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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2026年4月13日月曜日

桜を見る会

 昨日は、好天の下で一本松連中かんちゃん宅の「桜を見る会」が開かれました。

桜の老木は、先日の嵐にもめげずに花を残してくれていました。しかし、春咲きの椿が盛んに花を付け、その赤色がとても鮮やかで目を楽しませてくれました。

まぁ花見はかこつけで、ようは親睦会です。

マー君とヒロ君それぞれが育てた新鮮この上ない分葱を使って、イチャサンがおばちゃん秘伝の調理法でぬたを作ってくれました。調理の前に、畑から取り立て洗い立ての生わけぎを一本食べましたが、根っこの白い部分は特に辛みが強かったです。ですが、シャキシャキとした新鮮さは格別でした。分葱はゆでると辛みがなくなりヌルヌルとした食感だけが残ります。そして、イカとツブ貝と辛子酢味噌で和え出来上がった特製ぬたは、この上なく美味しかった、美味しすぎて山盛り頂きました。その所為でしょうか、夜、自宅で寝転んでテレビを観ていた時、思わず出た屁に閉口した妻に、窓を開けられた上に「食べ過ぎや」と嫌み節投げつけられてしまいました。さっそくがんこもんグループにLINEで訴えると、イチャサンからも同様の事態の報告を受けました。分葱恐るべしです。朝からもお腹の調子、絶好調です。


2026年2月21日土曜日

友、梅香芳しき嘉節に逝く

この日が来ることは分かっていたけど、一報に触れた時はさすがに苦い思いが溢れてきました。

一番誕生日の遅い連中が、65倶楽部入りを果たすことなく、昨日の未明に逝きました。

火曜日に本人が希望して自宅に帰ってきたそうです。壮絶な苦しみようであった様ですが、妻や娘に看取られながら、最後は静かに息を引き取ったそうです。

一言でいえば我が強い男でした。家族に対してもそうであった様子です。

『一生懸命』を座右の銘にしていた男でもありました。

少年の頃はスラリとした美男子で、野球がとても上手かった。

学生の頃は音楽に夢中で、ブラスバンドのリーダーを担いながらサックスを吹いていました。

日本海海戦の物語が好きで、作戦参謀の秋山真之に憧れていた節がありました。だからでしょうか、『宇宙戦艦ヤマト』が大のお気に入りアニメでした。

そうそう、花の中三トリオが現れたときは、山口百恵一押しでした。デビュー当時の百恵さんは世の中的には人気三番手であったのに、やはり音楽の才を見定める嗅覚があったのでしょうか。

ただ、神経質な一面があって、二十代前半の一時期、とても苦しんでいた事を思い出します。それが為、以後一生懸命に生き抜くために、我を張るという術を覚えたのかもしれない。

そんな、身勝手な回想に、今、耽っています。

2024年1月6日土曜日

カズヤ逝く

5日の朝、一本松連中の幼なじみ、カズヤが逝きました。

昨年の夏の終わりに友だち四人で会いました。その一人がカズヤでした。その日、カズヤは退院したその足で集まりに参加してくれました。

イチャさんは、それが何より嬉しくて、少し調子に乗りすぎてしまい、いつもなら笑って怒って許してくれるカズヤが、本気で怒って沈んで黙ってしまいました。その日、カズヤに会う前に、イチャさんからカズヤが入院していて、今日退院で、その足で来てくれると聞いていました。カズヤはその時も体調が思わしくない様子でした。でも、これからは良くなると思っていました。

10月15日の朝、一本松連中の集まりに、一時顔を出しました。その時に、一言二言会話を交わしたのが、最後の会話となりました。その時、集合写真を撮ったのが、私が撮影したカズヤが写る最後の写真となりました。

