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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年12月12日水曜日

「帰ってきたヒトラー」が警報する未来

今年観た映画で、一番に衝撃を受けたのは「帰ってきたヒトラー」(原題 Er ist wieder da 直訳 彼が帰ってきた 2015年ドイツ映画)です。

この映画は、2012年にドイツの作家ティムール・ヴェルメシュが書いた風刺小説を映画化したものです。
1945年4月30日、ベルリンの総統地下壕で自殺したヒトラーが、現代のベルリンで目覚めてから、最初は道化の扱いを受けながらも、ナチズムが崩壊した後の世界の歴史を学び、プロパガンダの新たなツール(テレビ、インターネット、SNS)を学び、そして民の中に静かに潜む不満を学び、過去の失敗を学び・・・
そして満を持して、自分が現代に目覚めた目的、第二の我が闘争ともいえる「帰ってきたヒトラー」というベストセラーを著して、熱狂的な支援者を生み出し、再びナチズムの実現に動き出す端緒までが描かれます。

現代に現れたヒトラーを最初に見出したのは、落ちぶれたテレビ制作のディレクターであるザヴァツキでした。これまでのどんなヒトラーのそっくりさんよりも、どこからみてもヒトラーにしか見えないヒトラーのそっくりさんを、再びテレビ制作の世界に返り咲く野心の道具にしようとしたのです。
しかし、ヒトラーのそっくりさんはザヴァツキの想像を超えて、テレビ番組のスターになりました。物腰に威厳が満ち、卑猥さや卑屈さが微塵もありません。そして、その態で、雄弁で直情的で刺激的な言葉を発言するのです。そして、権力者には容赦がありません。それがテレビのコメディースターであっても、政治家であってもです。でも、町に出れば、市井の人々に同じ目線で語りかけ、彼らの心の中に潜む不満を引き出します。

表面的には満ち足りた現代社会で暮らす、しかし実際には、窮屈感と閉塞感、そして将来への不安に苦しむ若者達に、ヒトラーのそっくりさんは特に受け入れられました。若者達は、ヒトラーをアイコン化し、アイドル化して、ネット社会のスターへと押し上げていきました。

そして、ヒトラーは満を持して、一冊の本を世に出します。その著書「帰ってきたヒトラー」は、現代のドイツ社会で熱狂的に受け入れられて、映画まで作られることになります。

いまでは、ヒトラーのそっくりさんの腰巾着の様な立場となっていたザヴァツキですが、初めてできた恋人がユダヤ人の祖母を持つ混血であることをヒトラーになじられたこと、また恋人の祖母でホロコーストを生き抜いた老婦人がヒトラーのそっくりさんと面会したときに非常に激高したこと、そして自分自身、ヒトラーのそっくりさんと出会ってから感じている得も言われぬ不安の原因を明らかにするために、ヒトラーのそっくりさんが初めてベルリンに出現した時に撮られた映像を見返して、突如現れた光と煙の中からヒトラーが忽然と現れた様を認めます。そして、ヒトラーが本物であることを悟ります。

ザヴァツキはヒトラーを殺しに行きます。
銃を突きつけ、ビルの屋上に誘導し、ヒトラーに銃の照準を合わせます。そして、屋上の縁に上がって不敵に笑うヒトラーの顔面を打ち抜きます。ヒトラーは屋上から落下しました。ザヴァツキは縁に寄り、ヒトラーの最後を見届けようとしますが、地上にヒトラーの亡骸はありません。そして、ザヴァツキが振り返るとヒトラーが目の前に立っています。ヒトラーは言います。

ザヴァツキ君、
私を怪物というのなら、怪物を選んだ国民こそが罰せられるべきではないか。
国民は、ただ非凡なリーダーを選んだだけだ。
国民は、なぜ私を選んだ。心の中で私に共感しているからだ。
私は殺せない。私は、国民の中に存在し続けているからだ。

悪魔を見たザヴァツキは、心が壊れ精神病院に収監されました。
そしてヒトラーは、第一次ナチズムの宣伝大臣であったゲッベルスに代わる、新たなプロパガンダの片腕を見つけ、第二次ナチズムの実現に動き出します。

途中までは、コメディーかミュージックビデオの様な軽快な乗りで、斬新な風刺映画風でしたが、ラストはホラーでした。この映画はまさに、風刺映画というなまやさしいレベルではなく、リアルなホラードキュメンタリーでした。
ヒトラーが劇中で、インタビューする、また激論を交わす政治家やネオナチの運動家は、すべて実在の人物です。そして、ヒトラーを用いた、ユダヤ人を揶揄する際どいジョークも盛りだくさんありました。

作者は、第二次世界大戦が終わって、そして冷戦が終わって、ようやく訪れた平和や繁栄の礎となってきたデモクラシーという政治体制に、ほころびが生じ始めていることに警報を鳴らします。それは、デモクラシーの理想を強迫的に進める理想主義者の指導者に対する疲弊、そして重圧が国民に蔓延しつつあるからです。
ナチズムの全否定、
シオニズム、そしてユダヤ人に対する批判のタブー、
国家の利益よりも欧州連合の利益優先、
人道的な難民や移民の大量受け入れ、
等々です。

ドイツと同じくデモクラシーと自由貿易の先進国であったはずの、アメリカ、イギリス、フランスまでが急激に保護主義や民族主義に傾倒し始めています。
そして、全体主義で一度衰退した国家である中国、ロシアが独裁国家となって再び台頭し、世界中に力を誇示し始めています。
世界のそこかしこで、デモクラシー、自由な競争、人権の尊重、人権を守るための言論の自由が、厳しく統制され始めています。

そして国民は、大衆の耳に心地よい言葉を発する、大胆で強いリーダーに惹かれるようになりました。その人物が、平時では到底承服できないほどに破廉恥な人物であってもです。
破廉恥で、大胆で強いリーダーは、プロパガンダを駆使します。そして国民を扇動します。彼らが国民を掌握するテキストは、ヒトラーでありナチズムです。

ヒトラーは死なず、ナチズムは死なず、いずれ再び台頭することに作者は、警報を鳴らしています。

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