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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2013年1月5日土曜日

今年の最初は、シュルレアリスムを楽しもうと思います。


今年、最初に買った本は、サルヴァドール・ダリ著『私の50の秘伝』です。
1月2日、妻の実家を訪問し、ご馳走を頂いた帰りに西飾磨にある楽学書館に立ち寄りました。入り口右側が私のお気に入りのコーナーです。コンピュータ関連書籍棚、カメラ・写真関連書籍棚そして絵画関連書籍棚があるからです。
昨年、BSのあるドキュメンタリーで、ダリ『十字架の聖ヨハネのキリスト』の制作秘話が語られました。それまでダリというえば、ヘンテコな髭を生やした怪しげな絵描きとしか思っていませんでしたが、量子物理学から宗教学までとても幅広く造詣の深い天才である事を知りました。そして、天上からキリストを見下ろすという大胆な構図の作品『十字架の聖ヨハネのキリスト』に魅せられました。それが頭に残っていたのでしょう、絵画関連書籍棚を探っていて、ダリの作品集と、この本『私の50の秘伝』に目が留まりました。

ダリはシュルレアリストの先鋒とされますが、このシュルレアリズム、日本語では超現実主義と訳されるようですが、なにやらよく分かりません。分からないからまた興味を引かれます。もう少し平たい説明がありました。
『一般的に、シュルレアリスムにおいては現実離れしているという印象を受けがちであるが、日本語訳からもわかるように「超現実」、すなわち現実の上位に存在している概念で、無意識における心象風景を捉えるところに重きを置いている。そのため、一見すると現実離れしている様に見られるのである。』これもまたとても難解な説明です。
ダリの絵画作品集を開いてみますと、なかなかの幻想的な絵ばかりです。しかし、どの作品も非現実的な描写なのですが、色鮮やかで躍動感があり、生命の宿りを感じます。ただ絵画作品集はあまりにも高く、あきらめて、『私の50の秘伝』のみ購入しました。

この『私の50の秘伝』は、1947年、ダリ43才の時に書いた11冊目の著書であり、画家を目指す者へのダリからの有名画家になるための心得が示されていると、本の扉に書かれています。因みに、まだ《まえがき》しか読んでいません。これから少しずつ読んでいこうと思っています。

そして本題に入ります。あまりに強引かもしれないので、先に謝っておきますね。


昨日の夜は、家族で金曜ロードショーを観ました。作品は宮崎駿監督作品『ハウルの動く城』でしたね。2004年の作品で、これまでも何度か鑑賞しているのですが、もう一つぴんときませんでした。第一次大戦時のヨーロッパ、特にドイツを彷彿させる異世界の国の物語です。そして宮崎作品によく登場する空の戦艦が登場し、美しい中世の町並みの中に不穏な空気が漂っています。そして何より特長的なのが魔法が世界を司っている事です。魔法使いが登場し、悪魔が登場し、悪魔と契約した悲しき人間が登場します。
そしてこの『ハウルの動く城』は、前作品『千と千尋の神隠し』同様に極彩色に描かれています。人の住む風景・建物はありそうなんだけど、その色彩はありえない。そう超現実的、シュルレアリズムに溢れているのです。そして、そのあり得ない世界で、悪魔と契約した魔法使いの弟子(ハウル)と、荒地の魔女の魔法によって老女に落とされた、本当はうら若き乙女(ソフィー)が恋に落ちます。ありえないやろう、ありえないやろう、と唱えながら観ていますと、ふと気づきます。ずっと前、ハウルがまだ少年だった頃に二人は出会い、ハウルはソフィーを守るために、悪魔と契約しておぞましい力を得たことに気づきます。でも一番あり得ないのが、ソフィーのバイタリティです。老婆に落とされてからのソフィーはバイタリティが溢れでて、ハウルもカルシファー(ハウルが契約した火の悪魔)、荒地の魔女、そして魔法使いのマスターサリマンまでも魅了してしまうのです。
もしかしたらうら若き乙女にこそ尊大な魔法が備わっていると、物語は主張しているのかなって思います。
そして、この『ハウルの動く城』を見終わって、すこしだけシュルレアリズムが分かったように感じます。