若い頃はけんかっ早いところがありましたが、最近ではすっかり好々爺の風がありました。子供や孫を大事にしていました。

撮りためていた写真データを、見返し、カズヤが写る写真を探しました。笑みを浮かべる顔は、本当にハンサムです。後、2014年10月15日の本宮、牛谷丁の獅子道中舞で、軽妙に太鼓を叩いて音頭を取る笑顔のカズヤが写る映像がありました。こちらを向いて何やら言葉を発しているカズヤがそこにいました。

私は明日の告別式に参列する予定で、今夜の通夜に参列していません。ですから、まだ実感が湧きません。近くにいても、顔をあわせて話すのは年に数回程度です。ですから、少し時間がたったら、また顔を見られる様な気分でいるのです。昨日今日と面会したイチャさんなどはきっといま辛い気持ちになっているのだろうなと思います。

2022年2月26日土曜日

ぼーさんのお父さんが亡くなりました。

 一報を受けたのは昨日午前で、同じく大変お世話になった方の告別式に向かう準備の最中でありましたので、驚きで言葉を失ってしまいました。

そして今昼に、ぼーさん宅に弔問しました。

白布団に横たわるおっちゃんの枕元に静座して顔を見つめた時、感謝の気持ちが湧いてきました。その気持ちをそのままぼーさんに伝えました。

おっちゃんは・・・聴力がすっかり衰えていたけれど、できることはできる限りご自分で行い、高齢であるがため、きっと痛いところ辛いところは一杯あったはずなのに、そんな素振りは一切見せず、そして、少し食欲が落ち体調が悪いとなって入院したところ、五日目で亡くなってしまった・・・とぼーさんが話してくれました。

おっちゃんは、一本松連中の父親、最後のひとりでした。そんなこんなが、感謝の気持ちに、ぼーさんと同じ気持ちになったんだと思います。


2021年11月27日土曜日

淋しい出来事

 今週は、とても淋しくなる出来事がありました。「笑いましょ♪」が信条の連中いちゃさんのおっちゃんが亡くなられたことです。

翌日の朝、お悔やみに訪問した時、悲しみを堪えながらおばちゃんが話しをしてくれました。八月の終わりに誤嚥で緊急入院し、医師の懸命な治療も及ばず、約三ヶ月間厳しい状態が続いた後、24日の朝に突然別れが訪れたという事でした。

いちゃさんが入院中に撮影したおっちゃんの姿を見せてくれました。入院後に言葉が発せられなくなってもう会話もできないと諦めを抱いていたところ、病室で流した祭り囃子の拍子に合わせ「ヨイヤサ!」「ワッショイ!」とハッキリと声を発し、その後、詰まりながらも会話が弾む様子が映っていました。みんな笑顔になれました。

告別式では、在りし日のおっちゃんを中心にした家族の写真を見ました。いつも側におばちゃんが微笑んでいました。夫婦は他人という言葉がありますが、おっちゃんおばちゃんのお二人を眺めていると、いつまでも若々しい愛情が保たれていたんだなと実感します。いちゃさんの負けです。

おっちゃんは91歳でした。私の母より5歳も若い。

おばちゃんは私の母より10歳若い。おばちゃんには私の母の長寿記録を是非抜いて欲しいと思います。母ばまだ存命ですので、記録更新はまだまだ先です。これからはおっちゃんの分も含めて、息子二人を思い存分頼りして、健康で笑顔で長生きして欲しいです。


2020年6月22日月曜日

おやじの唄

先日の事です。
カンチャンの家で、イチャサンが歌を聴かせてくれました。その歌は吉田拓郎の「おやじの唄」でした。
酔ったイチャサンは、本当はオッチャンが亡くなった時に酷く落ち込んでいたマエダに聴かせたかった、でも聴かせることができなかったと話します。
マエダはお父ちゃんが大好きやったからこの歌聴かせたかった。でも歌詞の中に
「おやじが人のことを疑うことを教えてくれた」とか
「おやじが人を裏切ることを教えてくれた」という詩があって、それで気分を害するんじゃないかと思い、贈れなかった・・・
28年も前の出来事についての突然の告白に、少々戸惑いましたが、でもそれ以上に友の心遣いに感銘を受けました。

