伊予・松山で生まれた三人の少年、秋山真之、秋山好古兄弟と正岡子規を主人公に、彼らの成長と、明治期の日本が如何に、極東の小国から列強国への道を歩んだかが描かれます。
このドラマの主題歌として作られたのが『Stand Alone』、ヒットメーカーの久石譲さん作曲、小山薫堂さん作詞で、第1部では、世界の歌姫サラ・ブライトマンが参加し、ドラマのエンディングではボイスレスバージョンが流れていました。
第1部のサウンドトラックCDには、サラ・ブライトマンが日本語歌詞で歌うバージョンも入っています。
久石譲さんが制作されたボレロ調の曲は、物語のスケールの大きさに呼応する、共鳴する力強さがあり、また小山薫堂さんの詞の『一朶の雲を目指し』のフレーズは胸にじんときます。
歌いたい、という願望が強くなり、今日、歌唱したビデオを制作しました。
ベースは、サラ・ブライトマンさんのボイスレスバージョンの曲です。
その曲を聴きながら歌をICレコーダーに吹き込み、Voice編集ソフトでmp3のミュージックファイルを作成しました。
もう一つ、私にとっての『Stand Alone』は何であったろうか考え、思い至ったのが、20歳の時に、私にとっては極めて大胆な行動を伴う、初めての富士山登頂だと思いました。
古いアルバムから30年前の写真を見つけ、スキャナーで取り込み、背景に使用しました。
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20歳当時、静岡県に文通をしていた(文通って分かりますか?)2歳年上の女性がいました。(当時は文通というのがそこそこ流行っていたのでした。)
その年の夏休み、深夜の明治製菓アイスクリーム製造のアルバイトで金を貯め、富士山に登る計画を立てました。その文通相手にその事を手紙で伝えると、お金もないことだろうから、自宅に(当然ながら家族で住まわれている自宅へですよ)泊まる様勧めて頂き、結果、ご好意に甘えました。
でも、やはり一人で行くのは気恥ずかしい、それで地元の悪友の一人、藤原某君に声を掛けると『行く』と間髪入れずの返事で、とんちんかんな二人旅と相成りました。
一日目は、浜松で下車して、文通相手の車で浜名湖など観光に連れて行って貰い、夜は自宅でご馳走を頂きました。本当にまぁ、下品で礼儀も知らない若造二人を、ご家族総出で持て成して下さいました。30年ぶりですが、改めて、有り難うございました、と感謝の気持ちを伝えたいと思います。
そして、次の日、浜松から在来線で静岡に、静岡から甲府行きの電車に乗換、富士宮駅で下車しました。
富士宮駅を出ると、人気がない、富士山を見上げると低い雲で上が見えない。天気は大丈夫か、その時、初めて不安になりました。
とにかく五合目まで行こうと決め、バスを探していたところ、タクシーの運ちゃんが『上は晴れてるよ』と声を掛けられ、言われるままにタクシーに乗り込み、五合目で下車。
富士宮口登山道の五合目にあるレストハウスも閑散としていて、でもここまで来たら後へは引けない、向こう見ずというより、後ろを見るのが怖かった、というのが本音で登り始めました。
6合目、7合目と過ぎた当たりで何かおかしいと感じ始めました。その道中、愛知から一人で別の登山口から登られたA氏と合流、A氏は一人で別の登山口から登られたのですが、道に迷われ、さ迷っている内に我々とばったり出会ったとの事。そこからは三人で頂上を目指しました。
ろくな装備もない。水も食料も乏しい。今では絶対に考えられない無謀さ、無知、危険きわまりない行動でした。道中で、藤原某君が突然『死んでまう~』を連呼し始めました。顔は蒼白です。二人とも、富士宮の駅前で買ったビニールのレインコートはズタズタに破れ、パンツまでびしょ濡れです。その時、藤原某君のおかあちゃんの顔が浮かびました、『死んでもたらどうしょう~』、とりあえず手を引いて登りました。そして、8合目の山小屋に陽が沈み掛けた頃到着しました。
山小屋は開いていて、宿泊することにしました。山小屋の中のコタツで暖を取りながら、じいさんの話に耳を傾けていると、富士山の夏登山のシーズンは終了し、この山小屋だけしか開いていない事、また沖縄当たりまで台風が接近しており、高地である富士山は、もう台風の影響を受け荒れ始めているという事を聞きました。
翌朝、4時か5時頃ですが、8合目山小屋の辺りは靄が晴れ、雲海、そしてご来光を拝む事が出来ました。
そして、3人で頂上を目指し、登り切りました。山頂では、お鉢巡りを試みました。が、経験した事のない上昇気流の剛風が、這いつくばって進もうとする体をこわばらせ、断念しました。断念して正解だったと思います。
A氏がウィスキーを持っていました。岩肌から落ちる雫をグラスで受けて、水割りを飲みました。岩肌と根雪に覆われた頂上は、別世界でした。特にその時は酷い天候で、内心はびびりまくり。雫で割ったウィスキーは旨いと同時に、勇気をも与えてくれました。
そして下山、8合目まで登ってきた道を戻り、8合目から砂走りのコースで一気に5合目まで駆け下りました。藤原某君は、すっかり体調が戻り、わたしを置いて奇声あげながら飛ぶが如く落ちてゆきました(下りてゆくの誤りです)。
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初めての富士山登頂、ここまで読んで下さった方は既にお分かりですね。旅は初日だけを決めた行き当たりばったりの無計画だったのでした。
これまで生きてきて、あんな無謀な事は、その後、と振り返ると、やはり何度かやっています。懲りない性格ですね。
でも、私にとっての『Stand Alone』は、やはり、初めての富士山登頂です。何せ命がけで何かをした、というのはこの時が生まれて初めてであった訳ですからね。