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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2023年11月29日水曜日

Progressive Education Reform(進歩的教育改革)のすすめ

 「私たちの社会には、様々なスキルを持つ多種多様な人々がいます。だからこそ、全ての人の価値を認める経済を目指すことが求められるのです。

仕事の賃金が低い事は、決してその重要性の低さを意味しませんね。私にとって重要な帰結の1つが、公共部門について考える事です。

教師や看護師などの賃金を決めるのは市場ではありません。社会の集団意志決定に委ねられています。

考えてみて下さい。私たちは何を大切に思いますか?自らの子どもたちです。親たちです。彼らが大切ならば、彼らの面倒を見る人々にお金を払うべきです。労働に見合う賃金をね。

そのために税金を上げなければなりません。ですがそれでもいいのです。何故なら、子どもや親をケアする事は、人生で最も大切な事だからです。」

BS1教養ドキュメンタリー「2023夏 特別編 スティグリッツからの挑戦状」の第4章「錯綜する欲望の中で」で、経済学者ジョセフ・スティグリッツ氏がProgressive Capitalism(進歩的資本主義)のビジョンとして語った言葉です。


しかし、日本は真逆の政策が推し進められています。

2022年度において、日本の労働人口の36.9%が非正規雇用労働者となっています。

そして2021年分民間給与実態統計調査によると正規雇用労働者の平均給与が508万円、非正規労働者の平均給与が198万円で、正規雇用の給与が1とすると非正規雇用の給与は2.56分の1です。

厚生労働省「非正規雇用の現状と課題」の1頁

https://www.mhlw.go.jp/content/001078285.pdf

令和3年分 民間給与実態統計調査

https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan/gaiyou/2021.htm


私たち日本人の未来である子供たち、その子供たちの保育や教育に従事する保育士や教員も例外ではありません。

保育士の非正規(契約社員、パート、アルバイト、派遣等)の割合は、2011年と12年前のデータとなりますが、公立保育園では平均53.5%、私立保育園では平均38.9%となっています。そして2020年、こども家庭庁は待機児童解消のために「新子育て安心プラン」を発表しましたが、そこに「各クラス常勤保育士1名という規制を緩和して2名の短時間保育士で可とする」を加えました。つまり正規職員でなければならないとしたクラス運営を非正規職員のみでおこなってよいとしたのです。これは柔軟な規制緩和と呼べるでしょうか?

また公立学校教員の非正規の割合は、2020年は17.0%となっていて、数年後には20%を突破してもおかしくない状況です。

厚生労働省「保育士等に関する関係資料」の19頁

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/s.1_3.pdf

東洋経済ONLINE:文科省が蓋をする「教師の非正規率」の衝撃実態

https://toyokeizai.net/articles/-/596089?page=2


近年、保育所、こども園、学校、特別支援学校、学童等で保育士や教員による児童への、また同じ保育士や教員への犯罪行為(いじめ、暴力、性暴力)がクローズアップされるようになりました。

また、子供を預ける親として、私や私たち世代が抱いていた保育士や教員への憧れや信頼、尊敬というものは、今の社会を見るとすっかり失われてしまった様に思います。

そして、子供の不登校問題です。不登校の割合を政府統計で見ると

小学校:2010年度 0.32%→2022年度 1.70% 

中学校:2010年度 2.73%→2022年度 5.98%

高等学校:2004年度 1.82%→2022年度 2.04%

※さらに不登校を含む長期欠席者の割合は

小学校:2010年度 0.75%→2022年度 3.17% 

中学校:2010年度 3.49%→2022年度 8.13%

高等学校:2004年度 2.97%→2022年度 4.14%

となってます。

日本の不登校問題

https://drive.google.com/file/d/19HtqbB5CZq6g7hgkrjeaPhM_al2EHY_e/view?usp=sharing


学校とは、そこに集う子供たちが安心して過ごし、将来何ものかになるために必要な知識や技術を学び、志を募らせて成長する場所でなければなりません。

でも現在は、時の政府と文部科学省が決めた教化内容に沿った成績至上主義が学校を覆い、子供たち、その親、そして保育士や教員までもが、成績至上主義(あわせて効率至上主義)に振り回され、責付かれ、追い回されて、緊張と不安と不満に始終身を置かざる得ない状況に追い詰められています。

また子供は身勝手極まりない生き物(ほとんどの子供は生まれてから自我が芽生える頃まで、親や家族の寵愛を一身に受けて育つものだからです。そしてコミュニケーションがまだ不慣れな為に、泣き叫ぶなどの自己主張をしなければなりません。)です。ですから、まず社会性、協調性、寛容性、道徳性、礼節を訓練して身につけねばなりません。強制ではないにしてもその必要性は理解させなければなりません。これも集団生活の始まりである保育園や学校の役割だと思います。そのためには保育士や教員には指導する権限と義務と責任が必要です。それを社会が認めなければなりません。それを蔑ろにすれば、子供や親、保育士、教員は、日々の苛立ちの捌け口として、他の子供や親、そして同僚の保育士、教員からいじめや暴力の対象にされてしまいます。

これらが現在の学校を取り巻く実情ではないかと推察します。


現状、クローズアップされる問題に対して、現場の声、保育士や教員の声があまりにも届かなすぎるとも思います。それは何故か?

一番の理由は、理想を高くして保育士や教員となった高尚な心構えを持つ人ほど、現実とのギャップに苦しみながら、それでも他の人も頑張っているから、不平を言えば他の人に迷惑を掛けるから、自分が我慢すれば、と思い込んでしまうからだと思います。


「文部科学省がフリースクールを認めた事に愕然としている」と発言して大いにマスコミからバッシングを受けた市長がいましたね。マスコミは大バッシングして市長の声を封じ込めましたが、本来ならば、マスコミは真摯にこの市長に向き合い、発言の意図、真意を問うて、それを冷静に報道すべきだったと思います。

フリースクールが必要な子供はいるでしょう。でもフリースクールでどれだけの子供が救済されているのでしょうか?フリースクールの後、子供たちはどの様な道が用意されているのでしょう?一握りの篤志家に不登校の問題の解決を委ねようとするのはやはり国策の怠慢だと思います。そしてフリースクールは有料です。憲法第26条第二項「すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。」に抵触するのではないかと思います。


私は、経済学者ジョセフ・スティグリッツ氏が語ったように、私たちの意思決定として、私たち日本人の子供たち(あわせて日本に定住する外国籍の子供たちも含めて)の保育と教育に従事する、そして私たちの子供たちを大切に扱ってくれる保育士や教員に、社会的地位を与え、指導と義務と責任を与え、その地位と職務に十分に見合う給与を与えなければなりません。そして事業に長く就き、成長と責務を担える正規職員でなければなりません。時の政府や文部科学省の押しつけではなく、保育士や教員の一人一人が教育者として、研究し、実践し、成果を上げる職場環境にしなければなりません。そして目指すは、子供たち一人一人がそれぞれの志を育み、目指すところに歩めるための教育指導者とならなければなりません。


制度が変われば、環境が変わる、環境が変われば意識が変わる。

保育士も教員も、遣り甲斐で成長し、責任で常に身を正せる事でしょうし、

子供も親も、こんな保育士や教員なら、安心して身を預ける事ができるでしょう。


この転換を行わなければ、いっそう、貧しく、無気力、無関心、そして心が荒み、身勝手極まりない日本人が巷に溢れて、早晩、日本は沈没してしまう事でしょう。