています。

息子耕太郎もその一人です。親バカな言い分ですが、体は強い、また守備のセンスもいい、そう見ています。ですが、頭を使わない、否、チャンスやピンチでポイントゲッターとなった場合に、ポジティブにゲームに集中できず、悪い結果に支配され、体が動かなくなるのです。残念ながら、センター守備を与えて貰いながら、ゲームセットを待たず交代させられます。6試合中、5試合を観戦しましたが、チャンスや押せ押せの場面で、すべて攻撃を潰しています。私が監督でも交代させます。幾ら投手力、守備力が素晴らしくても得点力がなく、得点できなければ、最後は負けます。昨秋までは『守り勝つ』チームが上位に進みましたが、これからの、最後の中体連までは、『打撃力』『得点力』が試合を決すると思います。

[練習試合記録写真]
3月6日(日) 加西市立加西中戦、篠山市立西紀中戦
3月12日(土) 三田市立上野台中戦 (※赤穂市立坂越中戦は別用のため撮影できていません)
3月13日(日) 姫路市立白鷺中戦、加古川市立両荘中戦
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497

これまで息子耕太郎の野球を小学4年生の時代から足かけ約5年見てきましたが、息子だけではなく、チームとして声が出ない、覇気が感じられない、そう私は感じてきましたし、共に見守る父兄も同じように感じられていました。

昨秋、加西球場で行われた東播大会ベスト4までチームにあった勢い、覇気が急激に失われ(と私は感じました)、横浜スタジアムを目指す、クラブ選手権の初戦では宝殿中の元気の良さばかりが目立ち、試合もその勢いのまま敗退しました。
その時は、彼らの状況を見て
『いつまでも、やらされている、といったスタイルでは駄目』と思いましたが、3月に入って考えは180度変わりました。
『好きなことをしているのに、勝つために、上手くなるためにすることを、しない。だからいつまでもできない。』

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野球は『どこでする』スポーツか?
意識の問題です。
人間の意識には、『顕在意識』と『潜在意識』があります。
人間の行動の9割方は『潜在意識』に左右されると辞書等に書かれています。
ネットを検索していてベストアンサーと思ったページがありました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~jams-s/saimin/hypno/ishiki/senzai.html

です。
以下はページに記載されている記述の引用です---

『顕在意識』は、決意したり、判断したり、選択する心の領域であり、望ましいこと、望ましくないことを識別する能力を持っています。(と同時に)悩んだり、不安になったり、願望を持ったりします。(頭で考えるために揺らぎや時間を要します)

『潜在意識』とは、過去における考えや、心構えや、欲望の大きな貯蔵庫で、その数百万にのぼる整理棚には毎日の生活の中で、読んだこと、聴いたこと、観察したこと、受けた印象、考えたことが貯蔵されています。潜在意識は創造的な洞察力や、直観力の無限な宝庫です。また、本質的に自在に発揮できる力をもっています。
この無限の力は『顕在意識』としての心が表面に出ている場合には、それに制約され十分に発揮されませんが、非常事態に直面した場合などには、『顕在意識』は背後に後退し、かわって『潜在意識』が思う存分にその力を発揮することになります。それが一般的に言われる、「火事場の馬鹿力」です。
『潜在意識』は批判、判断機能をもたず、与えられたものをそのまま受け取り、そのまま蓄積していきます。また現実と想像を区別することがなく、倫理時間空間の影響を受けることがありません。また睡眠中の夢、ひらめき、直感などを生み出します。

以上、引用でした---

つまり、普段から目的意識を持って、練習等に取り組み、体に当たり前の事として染み込ませる。これが『潜在意識』となり、直感的な判断、センスの善し悪しを決定づけます。

体に染み込ませられず、常に頭で、『顕在意識』で戦っている限り、判断に迷ったり、不安に悩ませられます。野球の様な瞬発力が勝敗を分けるスポーツでは、これは致命的です。

