冬といえば、みかんですよね。昔は、手のひらが黄色くなるまで食べました。
でも歳ですね、欲張って自室にみかんを5つ持ってきたのですが三つであぐんでしまいました。
このみかん、一晩で一箱空けた事があります。高校生であったある冬のことです。よくイチャサンの家で夜を明かしていました。その夜もボテと私とイチャサンで愚にも付かぬ話で過ごしていました。そして話のあてがみかんでした。みかんはその日、おばちゃんが箱買いしていたものでした。最初はまじめに皮をむいて一房一房食べていました。それがだんだん調子に乗って、皮をむき一房食べて甘くなければ皮の山に投げ入れて、次のみかんをむくという暴挙に走りました。そして何が可笑しいのか笑いが止まらず、仕舞いにはまさに笑い上戸のていで三人収まりの付かぬ馬鹿笑いで七転八倒に苦しんでいたところに、騒ぎで起きてこられたおばちゃんに見つかりました。
コタツのテーブルの上には、無残なみかんの残骸が山になっていました。そしてみかん箱は空になっていました。普段温厚なおばちゃんの冬の雷が落ちて、ボテと私はイチャサンの家を追い出されてしまいました。自宅に戻ると三時でした。たぶんイチャサンは、その後こっぴどく叱られたと思います。
イチャサンの家では、もう一つ武勇伝?があります。夏のことです。イチャサンの家では、麦茶を湧かした大きなやかんが、そのまま冷蔵庫に収まっていました。私たちは、その冷たい麦茶をグイグイ飲んで夏の昼間を過ごしていました。
ある真夏の昼下がりのことです。イチャサンのおばあちゃんが漬け込んだ大粒のらっきょが大瓶に一杯ありました。その日は、私とイタルくんとイチャサンでらっきょをあてに麦茶を飲んでいました。そして、誰が一番らっきょが食べられるかという話になり、無用なゲームが始まりました。最初に脱落したのはイチャサンです。そして50個を過ぎた辺りでイタルくんが断念しました。その後は、私の孤高ならっきょ食いです。数粒口に放り込んだら麦茶をあおって喉の奥に流し込むという過酷な戦いを続けました。そして遂に、らっきょ100個食いを達成したのです。
ここまできたら大食い武勇伝?をもう一つお話ししましょう。
これも高校生の頃の話です。私たちが中学三年の頃でしょうか、剣道部の練習にひとりの怪しいおっさんが稽古を付けにやって来たのです。そしてそのおっさんはその後も数年、居座り続けたのです。そのおっさんは土建業を営んでいました。そして私たちはそのおっさんの下でアルバイトをする羽目になりました。それでも一日数千円のアルバイト料はとても魅力でした。私たちは雀の涙ほどのアルバイト料をもらっては、大塩にあるお好み焼きや《やすふく》でお好み焼きをたらふく食べました。
ある日のことです。ボテと私とイチャサンの三人でやすふくに入りました。
そしてやすふくのおばちゃんに、
ボテがちゃんぽん(基本はうどん麺一つ玉とやきそば麺一つ玉の合わせ)の四つ玉を注文し、私とイチャサンがそれぞれ六つ玉を注文しました。さずがのおばちゃんも一度に十六玉を炒めるのは至難の様で、おばちゃんは、鉄板の上の山となった麺とキャベツに格闘です。そんなおばちゃんに『10分で食べたらタダにしてくれる?』と話しますと、『あんたら、毎日来るからアカン!』と断られてしまいました。
そして、それぞれの席近くの鉄板の上にちゃんぽん焼きが小分けされました。ヨーイ、スタート!です。
そしてイチャサンは見事、10分掛からず完食しました。私も数秒遅れで完食しました。
この話には第二章がありまして、数年後の事です。舞台は京都です。京都下鴨神社の近くに『20分で食べたらタダ』になるお好み焼き屋があることを人伝に聞き、みんなで食べに行きました。その中で二人がタダ食いにエントリーしました。イチャサンが焼きそば六つ玉(2400円)に、そして私がお好み焼き三枚(2400円)に挑戦です。
まずはイチャサンのラウンドが始まりました。が、思わぬおばはんの攻撃に、イチャサンは一口も入れぬ前から白旗を揚げる羽目になりました。
おばはんは、注文を聞いてから準備を始めます。最初にどでかいキャベツをまるまる一個まな板に置きました。そしてなんとそのまるまる一個をざく切りにしたのです。完全なペテンです。キャベツのざく切りは、焼きそば麺六つ玉よりも何倍も多いのです。
そして焼き上がった焼きそば(ちゅうよりもキャベツ焼き)をみんなで頂きました。
第二ラウンドは私です。またどでかいキャベツが出てきました。でも今回は半分をしまいました。なめられたわけです。そして大きなボールに投げ入れられたキャベツは溶かしたメリケン粉とこねられて、そしていよいよ焼きの始まりです。その一枚の大きさは、直径25センチ強、厚さ1センチ強というところでしょうか。一枚焼き上がると、コテで私の目の前に運ばれました。
私は、その最初の一枚を5分で平らげました。そして二枚目も同じく5分で平らげました。私はおばはんの額の脇に垂れる冷や汗を見逃しませんでした。そしていよいよ3枚目に挑みます。もはや勝ちを確信しての三枚目でしたが、私の胃と食道はそのすべてを受け入れるキャパシティがありませんでした。15分を過ぎて、もうあと三口というところでコテの運びが止まりました。喉の奥でお好み焼きがつっかえてしまったのです。そしておばはんは、私の苦悶の表情を見て、優しく『表に出て吐いてきたら』と言いました。負けられません、私は最後の力でお好み焼きを口に運びました。そしてもうあと一口というところでタイムアップとなりました。そして私は口中までお好み焼きで一杯になった状態で2400円を支払ったのでした。その日、お好み焼き屋には全員の支払い8000円が残りました。
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