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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月15日火曜日

読み終えられない小説『ライ麦畑でつかまえて』

私のリックサックには、常に2冊の本が入っています。
リチャード・バック著、五木寛之訳『カモメのジョナサン』(中学生の頃に買ったものです)
もう1冊が、J.D.サリンジャー著、野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』(昨年、Amazon.jpにて新古書を購入、あとがき頁の裏白紙頁に朱印で『中嶋蔵書』と角印が押されています)

『カモメのジョナサン』は、司馬遼太郎著『竜馬がゆく』と同様に何度も読み返し、本の装丁をだいぶん傷んでいます。『竜馬がゆく』の様な大河ドラマではなく、100頁にも満たないファンタジーとラッセル・マンソンの写真で構成された元々は装丁の美しいペーパーバックサイズの本で有り、ちょっとした合間に読めるのでいつも携帯しています。

なかなか読み切れないのが『ライ麦畑でつかまえて』です。購入前、1950年当時のアメリカ・ティーンエージャーの香りがあるとされる野崎孝さんの訳本か、村上春樹さんの新訳本か迷いましたが、本の装丁が気に入り、野崎孝さん訳本を購入しました。

あとがきで野崎さんが、『(原書は、)1950年代アメリカのティーン・エージャーの口調を実に的確に捉えられていると推賞され、~これを日本語に訳すことは至難であり、~』とこの訳本への苦労を綴られています。
その口語訳、主人公のホールデンの粗野な言い回しや、嫌らしいほど素直じゃないところが読んでいて気に障り、なかなか読み進められないのです。
この『ライ麦畑でつかまえて』が、何故にアメリカのティーン・エージャーのバイブルと称されるのか知りたい、知りたくて読もうとしていますが、この様な理由で、いまだ読み切ることが出来ていません。

ただ、面白いと思った点があります。
第4節の45頁、でルームメイトであるストラドレーターのナルシストぶりを皮肉って、
『あいつがどうしてきちんと身なりを整えるというとだな、それはあいつがすっかり自分に惚れ込んでいるからなんだ。自分で西半球第一の美男子と思ってやがんだよ。』
この『西半球第一』、やはり1950年代が色濃く反映されていると感じました。当時、世界は東西で反目していたことが小説の中からもうかがえます。

そして本書の題名です。
第22節の269頁、妹フィービーとの会話で、
「君、あの歌知っているだろう『ライ麦畑でつかまえて』っていうの。僕のなりたい-」
「それは『ライ麦畑で会うならば』っていうのよ!」とフィービーは言った。「あれは詩なのよ。ロバート・バーンズの」
「それは知っているさ、ロバート・バーンズの詩だということは」
それにしても、彼女の言う通りなんだ。「ライ麦畑で会うならば」が本当なんだ。ところが僕はそのときはまだ知らなかったんだよ。

ホールデンは、とてもリッチな家庭の御曹司、そして相当な放蕩息子なのでしょうね。軽くて、気まぐれで、自分勝手で、そして大好きだと言う歌の題名さえ、しっかり覚えない。

ジョージ・ルーカスが、メジャースタジオで撮った処女作品『アメリカン・グラフィティ』も、1950年代のティーン・エージャーの自由放漫ぶりが描かれていました。
現代のアメリカ・ベビーブーマー世代(60歳以上)には、懐かしい記憶なのでしょうか。それほどに、自由放漫に生きられた時代の回顧として『ライ麦畑でつかまえて』があるとするならば、文化的遺産としての価値は認めても、現代の十代の若者には、右手で手錠を持って左手でマリファナを与える様なものではないかと思います。
ただ、ノーベル文学賞作家であるヘミングウェイの『武器よさらば』にしても、戦線の兵士、兵士を相手にする娼婦など、戦争の惨たらしさと同時に、無法と化した戦地の退廃ぶりが極めて克明に描かれていて、あまり、本の世界にのめりこみすぎるのも危険である、そう感じます。

映画では、映画の内容や描写により上映作品によって視聴年齢が制限されています。
但し、最近では直ぐにビデオ化されるため、視聴制限は有名無実なわけですが・・・

書籍もそうです。
以前、書店探訪が趣味と書きましたが、昨日も、明石へ通院に出かけた際、2時間ほどジュンク堂で書籍探訪をしました。書店内には地図があり、どこにどの様なジャンルの本があるのか分かる様になっています。また、書名や作家名が判れば、備え付けのパソコンから所在、在庫の有無が一目で検索できます。
様々なジャンルの本があります。聞いたことのない出版社が出している本もあります。怪しげな本もありました。
『万引き防止』ポスターはそこかしこに張られていますが、表現の自由が第一の牙城なのでしょう(本来はそうあるべきと思います)、独裁者賛美の本や、差別的な本、宗教法人が出した開祖者のミラクルを賛美する本、一日でボロ儲けする本、テクニックだけのSex本等、現東京都知事石原慎太郎がいう日本人の欲深さ『我欲』を引き込もうとする本も多数ありました。
表現の自由は当然に尊重されるべきものですが、ドイツや北欧諸国では、自主規制に取り組み、その実践も行われています。そうしてより崇高な表現の自由を享受しようと努めています。そういう意味では、日本は、無法地帯なのかと、思ってしまいます。
自由の謳歌は、しっかりとしたモラルと自主規制が伴ってはじめて、有効に機能するものだと思います。

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