明日は久しぶりの加西行です。クリスマス絵本の朗読を子どもたちに届けられたと思っています。でも久しぶりの徒歩行でと思っているので、昨日練習がてら神戸の町を歩いてきました。
三宮から東遊園地でルミナリエの準備状況を眺め
http://kobe-luminarie.jp/
神戸市立博物館の前で「ボストン美術館の至宝展」に入ろうか迷い
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html
メリケンパークであすなろの木を眺めました。
http://www.kobeport150.jp/
そして家族へのみやげにと、元町中華街の老祥記を目指すものの人の列の多さに気後れし、それではともう一軒の老祥記に向かいました。元町商店街を西に四ブロックほど進んだところにありました。店に入るとカウンターと二テーブルには客は誰もおらず、四人がけのテーブルに座って家族へのみやげ分と実食用に一皿頼みました。おばちゃんがヤカンで何度も御茶を入れてくれます。すぐに一皿がテーブルに置かれて、小皿に醤油、お酢、辛子でタレを作り、小ぶりの豚饅頭三個に付けて食べました。中華街老祥記とはまた趣の違う豚饅頭で少し癖のある味ですが、これもまた癖になる味で美味しく頂きました。私に続き、幾人もの客が訪れました。ホッとできる店でした。兄がお気に入りだった神戸珈琲物語さんちか店で購入したクリスマス限定珈琲「カフェ・ド・ノエル」(http://kobecoffee.jp/SHOP/B0038.html)と併せて、帰ってから家族と頂きました。
そしてディープな元町商店街を抜けますと、「カレーのチャンピオン」(http://chancurry.com/about/)の看板が見えました。金沢工大に通っていたとき、野々市町にその店はありました。学生街の食堂で、カツカレーライスが腹一杯食べられました。あの店が神戸に出店したことは知っていました。35年前の懐かしい味に誘惑されて、おもわず店に入りかけそうになりましたが、さっき豚饅頭を食べたばかりでしたので自制しました。今度また食べに来ます。
そして、そして、黄昏の神戸駅前を後にし、家路につきました。
三時間ほどぶらぶらと歩きましたが、足思うほど疲れませんでした。明日はしっかり歩いて、子どもたちに心を込めて朗読を届けたいと思います。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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差別の天秤
「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...
2017年11月24日金曜日
あすなろの木
あすなろの木がメリケンパークに陸揚げされたニュースで、プラントハンター西畠清順さんが
「富山県氷見市で見つかった推定樹齢150年、全長30メートルのあすなろの木。木材としてよく使用されるヒノキに比べ、格下の木として、ヒノキになりたくてもなれない「明日」は「なろう」の木といわれ、いわば、落ちこぼれの木。氷見の山奥にひっそりと自生していた落ちこぼれの木が、この瞬間に世界一輝く、夢と希望に満ちあふれた象徴の木となる。」とインタビューに応えていました。
参照ページ:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000028879.html
私はこのメッセージに甚く感動しました。そしてあすなろの木が、神戸の新たなシンボルとなることに喜びを感じました。それがです・・・
その後のニュースで、クリスマスイベントが終わればあすなろの木は撤去され、その行く末は未定というか明らかにされておらず、しかし木の一部は「あすなろバングル(腕輪)」に加工されて記念品として販売されることを知りました。
これではプラントハンターは一攫千金を狙う単なるトレジャーハンターに思え、そして西畠清順さんのメッセージがとても空しく思えてきました。
それでも好奇心は抑えきれず、あすなろの木を見に行きました。あすなろの木はメリケンパークの海を間近にする最南端に設置された巨大な鉢に植えられていました。ロープが四方から延びてあすなろの木をその場所に留めていました。
正直、その姿はとても素晴らしくもあり、そして醜悪にも思えました。そして期間限定ということには理解をしました。もしあすなろの木をメリケンパークに直に植樹したとすると、あすなろの木はこんなにも潮風に晒される寂しい場所(木はあすなろの木一本です)に、一人置かれてしまうことになります。また、巨木が成長し根が四方八方に伸びることで、メリケンパークの基礎や護岸に多大な影響を与えるのではという心配も覚えました。
このPROJECTではクラウドファンディングで資金集めをしていますが、資金の使い道にはクリスマスオーナメントの購入と西畠清順さんへの応援として莫大な運搬費などの一部に利用されると書かれています。
参照ページ:https://www.makuake.com/project/soratree/
私は、このPROJECTが人間のエゴで終わらず、あすなろの木の行く末まできちんと対応することを希望したいです。この巨木に似合う自然公園はたくさんあります。そういった自然公園とあすなろの木の仲人をしっかりと行ってこそPROJECTは成功といえるのではないでしょうか。
笑われるかもしれませんが、高砂市の市ノ池公園は素晴らしい自然公園で、もしこのあすなろの木が来てくれたなら、私は公園にもっと足を運びたく思います。
