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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月14日月曜日

野球は『どこでする』スポーツか? ~顕在意識と潜在意識の話~

息子耕太郎が入部している鹿島中野球部は、約3ヶ月間の冬トレーニングを終え、3月に入ってから、毎週末、練習試合が行われています。
部員達が目指すのは、6月末までに予定されている公式戦
4/9-10 高砂春季大会
5/7-8 東播親善大会
6/24-25 中体連高砂大会
での優勝です。
何としても中学時代に公式大会で優勝し、深紅の優勝旗を誇らしげに掲げる姿を見たい、またそれをチーム一丸となって成し遂げて欲しい、そう願います。
中体連大会は、勝ち進めば、上位大会があり、長く中学野球も楽しめます。

練習試合も三日間、計6試合を消化しましたが、監督である藤原先生も昨秋までの『一から指導する』『チーム力を把握する』『作戦で勝ちに行く』というスタンスではなく、選手一人ひとりに、技術面だけではなく、君にはこの様に育って欲しい、とある意味、人生の先輩としての思いを、アドバイスを伝えられています。
たまたまエースに語りかけられているのを側で聞き、
『お前は、そんなもんじゃない、小さくまとまるな』とか、
『ピンチになれば、セットではなく、振りかぶって(自分の一番の力を出して)全力で勝負を楽しめ』、
『もし捕手との呼吸、サインが合わないのならば、受け身ではなく、自分で決めることも大切』など、野球というスポーツだけではなく、『生きてゆく』に大切なメッセージを伝えようとされていました。
エースだけでなく、個々に選手を呼んで話をし、また技術面の不足を身振り手振りで精力的に伝えようとされています。

息子耕太郎もその一人です。親バカな言い分ですが、体は強い、また守備のセンスもいい、そう見ています。ですが、頭を使わない、否、チャンスやピンチでポイントゲッターとなった場合に、ポジティブにゲームに集中できず、悪い結果に支配され、体が動かなくなるのです。残念ながら、センター守備を与えて貰いながら、ゲームセットを待たず交代させられます。6試合中、5試合を観戦しましたが、チャンスや押せ押せの場面で、すべて攻撃を潰しています。私が監督でも交代させます。幾ら投手力、守備力が素晴らしくても得点力がなく、得点できなければ、最後は負けます。昨秋までは『守り勝つ』チームが上位に進みましたが、これからの、最後の中体連までは、『打撃力』『得点力』が試合を決すると思います。

[練習試合記録写真]
3月6日(日) 加西市立加西中戦、篠山市立西紀中戦
3月12日(土) 三田市立上野台中戦 (※赤穂市立坂越中戦は別用のため撮影できていません)
3月13日(日) 姫路市立白鷺中戦、加古川市立両荘中戦
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497

これまで息子耕太郎の野球を小学4年生の時代から足かけ約5年見てきましたが、息子だけではなく、チームとして声が出ない、覇気が感じられない、そう私は感じてきましたし、共に見守る父兄も同じように感じられていました。

昨秋、加西球場で行われた東播大会ベスト4までチームにあった勢い、覇気が急激に失われ(と私は感じました)、横浜スタジアムを目指す、クラブ選手権の初戦では宝殿中の元気の良さばかりが目立ち、試合もその勢いのまま敗退しました。
その時は、彼らの状況を見て
『いつまでも、やらされている、といったスタイルでは駄目』と思いましたが、3月に入って考えは180度変わりました。
『好きなことをしているのに、勝つために、上手くなるためにすることを、しない。だからいつまでもできない。』

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野球は『どこでする』スポーツか?
意識の問題です。
人間の意識には、『顕在意識』と『潜在意識』があります。
人間の行動の9割方は『潜在意識』に左右されると辞書等に書かれています。
ネットを検索していてベストアンサーと思ったページがありました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~jams-s/saimin/hypno/ishiki/senzai.html

です。
以下はページに記載されている記述の引用です---

『顕在意識』は、決意したり、判断したり、選択する心の領域であり、望ましいこと、望ましくないことを識別する能力を持っています。(と同時に)悩んだり、不安になったり、願望を持ったりします。(頭で考えるために揺らぎや時間を要します)

『潜在意識』とは、過去における考えや、心構えや、欲望の大きな貯蔵庫で、その数百万にのぼる整理棚には毎日の生活の中で、読んだこと、聴いたこと、観察したこと、受けた印象、考えたことが貯蔵されています。潜在意識は創造的な洞察力や、直観力の無限な宝庫です。また、本質的に自在に発揮できる力をもっています。
この無限の力は『顕在意識』としての心が表面に出ている場合には、それに制約され十分に発揮されませんが、非常事態に直面した場合などには、『顕在意識』は背後に後退し、かわって『潜在意識』が思う存分にその力を発揮することになります。それが一般的に言われる、「火事場の馬鹿力」です。
『潜在意識』は批判、判断機能をもたず、与えられたものをそのまま受け取り、そのまま蓄積していきます。また現実と想像を区別することがなく、倫理時間空間の影響を受けることがありません。また睡眠中の夢、ひらめき、直感などを生み出します。

以上、引用でした---

つまり、普段から目的意識を持って、練習等に取り組み、体に当たり前の事として染み込ませる。これが『潜在意識』となり、直感的な判断、センスの善し悪しを決定づけます。

体に染み込ませられず、常に頭で、『顕在意識』で戦っている限り、判断に迷ったり、不安に悩ませられます。野球の様な瞬発力が勝敗を分けるスポーツでは、これは致命的です。

息子耕太郎は、4月で3年生になります。ですが、また14歳、遅いという訳ではありません。これから幾らでも無限に成長してくれる、そう可能性を信じています。
ただ、私のような50歳の老境から見ると、本来ならば柔軟でスポンジのように何でも吸収できる年齢の筈なのに、何かがガードしていて受け付けない。つまり『潜在意識』の成長が阻害されているようなのです。
それが何であるかが分からない。彼自身の問題ではなく、私、つまり『長き精神疾患のために、また、年齢もあいまって失業している私』のことで、それこそ彼の潜在意識に根深い不安を与えている可能性はあります。

私がまだ若きSE時代、主任になって多くの部下を預かったとき、チームは、専門的用語となりますが、私が培った技術ではない異なるOSのコンピュータ・テクニカルサポートチームでした。
今思えば、本当に阿保だったと思いますが、技術畑で歩んできた私は、OSが異なったことで新たな技術力をつけなければと焦り、またサポート手法も異なる中でのチーム運営にも戸惑い、やがて病んでしまいました。

ただその課程で、唯一ポジティブに学んだことは、自分ができない事であっても、正しいと判断すれば、指導しなければならない、ということです。
また、各担当者は、上司がどうあれ、自身の向上が第一であり、ひいてはそれがチームの利益に繋がるということです。

このことを、息子に伝えたい、また息子だけではなく、大切な部員達全員に伝えたいと思います。

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