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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年6月9日土曜日

長渕剛の祈り『僕と歩こうよ』を聴いて


最近、店に流れる有線放送でよく流れる歌
長渕剛の『僕と歩こうよ』

この歌を初めて聴いた時、
あれっ、長渕か???
最初は解せませんでした、そして何度も聴いているうちに
18、19の時に聴いた『祈り』を思い出しました。
『祈り』は、当時の長渕が、
恋人の死に自分への怒りと悔恨の情を込めて切切と歌う
とても心が辛くなる、でもとても感動した歌でした。

旋律はとても似ています。
私は、こちらの長渕がより好きなのです。
でも『僕と歩こうよ』は、歌に込められたものが違いました。
それは、
大いなる優しさです。
切ないほどの優しさです。
昨年の震災後に歌った『ひとつ』と同じく
痛む者、悲しむ者、幼き者へ、寄り添い、さぁ共に歩こう、
というメッセージが込められています。
でも『ひとつ』には、寄り添う側の悲壮感がありました。
でも一年を過ぎ『僕と歩こうよ』には、穏やかを感じます。
訥々とした歌には、最初力を感じませんでしたが、
でも何度も聴いているうち穏やかな波の様に、
静かに心を洗ってくれます。
そしてしっかりと心に、この歌が刻まれました。

『僕と歩こうよ』
とてもよい歌だと思います。

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こちらの詩は、80年当時、ライブで聴いた歌だと思います。よりリアルです。

祈り
作詞作曲:長渕剛

お前が去ってくその前に
なぜに電話くれなかったか
やさしすぎるお前のことだから
それが思いやりのつもりだったのか
俺たちいつでもひとつなんだと
あれほど話し合ってきたよね
お前のことはすべてわかっている
つもりの自分がくやしすぎるよ
二人でいくつもの夜をこえて
新しい朝が目の前だったのに
深く瞳を閉じて今
天女のようにお前は一人
空へ帰る

お前が選んだ人生も
お前が歩いてきた道も
信じきれぬままのはがゆさの中で
ためらいながら
俺は人生を探すだろう
今度生まれてくるときは幸せな日々を
おくれるといいね
お前の好きだったあの唄を
今夜は朝まで歌ってあげるよ
二人でいくつもの夜をこえて
新しい朝が目の前だったのに
深く瞳を閉じて今
天女のようにお前は一人
空へ帰る
天女のようにお前は一人
空へ帰る

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僕と歩こうよ
作詞作曲:長渕剛


なんにもしてあげられなくて
どうしていいかわからなくて
君をひとりぼっちにさせて
悲しませてごめんね

震える君の細い肩を
そっと抱きしめてあげたくて
涙がとめどなく流れた
もうどこにもいかない

凍りつくよなせつなさに
心が苦しくてたまらない

もう泣かないで
もう泣かないで
僕といっしょに歩こうよ
僕といっしょに歩こうよ


君が見つめてる星空に
僕がよりそうことを忘れ
しあわせが何かもわからず
君の涙で気がついた

もっと強く生きてゆけたら
君を笑顔にできるのかな
君がしあわせに笑ったら
もうそれだけでいい

小さな胸にしまってた
大きなさびしさ大事にして

もう泣かないで
もう泣かないで
僕といっしょに歩こうよ
僕といっしょに歩こうよ

2012年6月8日金曜日

Facebookの盛衰


水曜日、仕事から帰って、ふと携帯電話の画面を見ると、着信履歴にウェルネスパーク図書館からの着信が記録されていました。
あれ?最近本など借りていないのに・・・と思いながら電話を掛けて尋ねると、昨年末に貸し出し予約していた本が準備できた旨の連絡でした。

この、用意頂いた本は、
ウォルター・アイザックソン著『ステーブ・ジョブズ』です。
昨年10月に、ジョブズが亡くなった数週間後に全世界で同時発売となった、ジョブズの自伝、遺書、もしくは赤裸々な告白本というべき本で、ベストセラーとなりました。
ステーブ・ジョブズは同世代の人で、私もIT業界に一時身を置いていたことから、業界誌に載る彼の逸話などにも触れてはいました。
でも当時のジョブズの印象は、ガレージからAppleを興したシリコンバレーの寵児という事くらいで、Macintoshの以後の彼の年代記、そして歴史的な功績についての詳報は、Newsweek誌のジョブズ追悼の特集記事を読んで初めて体系的に知りました。
ジョブズは商売を成功させるためにマスコミを利用する才に非常に長けた人でありましたが、自分の事は話さない、人付き合いがあまり上手でない人であったようであります。
そんなジョブズが、著者を自宅に招き入れ、長々とインタビューに応じた。また彼の家族もインタビューに応じた。それが本になったのが『ステーブ・ジョブズ』です。私は、この本を読み、人間ジョブズに触れたいと思いました。