そして、今まさにイチャサンは28年前と同じ心模様である事も知りました。過日、長い闘病の末に逝った父を見送ったばかりの万ちゃんへの心遣いです。
万ちゃんもおっちゃんが大好きやった。だからこの歌贈りたい、でも・・・贈れない

吉田拓郎の「おやじの唄」は、1972年に拓郎を一気にスターダムにのし上げた「旅の宿」のB面曲として発表された歌でした。広島から一人上京し歌手活動に奮闘していた最中に、届いた父親の訃報。スケジュールの詰まった拓郎は帰省する事ができず、東京の自室に一人となってこの歌を作ったと云います。時に拓郎26歳。

※詩を転載させて頂きます。

「おやじの唄」
吉田拓郎

おやじが全てだなんて 言いませんよ
僕一人でやった事だって 沢山ありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが人を疑うことを 教えてくれたこと
おやじは悲しいくらいに 強い人でしたよ

おやじが全てだなんて 言いませんよ
僕一人でやった事だって 沢山ありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが人を裏切ることを 教えてくれたこと
おやじは泣きたいくらいに 酷い人でしたよ

おやじが全てだなんて 言いませんよ
僕一人でやった事だって 沢山ありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが人を愛することを 教えてくれたこと
おやじは惨めなくらいに 独りぼっちでしたよ

おやじが全てだなんて 言いませんよ
僕一人でやった事だって 沢山ありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが生きると云うことを 教えてくれたこと
おやじはやるせないくらいに 精一杯でしたよ

おやじが全てだなんて 言いませんよ
誰だって一人でできること位 ありますよね
一つだけ言ってみたいのは
おやじがいつもの口癖通りに 生き抜いて見せたこと
おやじは誰にも見られずに 死んでいきましたよ

おやじが全てだなんて 言いませんよ
だけどおやじもやっぱり 人間でしたよ
死んでやっと僕の胸を 熱くさせましたよ
死んでやっと僕の胸を 熱くさせてくれましたよ

youtube「よしだたくろう☆'70~'72をめぐる冒険⑨おやじの唄の巻」
https://www.youtube.com/watch?v=bjqRXySAr5g


詩にこもる父親への愛憎と感謝、
32歳当時の私は、もしかしたら複雑な感情や否定的な感情を覚えたかもしれません。
でも今60歳を前にした私には、精一杯生きた父親への賛歌です。
ありがとう拓郎
ありがとうイチャサン

2020年6月8日月曜日

弔意

連中の親が、また一人黄泉へと旅立たれました。
昨日、長きに渡る闘病を終えられてご自宅に戻られたと連絡があり、他の連中と共にお別れに行きました。
闘病の間、何度も危険な状態に陥られたという事で、おばさんの、もう覚悟はできていたという言葉が印象的でした。
今日も外は五月晴れが広がり、空気は涼やかで清らかです。おじさんの旅立ちの心情であればと思います。享年八十六歳、ご冥福をお祈り申し上げます。

2020年3月12日木曜日

カンチャンのお母ちゃん

5日に、イチャサンから連中LINEでカンチャンのお母ちゃんの訃報が届きました。
それでカンチャンに電話をしました。

カンチャンのお母ちゃんは、随分前から介護施設に入居されていました。
そして最近では、認知症が進んでカンチャンのことも分からなくなっていたと言います。
でも一ヶ月ほど前、カンチャンが見舞いにいくと、驚いたことに正気を取り戻し明るく応対してくれたと言います。
その時、カンチャンは思ったそうです。死期が近付いたことのサインではないかと
そしてこの一ヶ月は、足繁くお母ちゃんを見舞ったといいます。

カンチャンのお母ちゃんが亡くなられた3月1日、カンチャンは最後を看取ることができなかったといいます。
でも、カンチャンの話しぶりから、ちゃんとお別れができたという自負を感じ取ることができました。

4月5日、カンチャンの北脇の家で一本松連中の花見をします。
その日に、連中皆で、カンチャンのお母ちゃんを送りたいと思います。

2019年12月1日日曜日

東北の芋煮会?