息子耕太郎は、4月で3年生になります。ですが、また14歳、遅いという訳ではありません。これから幾らでも無限に成長してくれる、そう可能性を信じています。
ただ、私のような50歳の老境から見ると、本来ならば柔軟でスポンジのように何でも吸収できる年齢の筈なのに、何かがガードしていて受け付けない。つまり『潜在意識』の成長が阻害されているようなのです。
それが何であるかが分からない。彼自身の問題ではなく、私、つまり『長き精神疾患のために、また、年齢もあいまって失業している私』のことで、それこそ彼の潜在意識に根深い不安を与えている可能性はあります。

私がまだ若きSE時代、主任になって多くの部下を預かったとき、チームは、専門的用語となりますが、私が培った技術ではない異なるOSのコンピュータ・テクニカルサポートチームでした。
今思えば、本当に阿保だったと思いますが、技術畑で歩んできた私は、OSが異なったことで新たな技術力をつけなければと焦り、またサポート手法も異なる中でのチーム運営にも戸惑い、やがて病んでしまいました。

ただその課程で、唯一ポジティブに学んだことは、自分ができない事であっても、正しいと判断すれば、指導しなければならない、ということです。
また、各担当者は、上司がどうあれ、自身の向上が第一であり、ひいてはそれがチームの利益に繋がるということです。

このことを、息子に伝えたい、また息子だけではなく、大切な部員達全員に伝えたいと思います。

3/12 3回目のおはなし会を終えての感想

先週土曜日、3/12 14:00から3回目となるおはなし会の朗読者として、図書館キッズコーナーで2冊の絵本を読んできました。

絵本は、予定通り、
スーザン・バーレイさん作・絵『わすれられないおくりもの』
トーベ・ヤンソンさん『ムーミンのふしぎ』
を朗読しました。

今回、朗読に当たって二つ試みました。
ひとつは、いつも図書館員さんが始まりの挨拶、終わりの挨拶等司会進行して下さるのですが、任せて下さったのか、14時前に朗読コーナーに入って、顔なじみの子ども(モトアキ君)と話をし、14時の開始から挨拶、そして今日読ませて頂く本の簡単な紹介をして、朗読に入りました。
特に、最初に読んだ『わすれられないおくりもの』は、大切な人との別れ、そして再生という話で、子どもたちと共におられた保護者の方々に、震災についても少し触れ、この本を読ませて頂く気持ちを伝えました。
また、いつもは子どもたちが座る背もたれのない低いクッションの効いた椅子と対面した背の高い椅子と机に本を立てて朗読を行っていましたが、前回の文字が見えない、ということの対策と、また子どもたちに本に触れて欲しい、身近に眺めて欲しい、という思惑から、私が座る椅子の周りに子どもたちが座る椅子を配置して、私の前の椅子に本を直に置いて、私が文字がしっかりと見え読めるように、そして興味を抱いてくれた子どもたちがのぞき込んで本を見られるようにして、行いました。
実際のところ、私の周りに座ってくれる子どもたちにしか本が見えないという問題もあり、どうしようかと直前まで悩んだのですが、現状の私ではこのスタイルが最善であったと思います。
両本とも約15分、丁度終了の14:30に読み終え、終了の挨拶ができました。
始まりの頃は、子どもたちも数名であったのが、途中から回りに大勢集まってくれているのが気配で分かりました。
できる限り、子どもたちの顔を、目を見ながら朗読しました。
子どもたちにとって、今回読んだ本が、わすれられない本となってくれることを願います。

おはなし会の直前、モトアキ君と話をしました。
『ムーミンってしってる?』『ううん』、でもモトアキ君は本をめくり、スナフキンが釣りをしている絵のところで、釣りに興味があることを話してくれました。
そして、もう一つ、『ゆれるばかりでアニメが見えない』、何度も聞き返し、昨日の地震発生から、テレビのすべてのチャネルが地震の特別放送に切り替わり、楽しみにしていたアニメが見られなかったことを、一生懸命に伝えようとしていたことが分かりました。

小さな子どもたちにとって、毎週、もしくは毎日楽しみにしているアニメが見られないことも、今回の震災の悲しみ、そう感じました。