さあ、これからゆるゆると『私の50の秘伝』を楽しみたいと思います。

みかんの辛い思いでです。


冬といえば、みかんですよね。昔は、手のひらが黄色くなるまで食べました。
でも歳ですね、欲張って自室にみかんを5つ持ってきたのですが三つであぐんでしまいました。

このみかん、一晩で一箱空けた事があります。高校生であったある冬のことです。よくイチャサンの家で夜を明かしていました。その夜もボテと私とイチャサンで愚にも付かぬ話で過ごしていました。そして話のあてがみかんでした。みかんはその日、おばちゃんが箱買いしていたものでした。最初はまじめに皮をむいて一房一房食べていました。それがだんだん調子に乗って、皮をむき一房食べて甘くなければ皮の山に投げ入れて、次のみかんをむくという暴挙に走りました。そして何が可笑しいのか笑いが止まらず、仕舞いにはまさに笑い上戸のていで三人収まりの付かぬ馬鹿笑いで七転八倒に苦しんでいたところに、騒ぎで起きてこられたおばちゃんに見つかりました。
コタツのテーブルの上には、無残なみかんの残骸が山になっていました。そしてみかん箱は空になっていました。普段温厚なおばちゃんの冬の雷が落ちて、ボテと私はイチャサンの家を追い出されてしまいました。自宅に戻ると三時でした。たぶんイチャサンは、その後こっぴどく叱られたと思います。

イチャサンの家では、もう一つ武勇伝?があります。夏のことです。イチャサンの家では、麦茶を湧かした大きなやかんが、そのまま冷蔵庫に収まっていました。私たちは、その冷たい麦茶をグイグイ飲んで夏の昼間を過ごしていました。
ある真夏の昼下がりのことです。イチャサンのおばあちゃんが漬け込んだ大粒のらっきょが大瓶に一杯ありました。その日は、私とイタルくんとイチャサンでらっきょをあてに麦茶を飲んでいました。そして、誰が一番らっきょが食べられるかという話になり、無用なゲームが始まりました。最初に脱落したのはイチャサンです。そして50個を過ぎた辺りでイタルくんが断念しました。その後は、私の孤高ならっきょ食いです。数粒口に放り込んだら麦茶をあおって喉の奥に流し込むという過酷な戦いを続けました。そして遂に、らっきょ100個食いを達成したのです。

ここまできたら大食い武勇伝?をもう一つお話ししましょう。
これも高校生の頃の話です。私たちが中学三年の頃でしょうか、剣道部の練習にひとりの怪しいおっさんが稽古を付けにやって来たのです。そしてそのおっさんはその後も数年、居座り続けたのです。そのおっさんは土建業を営んでいました。そして私たちはそのおっさんの下でアルバイトをする羽目になりました。それでも一日数千円のアルバイト料はとても魅力でした。私たちは雀の涙ほどのアルバイト料をもらっては、大塩にあるお好み焼きや《やすふく》でお好み焼きをたらふく食べました。
ある日のことです。ボテと私とイチャサンの三人でやすふくに入りました。
そしてやすふくのおばちゃんに、
ボテがちゃんぽん(基本はうどん麺一つ玉とやきそば麺一つ玉の合わせ)の四つ玉を注文し、私とイチャサンがそれぞれ六つ玉を注文しました。さずがのおばちゃんも一度に十六玉を炒めるのは至難の様で、おばちゃんは、鉄板の上の山となった麺とキャベツに格闘です。そんなおばちゃんに『10分で食べたらタダにしてくれる?』と話しますと、『あんたら、毎日来るからアカン!』と断られてしまいました。
そして、それぞれの席近くの鉄板の上にちゃんぽん焼きが小分けされました。ヨーイ、スタート!です。
そしてイチャサンは見事、10分掛からず完食しました。私も数秒遅れで完食しました。