ちょうど1週間になりますが、先週の日曜日11月24日(日)に一本松芋煮会を行いました。
10月の祭の時に、次はマー君が育てた芋で芋煮会をやろう!という話となって、それからはいちゃさんの音頭で、賑々しく芋煮会の準備が進められました。

準備の話し合いは、グループLINE上で行います。
そして、
・11月24日(日)雨でも決行、集合は8時半
・芋煮は、芋煮のメッカ山形風の醤油味→こちらはぼーさんからの強い希望?
・青を招待→最初は意味分かりませんでした
で、当日を迎えました。

8時半、主のいないカンチャンの家の庭(カンチャンは残念ながら仕事で欠席)に集合しますと、すでに本日の主菜である里芋、安納芋がたんまりと運び込まれていました。マー君が丹精込めて作った芋達です。そしておくどさん、本日のもう一つの主役です。

万ちゃんと私で副菜をマックスバリューに買い出しに行き、
残った連中で、
・おくどさんの火入れ
・バーベキューの火起こし
・里芋の皮むきと煮始め
・マー君手製のいぶり壺の設営と、安納芋のいぶり始め
を行いました。
そして、ほぼ食事の準備が整ったころあいで、カズヤと本日の賓客であるひがっしょの連中7名を迎えに行きました。

ひがっしょの連中とは、東ノ町出の中学の同級生です。
祭本宮の日に、いちゃさん、ぼーさん、マー君が宮をうろついていて、ひがっしょの魚ちゃんに出会ったことから、ひがっしょ連中の寄り合いに招かれ?、その返礼として、芋煮会にひがっしょの連中を招待することになったのです。ちなみにひがっしょのカラーは青です。ですから以降、青の連中と呼称します。

そして11時過ぎに、テーブルセットも整ったところで、北脇一本松連中主催の「東北の芋煮会?」が賑々しく始まりました。
まずは献盃です。
青の連中で、わかいころに旅立ってしまったむーさん、
青の連中でも、一本松でもないけれど、みんなの記憶に残る、そして二十歳そこそこで旅立ってしまった西浜のますき君
そして今年旅だった一本松のたくろうさん
に献盃しました。

芋煮の汁の味付けは、いちゃさんからのご指名で、不肖ながら私が担当しました。山形の芋煮のビデオをYouTubeで見、様々なレシピサイトも見て回りまして、最後に行き着いたのが、料理研究家土井善晴さんのレシピです。

※みんなのきょうの料理
https://www.kyounoryouri.jp/recipe/13984_%E8%8A%8B%E7%85%AE.html

そのレシピを元に、当日4時にグループLINEで以下の分量を流しました。

『◎芋煮
12人分

◎材料
里芋 24コ
牛切り落とし肉 600g
こんにゃく 2枚
ごぼう 2本
ねぎ 4本
人参 2コ
椎茸 4コ
ちくわ 4コ

◎煮汁
醤油 お玉1杯
みりん お玉2杯
出汁 お玉3杯
酒 400cc

水 2400cc
みそ 160g

◎下ごしらえ
・里芋は、ぬめりをださぬよう、洗わずに根元の固い部分を切り落とし、革をそげてむく。全部むけたらきれいに洗う
・こんにゃくは、一口大にちぎって水から茹で、煮立ったらざるに上げる
・ごぼうは表面の薄皮だけをたわしで洗い、大きめのさきがきにして水にさらす 10分
・人参、椎茸は乱切り
・ねぎは2㎝に切る

◎調理
①里芋を柔らかくなるまで茹でる あくをしっかりと取る
②鍋を空にして、肉を炒める、最後にみそを加えて香ばしくして、取り出す
③水を入れ、里芋、こんにゃく、ごぼう、人参、椎茸を入れて煮る アクを取る
④煮立っていたら、肉とねぎを加える
⑤味をみながら煮汁を加える

