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差別の天秤

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2012年6月6日水曜日

『思えば遠くへ来たもんだ』


武田鉄矢率いる海援隊の楽曲の中で1番好きな歌であります。
初めてこの歌を聴いたのはまだ十代の頃、でも一番の歌詞

踏切の側に咲く コスモスの花揺らして
貨物列車が走り過ぎる そして夕日に消えてゆく

十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳を当て
レールの響き聞きながら 遙かな旅路を夢見てた

にいつも幼き頃の記憶に心を馳せていました。

5、6歳の頃、まだ姫路駅から飾磨港に続く一本のレールが生きていました。
そして、縦列した蒸気機関車が60以上の貨物車両を運んでいました。
私は毎日、レールと小道が交差する踏切のそばに立って貨物列車の数を数えました。
車両の縦列があまりにも長いため、汽車はスイッチバックして荷物を配てゆきます。
ですから一端汽車が通り始めると一時間はゆうに眺めることになりました。
小児喘息で、外で遊ぶことが少なかった私にとって、それは毎日訪れる夢の時間でありました。

二番の歌詞

二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた

思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す

私も恋は沢山しました。そしてそのひとつひとつを一度と信じ、恋に破れては失意に暮れもしました。でもその度に私の中の神格化した女性像は、より身近な女性へと変化し、手の届かないものから、共に刺激し合える最良の人となっていきました。

そして三番の歌詞

眠れぬ夜に酒を飲み 夜汽車の汽笛を聞く度に
僕の耳に遠く近く レールの響きが過ぎてゆく

思えば遠くへ来たもんだ 振り向く度に故郷は
思えば遠くへ来たもんだ 遠くなる様な気がします

思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

まだまだ二十歳半ばであった武田鉄矢は、どうしてこんな詩文が描けたのだろうと、今になって驚きます。
”思えば遠くへ来たもんだ”は、一つは地理的な距離を表しますが、それよりも私は過ぎ去った時間への思いを強く感じます。物語の主人公は、戻れない時間に心を馳せ、そしてこれから巡る時間に身を委ねているのです。
最近の私は、漸く三番の歌詞に心を打たれるようになりました。

武田鉄矢という人、
実は私の『龍馬信仰』の大師匠であります。
二十代に、初めて人に心酔しました。その人は二つ歳上の会社の先輩宮本さんで、宮本さんは浪人生の頃に武田鉄矢の深夜ラジオ番組を友として、武田鉄矢が熱く語る龍馬に傾倒していきました。
宮本さんは、初めて出会った時からいつもふつふつとしていて、酒を飲めば龍馬を熱く語ります。私はそんな宮本さんに心酔し、そして龍馬その人にも傾倒していったのです。

武田鉄矢という人は、教師に似合う役者ですが、私は詩人として希代な人と思います。




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