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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年12月11日火曜日

いちゃさんから『小さな手袋』朗読の感想が届きました。

『小さな手袋』の朗読動画を一本松連中のいちゃさんが観てくれて、LINEで「やるせないなぁ・・・」という感想を送ってくれました。

悲しいでもなく、苦しいでもなく、辛いでもない、
やるせない・・・気持ち、
『小さな手袋』は、本当にこの一言に凝縮された気持ちにさせられる物語でした。

この物語は、小学生の女の子シホちゃんのお父さんのまなざしで描かれた物語だと思います。
私は、幼さの残る夢見がちの少女から、悲しい出来事を経験して、少し感傷的な少女へと成長する娘を、心が傷付かないか心配し、また、そんなに急いで大人に成長しなくてもと戸惑いを覚えながら見守る父の心情に共感し、そして胸に切ない痛みを覚えました。

でも、父のまなざしから「やるせない」はどうしても繋がらないのです。
「やるせない」は、登場人物の父の位置よりもさらに遠く、そう、この物語全体を俯瞰できる、読者の立場だから受け取れた気持ちだと思います。

繰り返すことになりますが、この物語は昭和40年から50年辺りの、私が子供であったころが描かれているように思います。その時代の味わいがあるのです。

昭和20年に戦争が敗戦という結果で終わりました。多くの人が戦地で亡くなり、また国内でも空襲や、ライフラインの欠乏から、多くの人が亡くなりました。それでも、10年が経ち、20年が経ち、直接には戦争を経験していない若い世代が、日本の戦後復興の担い手となっていました。

それは、日本の家族の形が変わっていく時代でもありました。
親子三代は当たり前、場合によれば四代の大家族が、同じ屋根の下で、代々の仕事を繋いでいた、それが戦前の日本の、多くの地方で見られた家族の形でありました。
しかし、戦後、復興の最中、多くの産業が集約された都市部に、全国から人が集められました。都市部の近郊は宅地がどんどんと拓かれて核家族用の新興住宅がどんどんと作られました。
でも、大家族では当たり前にあった、子が親を介護する、大親が孫の世話をする、という機会はどんどんと廃れていきました。

そういう時代背景の中で、子供にとって、それが親族であっても無くても、子供を慕い、愛情も持って接してくれて、楽しいお話しや、知らなかった事を話してくれる、そして作ってくれる、与えてくれる、おじいさんやおばあさんは、良き妖精、魔法使い、と思っても不思議ではありません。
そしてまた、おじいさんやおばあさんというのは、一番始めに別れることとなる、そして死という想像出来ない恐ろしい世界を身近に感じさせる存在でもあったように思います。

私は、この物語の最後の方で、看護婦である中年の修道女が語った一言
「そう。宮下さんは、もう大連へ帰ってしまったんですよ。昔の大連にね。」
が心に残りました。

小学六年生に成長したシホちゃんが、二年半ぶりに妖精のおばあちゃんに会いたいと思った時、それはもう叶わなくなっていました。
妖精のおばあちゃん、宮下さんは亡くなったわけではないけれど、特にこの一年でボケが進んで、もう看護する、介護する病院の人たちのことさえ分からなくなっていました。
看護婦の修道女は、シホちゃんが記憶している優しい、そしてシホちゃんをとても慕っていた宮下さんは、もういないことを話しました。そして、もしかしたら、宮下さんの心は、遠い昔の、遠い国の、大連に行ってしまったのかも知れないと話しました。

この下り、実際に高齢の母と暮らしていて、もしかしたらと感じることがあります。

ある日の朝、母は「お父さん、今日はしんどいから学校を休まして」と私の顔を見て言いました。その時、母の心は子供時代にいたように思いました。私は母方のお祖父さんを知りません。私が生まれたときには既に亡くなっていたからです。でも、もしかしたら、私にはお祖父さんの面影があるのか、と少し嬉しく思いました。

ある日の朝、母は寝言で、伸ちゃんの着替えをしないと、と話していました。伸ちゃんとは、母とそう年の離れていない姪っ子の長男である伸一君のことだとすぐに理解しました。母は兄弟姉妹の一番上の姉と二十近く歳が離れていました。そして、その姉の長女、姪っ子とはまるで仲の良い姉妹の様にして子供時代を過ごしていました。そして伸ちゃんと私は同い年です。この朝母は、母の里で、共に小さな布団で寝かしつけていた私と伸ちゃんをあやしていたのかもしれません。それで、このように話したんだと思います。

ある夜、母はひとりであるはずの部屋の中で、大きな声で話しを始めました。部屋を覗くと、私にではなく、別の方向を向いて、会話をしているようなのです。母に尋ねると、〇〇が来ているから、御茶でも出してあげてと言いました。
初めて、その現場を見た時は、少しぞっとしたことを覚えています。でも、いまでは、私がいない時間、私がいない時代、私がいない場所と母の心は繋がっていて、二つの世界をなんの違和感もなく自由に往き来しているのだろうと思い、楽しい気分になって見守っています。

歳を取って、どんどんと物忘れが烈しくなって、そういう風になって家族に迷惑を掛けてしまうこと、ひとりになってしまうこと、孤独になってしまうこと、そんな風になっていくことを私達は恐れています。
認知症になること、痴呆になること、恐れています。

でも、もしかしたら、私達の心は、その時、時間を超える能力が目覚めるのかも知れません。死の世界とは、過去、現在、未来を自由に往き来できる世界だとイギリスの作家J・B・プリーストリーは、著書「人間と時間」の中で語っています。

※マシスンの純愛ファンタジー後編 『奇蹟の輝き』(What Dreams May Come)記事参照
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2012/04/what-dreams-may-come.html

死が身近になったとき、人は死後の能力が与えらるのかも知れません。過去の時間に旅をしたり、もしかしたら未来の世界まで垣間見ているのかもしれません。もし、家族がそうなったとき、寄り添い、家族の心が見聞きしていることを心で感じる事ができれば、とても素晴らしいと思います。

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