完成』

しかし、早速マー君からクレームが入ります。
里芋24個は少な~い!!!
俺の芋は灰汁はでな~い!!!
と・・・

そして、水2400ccと煮汁の元を作って持って行ったのですが
おくどさんには鍋一杯に芋と水が張っていて、水の量も分からず終い
煮えたぐるおくどさんから必死で灰汁を取り続け、頃合いを見計らって煮汁の元と酒(ワンカップ二本)を加えました。
最後は、ぼーさんが味噌と醤油で匙加減をしてくれまして
たかちゅん曰く「めっちゃ美味い!!!」
芋煮が完成しました。

バーベキューでは
秋の味覚、秋刀魚と牡蠣が好香を放ち、肉は香ばしさを放ちます。
後、もう一品として、家で作ったニンニクのオイル漬け(オリーブとバジル、唐辛子で漬けました)で、イカとベーコン焼きを作りまして、これも好評でした。
最後に、卵を焼き
デザートには
隣りの畑に成る柿を幾つかもらい
マー君のあんまい安納芋をほくほく頂き

と
深まる秋の一日を存分に楽しんだ次第です。

追伸.
以下の写真は、グループLINEからの転載です。撮影者は、ぼーさん、いちゃさん、まんちゃん、そして私です。



2019年10月15日火曜日

一本松十二人衆 参上

今年は、ぼーさん宅でお世話になりました。
三日間、奥さん 美味しい食事とお酒とお茶け、有り難うございました。
酒の飲めない私には、手作り甘酒振る舞って頂きました。美味かった!
また宜しくお願いします。
奥さんの最後の言葉
還暦のデーサービス、良かったです。
そしてそして
40年ぶりでしょうか、一本松の十二人衆が勢揃いしました。
京都から、埼玉から
そしてそして
黄泉から
集いました。

2019年4月8日月曜日

追悼花見

タクロウ追悼花見をカンチャン邸で行いました。
陽の当たる庭で、世間一般は満開の桜(カンチャンの庭の桜は何故か三分咲き)を愛でました。
タクロウは満年齢では、まだ誕生日を迎えていないので58歳でした。でも数え年では60歳、なのでタクロウの享年は60年です。

60年、60歳、
連中の中では、誕生日が一番早いのがぼーさんで、一番遅いのがたかちゅんです。昭和35年(1960年)~昭和36年(1961年)に生まれて、いよいよ、令和2年(2020年)~令和3年(2021年)で60歳です。
後何年生きるか、なんて若い頃には考えもしなかった。
そして、連中が亡くなる、なんてこと想像もしなかった。

でもしかし・・・、酔いが回るほどに(私は飲めない体になりましたので飲みませんが)、ガヤガヤと賑やかで楽しい酒宴となりました。「ひとりおらん」者も「そこにおるやないか」と勘定にいれ、「おらんもの」の性、酒の肴にしてました。こりゃタクロウもゆっくり寝てられんな、と思った次第です。

一人ひとり写真を撮ろうということで撮りました。そのままでは芸が無いので、アンディ・ウォーホル風ポップアートにしてみました。ポップアートにすると、個性が鮮烈に表現できました。面白い作品ができました。

2019年2月11日月曜日

白峰卓然

雪が肩に舞い落ち、耳元でカサカサと囁きます。
雪は何も言わないけれど、その囁きを聞くと、なんだが穏やかな気持ちになります。

今日は、播磨の国にこの冬初めて雪が降りました。
雪は、今もしんしんと降り続き、町を白く包んでいます。

三日前、午前11時25分に、一本松の中でも私と同じ不肖の兄弟のひとりが亡くなりました。
そしておとつい昨日と一本松は集まりました。
兄弟は、白峰卓然という法名を授けられ、仏の弟子となりました。

兄弟は、今日から真っ白い天の峰を目指す修行の旅が始まるのでしょう。
この雪は、兄弟の門出を祝う雪ではないかと思われます。