この話には第二章がありまして、数年後の事です。舞台は京都です。京都下鴨神社の近くに『20分で食べたらタダ』になるお好み焼き屋があることを人伝に聞き、みんなで食べに行きました。その中で二人がタダ食いにエントリーしました。イチャサンが焼きそば六つ玉(2400円)に、そして私がお好み焼き三枚(2400円)に挑戦です。
まずはイチャサンのラウンドが始まりました。が、思わぬおばはんの攻撃に、イチャサンは一口も入れぬ前から白旗を揚げる羽目になりました。
おばはんは、注文を聞いてから準備を始めます。最初にどでかいキャベツをまるまる一個まな板に置きました。そしてなんとそのまるまる一個をざく切りにしたのです。完全なペテンです。キャベツのざく切りは、焼きそば麺六つ玉よりも何倍も多いのです。
そして焼き上がった焼きそば(ちゅうよりもキャベツ焼き)をみんなで頂きました。
第二ラウンドは私です。またどでかいキャベツが出てきました。でも今回は半分をしまいました。なめられたわけです。そして大きなボールに投げ入れられたキャベツは溶かしたメリケン粉とこねられて、そしていよいよ焼きの始まりです。その一枚の大きさは、直径25センチ強、厚さ1センチ強というところでしょうか。一枚焼き上がると、コテで私の目の前に運ばれました。
私は、その最初の一枚を5分で平らげました。そして二枚目も同じく5分で平らげました。私はおばはんの額の脇に垂れる冷や汗を見逃しませんでした。そしていよいよ3枚目に挑みます。もはや勝ちを確信しての三枚目でしたが、私の胃と食道はそのすべてを受け入れるキャパシティがありませんでした。15分を過ぎて、もうあと三口というところでコテの運びが止まりました。喉の奥でお好み焼きがつっかえてしまったのです。そしておばはんは、私の苦悶の表情を見て、優しく『表に出て吐いてきたら』と言いました。負けられません、私は最後の力でお好み焼きを口に運びました。そしてもうあと一口というところでタイムアップとなりました。そして私は口中までお好み焼きで一杯になった状態で2400円を支払ったのでした。その日、お好み焼き屋には全員の支払い8000円が残りました。

2013年1月1日火曜日

2013年の初日の出を拝んできました


日笠山に登って、2013年の初日の出を拝んできました。
藍から朱に、そして白く輝きだした東の空にはアルプスのように雲の稜線が地平線を覆っていましたが、その一角が割れて赤い光が輝き、それはゆっくりと広がっていきました。日の出の瞬間です。まさに荘厳でした。

帰り道、西の空にはまだ白い月がありました。
昨日の名残です。まさに時は繋がっている、そう思いました。
昨日があって今日があるのですね。これも深い感銘となりました。

今から仕事です。それじゃ、いってきます。

新年明けましておめでとうございます。


おはようございます。そして、新年明けましておめでとうございます。
今朝も、天上に北斗七星があって、西の空高くに丸い月が輝いています。西の空に少し雲があるものの、全天は澄み渡っています。今日は美しい初日の出となりそうです。

ただ、外は早朝というのに賑やかですね。遠くでバイクの集団が駆けるノイズが聞こえます。

2012年12月31日月曜日

2012年最後の日


おはようございます。
2012年最後の日は、静かに、そして穏やかに明けました。
5時、新聞を取りに外に出ますと、天上に北斗七星がありました。月は西北西70度くらいの位置にあって光を照らし、町に影を作ります。寒くありましたが、なにか荘厳な雰囲気が漂って身が引き締まりました。

今から仕事です。今日明日働いたら、私の正月が始まります。
今日から、この冬第3波となる強烈寒波が日本を包み込む様子です。2013年の元旦は、ここ播磨地方は晴で迎えられそうです。どこかで初日の出でも拝めたらと思います。