あれから9ヶ月、書店に平積みされていた本は、もやは表で見ることはありません。そしてジョブズ本人も過去の人となりました。

ただAppleは堅調ですね、ジョブズが残した遺産は非常に大きかった。ジョブズはApple製品を、コアなAppleファンだけのものから、現代のコミュニケーターとしてコモディティ、いわゆる生活必需品に押し上げたのです。

ただ、21世紀に新しく生まれたコミュニケーターは、今年に入って急速にその成長が鈍化しています。

Facebook、人類史上最大の9億人を超える利用者を誇るコミュニケーターです。
昨年上半期に、アラブの春、虐げられていた民から沸き上がった民主化運動の輪を広げたコミュニケーターとしてTwitterとともに一躍注目を浴びました。
そして今年5月、ついに上場し、IT業界の歴史を塗り替える1000億ドルという巨額の資金調達を果たしました。
しかしFacebookのバブルに懐疑的な声は当初からありました。そして上場に前後して、それはFacebookへの失望に変わりました。

Facebookには二面性があります。
ひとつは、9億人以上の利用者を繋ぐコミュニケーター
そしてもう一つが、Facebookに金をもたらす顧客、広告主に、9億人以上の集めに集めた個人情報をマーケットに即した集客データに加工して提供する、いわゆる情報屋
です。
コミュニケーター利用者には、実名主義を押しつけてどんどん個人情報を引き出させます。
そして、匿名利用者や個人情報提供を拒む利用者は、Facebookワールドに放たれた『実名ポリス』プログラムによって、無慈悲に追放されるのです。
Facebookに依存した生活、もしくはビジネスをする人にとって、コミュニケーションが人質にされたのです。そしてここにきて利用者増が鈍化し始めました。
また広告主側も、広告メディアとしてのFacebookの誇張に気付きました。実際にFacebookの広告を見て商品購入に繋がるのは二割程度という報告があります。そして現在、そして今後、コミュニケーター利用のベースとなるモバイル端末(iPhone、スマートフォン、タブレット等)においては、現状まったく広告効果が見いだせないという報告もされています。そして広告主はFacebookを見切り始めたのです。
ハーバード大学学生寮の一室で生まれた、仲間との赤裸々なコミュニケーションを楽しむツールは、宗旨替えして個人情報から金を生む錬金術になり、やがては金の亡者の餌食となりました。
Facebookの頭領マーク・ザッカーバーグは、
Facebookにビジネスアプリケーションを投入する、だとか
Facebookに特化した新たなモバイル端末を開発する、
というアドバルーンを上げて、顧客の引き留めに躍起になっていますが、ビジネス分野しかりモバイル分野しかり、先行するIT企業の独断場であり、また高度に成熟した分野であります。
大金をせしめたザッカーバーグの盟友達は、新たな冒険に挑むためFacebookから去り始めています。

そしてこの度のFacebookの上場、新規株式公開、IPO(Initial Public Offering) で、現在のIT企業銘柄のバブルを示す?指標、株価収益率(株価/一株当たりの収益)、P/E(Price Earnings Ratio)なるものを知りました。
アメリカでは業態によって異なりますが、P/Eは14~20が適正とされています。
そして現在の著名IT企業のP/Eは
MicrosoftのP/E 10.71
AppleのP/E 13.93
GoogleのP/E 17.52
FacebookのP/E IPOまでは100を超える値で推移、しかし本日はそれでも67.29
で、FacebookのP/Eがとしゅつしているのがわかります。

P/Eの最新数値は、Yahoo!FINANCEで参照しました。
http://finance.yahoo.com/q?s=FB

マーク・ザッカーバーグは、ジョブズを讃え、また次代のジョブズを継ぐ者と評されることもありますが、どうやら真の顧客が誰かをはき違えたようです。ジョブズであれば、こんな間違いはしでかさなかったでしょう。
利用者にとって素晴らしい商品やサービスは、文化となって、黙っていても利用者がそれにお金を払います。
Facebookは、結局は、利用者にノリの良いブームは生んでも、文化にまで昇華できなかったという事でしょうね。

梅雨に入りました。


本日、気象庁から
九州北部から四国、中国、近畿に掛けて梅雨入りしたと発表がありました。
近畿地方の平年の梅雨入りは7日ごろなので、平年並みということでしょうか。
因みに昨年は5月22日と平年よりも17日も早い梅雨入りでした。

昨日までの陽光は、暗い雲に遮られ、そして昼前からぽつぽつと雨が落ちてきました。
週間天気予報を見ると、ずっと曇か雨マーク、ちょっとげんなりです。
雨の日が続くと外出するのが億劫になって、せっかく歩くのが楽しい~!って調子に乗っている、この気持ちに水をさされそうです。

気象庁>平成24年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)
http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html

2012年6月6日水曜日

金星の日面通過、ただいま観測中・・・


今日の太陽は、今年初めて夏を感じさせてくれる輝きを放っています。
そんな太陽を自作日食メガネを通して見上げました。

フィルム1枚では太陽の光が強くて、フィルター越しでも太陽はたぎっています。
そしてフィルムを二枚重ねにすると、太陽は赤い円に変わりました。
でも、金星が描く食は見えません。
太陽は5ミリ程度の円に過ぎず、金星が描く食は遙かに小さい、そして私は視力が悪い、残念ながら食を判別することはできませんでした。

