来月2月18日(火)で7歳になります。
猫族は人間よりも5~6倍老化スピードが速いと云われます。
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夏の高校野球大会地方予選がたけなわです。 終われない夏のガチンコ勝負、勝者は甲子園を目指して戦い続け、そして敗者はグラウンドに別れを告げる。そして彼らが戦ったゲームは、私たちの心に貴いドラマそして切ないドラマとして刻まれます。 野球が好きだから 『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』...
昨日1月27日の国際ニュースで、
アウシュビッツ強制収容所が連合軍の一翼であったロシア軍に解放されて80年目を迎え、アウシュビッツ強制収容所で虐殺された約100万人と云われるユダヤ人、そしてロマ人、性的マイノリティーの人々、ナチスに抵抗した人々の追悼祈念式典が行われたことを知りました。
母と同じ年のアウシュビッツを生き延びた99歳のユダヤ人男性が、ヨーロッパ各国で再び他者への寛容さが失われつつある現状に懸念を示し、特に若者たちに対して「人種や宗教、性的な嗜好の違いへの不寛容や敵意の現れ」に注意するよう訴え、ホロコーストの歴史を繰り返さないためにも、差別を煽る主張には賛同せず、許さないでほしいと訴えていたことが印象的でした。
その同日、日本では昨年末雑誌記事で明るみに出たテレビのトップタレントの一人であった人物によるフジテレビの女性アナウンサーへの性暴力に、局ぐるみで関与した疑いを向けられているフジテレビ、並びにフジメディアホールディングスの会長、副会長が、400名の記者、カメラマンを迎えて10時間を超える釈明会見を行いました。
会見の冒頭、一連の騒動の責任をとる形でフジテレビの社長と会長の二人が本日付で辞任したことを報告しました。そして、ジャニーズ性加害問題の釈明会見でも兵庫県知事の告発された諸問題への釈明会見でも見られた、核心部はすべて第三者委員会の調査に委ねているという他人事の様な答弁に終始し、保身と被害者感情を逆撫でする様な答弁を繰り返すばかりでした。
会見の視聴の最中、私は、もしもハンナ・アーレントがこの会見を見たとしたら、どんな感想を洩らしただろうと想像を巡らしました。
ハンナ・アーレントとは、ナチズムが吹き荒れたヨーロッパからアメリカに亡命したドイツ人政治哲学者です。彼女は、1961年にエルサレムで開かれたアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して、こんなにも凡庸なナチスの小役人が、600万人とも云われるヨーロッパのユダヤ人を絶滅収容所送りにする輸送の陣頭指揮を執っていたことを知り、愕然とし、「悪の凡庸さ」という概念を記しました。
私は、言葉も不明瞭で、緊張で手が震え、声がうわずる、そして自己保身の発言に終始する辞任したばかりの元社長や元会長を眺めながら、「悪の凡庸さ」という言葉を思い浮かべていました。が、その彼らの様子を注意深く見ていると、それは「悪の凡庸さ」では片付けられない、更にどす黒いものを感じてきました。
アイヒマンは、ナチスドイツ敗戦直後に行方をくらまし、15年近く逃亡しました。しかしモサドの執拗な追跡によって1960年にアルゼンチンで身柄を拘束され、1961年にエルサレムで「人道に対する罪」等15の犯罪の罪で裁判に掛けられました。彼は防弾硝子の透明な箱の中で、自ら「命令されたから行った」と弁明しました。怨みや憎しみの視線を浴びるアイヒマンの写真からは、悔恨の欠片さえ私は見つけることが出来ませんでした。
アイヒマンの身になって想像すれば、もはや孤立無援で、死の足音しか聞こえなかったのではと思います。傍観者にでもならなければ正気を保つ事が出来なかったのではと思います。
翻って、昨日の壇上の人々は、凡庸に振る舞うことで、厳しい追及に耐えきる事で、決して公に出来ない、隠し通さなければならない、守り通さなければならない、人物?もしくは事柄?への忠誠心、未だ活性化した忠誠心を感じるのです。これが私が感じたどす黒いものの正体です。
彼らにとって、会社を潰しても守らなければならない、千万という従業員、関係した人々の人生を台無しにしても守らなければならない、どす黒いものに、光を当て、駆除しなければ、このデモクラシーを標榜する日本自体が早晩滅んでしまうだろうと思います。