でも、強い日差しを有り難う、洗濯物が良く乾く
と感謝を忘れない私でありました。


追伸。
ネットで、24時間ソラをLiveする番組
”SOLIVE24”
http://weathernews.jp/solive24/
で金星の日面通過を見ました。
画面には2㎝ほどの沈んだ白い色の太陽の上面に小さな点、金星が見えています。
こんなに小さければ、やっぱり裸眼で見えなくて当然だと思いました。

『思えば遠くへ来たもんだ』


武田鉄矢率いる海援隊の楽曲の中で1番好きな歌であります。
初めてこの歌を聴いたのはまだ十代の頃、でも一番の歌詞

踏切の側に咲く コスモスの花揺らして
貨物列車が走り過ぎる そして夕日に消えてゆく

十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳を当て
レールの響き聞きながら 遙かな旅路を夢見てた

にいつも幼き頃の記憶に心を馳せていました。

5、6歳の頃、まだ姫路駅から飾磨港に続く一本のレールが生きていました。
そして、縦列した蒸気機関車が60以上の貨物車両を運んでいました。
私は毎日、レールと小道が交差する踏切のそばに立って貨物列車の数を数えました。
車両の縦列があまりにも長いため、汽車はスイッチバックして荷物を配てゆきます。
ですから一端汽車が通り始めると一時間はゆうに眺めることになりました。
小児喘息で、外で遊ぶことが少なかった私にとって、それは毎日訪れる夢の時間でありました。

二番の歌詞

二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた

思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す

私も恋は沢山しました。そしてそのひとつひとつを一度と信じ、恋に破れては失意に暮れもしました。でもその度に私の中の神格化した女性像は、より身近な女性へと変化し、手の届かないものから、共に刺激し合える最良の人となっていきました。

そして三番の歌詞

眠れぬ夜に酒を飲み 夜汽車の汽笛を聞く度に
僕の耳に遠く近く レールの響きが過ぎてゆく

思えば遠くへ来たもんだ 振り向く度に故郷は
思えば遠くへ来たもんだ 遠くなる様な気がします

思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

まだまだ二十歳半ばであった武田鉄矢は、どうしてこんな詩文が描けたのだろうと、今になって驚きます。
”思えば遠くへ来たもんだ”は、一つは地理的な距離を表しますが、それよりも私は過ぎ去った時間への思いを強く感じます。物語の主人公は、戻れない時間に心を馳せ、そしてこれから巡る時間に身を委ねているのです。
最近の私は、漸く三番の歌詞に心を打たれるようになりました。

武田鉄矢という人、
実は私の『龍馬信仰』の大師匠であります。
二十代に、初めて人に心酔しました。その人は二つ歳上の会社の先輩宮本さんで、宮本さんは浪人生の頃に武田鉄矢の深夜ラジオ番組を友として、武田鉄矢が熱く語る龍馬に傾倒していきました。
宮本さんは、初めて出会った時からいつもふつふつとしていて、酒を飲めば龍馬を熱く語ります。私はそんな宮本さんに心酔し、そして龍馬その人にも傾倒していったのです。

武田鉄矢という人は、教師に似合う役者ですが、私は詩人として希代な人と思います。




一日の王


手元に
『日本の名随筆10 山 北杜夫編』
があります。二十代の中頃に求めた書です。
実はもう一冊求めた書があり、それは『11 酒 田村隆一編』でした。
山と酒、当時の私の(そして今もですが)憧れの対象でした。

『酒』は、旅の途中に紛失してしまい、今は『山』だけが手元にあります。
そして時たま書棚から取り出してはペラペラと頁をめくり、目に留まった題の散文を読み返すのです。
そして今日、目に留まったのが
尾崎喜八の『一日の王』でした。

『一日の王』
葡萄酒とお気に入りの詩集『シェーヌヴィエール著”一日の王の物語”』を携えて山を巡る男が主人公の散文詩です。
私にはとても難解な詩文ですが、その終わりの一行

かくて貧しい彼といえども、
価無き思い出の無数の宝に富まされながら、
また今日も、
一日の王たることができたであろう。

に心を打たれました。

山を巡るということは、”価無き思い出の無数の宝”、そう、触れ、見聞きし、味わった無数の感動を得るということ。
それは、権力と富の上に鎮座する世の王よりも、儚く脆く、でもとても崇高な境地に一時立てるということ。
そういう思いに心を打たれました。

世には『感動体験!』と銘打たれた旅企画が目白押しです。
そして私たちは、用意された感動に飛びつきます。
でも何気ない山歩き、海歩き、町歩きでも、目を開けば、耳を澄ませば、心を解き放てば、感動はそこいら中に溢れています。

名文は、こんな増大な思いを、たった一行で端的に表現していました。
これも、素晴らしい感動でした。