「富山県氷見市で見つかった推定樹齢150年、全長30メートルのあすなろの木。木材としてよく使用されるヒノキに比べ、格下の木として、ヒノキになりたくてもなれない「明日」は「なろう」の木といわれ、いわば、落ちこぼれの木。氷見の山奥にひっそりと自生していた落ちこぼれの木が、この瞬間に世界一輝く、夢と希望に満ちあふれた象徴の木となる。」とインタビューに応えていました。
参照ページ:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000028879.html
私はこのメッセージに甚く感動しました。そしてあすなろの木が、神戸の新たなシンボルとなることに喜びを感じました。それがです・・・
その後のニュースで、クリスマスイベントが終わればあすなろの木は撤去され、その行く末は未定というか明らかにされておらず、しかし木の一部は「あすなろバングル(腕輪)」に加工されて記念品として販売されることを知りました。
これではプラントハンターは一攫千金を狙う単なるトレジャーハンターに思え、そして西畠清順さんのメッセージがとても空しく思えてきました。
それでも好奇心は抑えきれず、あすなろの木を見に行きました。あすなろの木はメリケンパークの海を間近にする最南端に設置された巨大な鉢に植えられていました。ロープが四方から延びてあすなろの木をその場所に留めていました。
正直、その姿はとても素晴らしくもあり、そして醜悪にも思えました。そして期間限定ということには理解をしました。もしあすなろの木をメリケンパークに直に植樹したとすると、あすなろの木はこんなにも潮風に晒される寂しい場所(木はあすなろの木一本です)に、一人置かれてしまうことになります。また、巨木が成長し根が四方八方に伸びることで、メリケンパークの基礎や護岸に多大な影響を与えるのではという心配も覚えました。
このPROJECTではクラウドファンディングで資金集めをしていますが、資金の使い道にはクリスマスオーナメントの購入と西畠清順さんへの応援として莫大な運搬費などの一部に利用されると書かれています。
参照ページ:https://www.makuake.com/project/soratree/
私は、このPROJECTが人間のエゴで終わらず、あすなろの木の行く末まできちんと対応することを希望したいです。この巨木に似合う自然公園はたくさんあります。そういった自然公園とあすなろの木の仲人をしっかりと行ってこそPROJECTは成功といえるのではないでしょうか。
笑われるかもしれませんが、高砂市の市ノ池公園は素晴らしい自然公園で、もしこのあすなろの木が来てくれたなら、私は公園にもっと足を運びたく思います。
2017年11月20日月曜日
『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
今年の初めに、坂本龍馬が京都で暗殺される五日前に福井藩重臣中根雪江に宛てた書状が見つかりました。書状は折りたたまれ封紙に入った状態で見つかったといいます。封書には「坂本先生遭難直前の書状にて他見を憚るものなり」と朱書きの付箋が貼られていました。
以下書状内容
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG13H1B_T10C17A1CR0000/
の記事から引用させていただきます。
一筆啓上差し上げます。
この度、越前の老侯(松平春嶽侯)が御上京になられたことは、千万の兵を得たような心持ちでございます。
先生(中根雪江)にも、諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。
しかしながら、先頃直接申し上げておきました三岡八郎兄の上京、出仕の一件は急を要する事と思っておりますので、なにとぞ早々に(藩)のご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄の上京が一日先になったならば新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまうと考えられます。
ただ、ここのところにひたすらご尽力をお願い致します。
誠恐謹言
十一月十日
龍馬
中根先生
追白
今日永井玄蕃頭(幕臣永井尚志)方へ訪ねていったのですが、面会は叶いませんでした。
談じたい天下の議論が数々あり、明日また訪ねたいと考えているところですので、大兄もご同行がかないますならば実に大幸に存じます。
この龍馬の長く封印されてきた書状から着想された、慶長三年11月15日(新暦1867年12月10日)龍馬暗殺から遡る一ヶ月前からの物語
NHKスペシャル「ドラマ 龍馬 最後の30日」を見ました。
そして新たに思いを強くしたのは、坂本龍馬という人は、デモクラシー(あえて民主主義とはいいません)に憧れ、それを自ら実践し、そして殉じた人なんだという思いです。
劇中、龍馬の従者であった岡本健三郎が「あなたはコロコロと意見が変わる」と愚痴っていましたが、それこそが龍馬のデモクラシーであったのだと思います。
幕末、尊皇攘夷原理主義派の倒幕運動が盛んになる中で、知識人から聞き及ぶデモクラシーに龍馬は憧れました。龍馬が憧れたデモクラシーとは「『身分の隔てなく、国をよくしていきたいという志を持つものなら誰でも国家運営に参画できる』や『誰もがなりたいものになれる』という、機会は誰にも平等に与えられる」という考え方であったように思います。
そして龍馬は、当時の日本にはどこにもなかったデモクラシーを一人自ら実践していきました。開明的な考えを持つ人物の噂を聞けば、それが誰であったとしても、自ら出向き、話を聞き、議論し、学び、柔軟に考えを改めながら、日本版デモクラシー国家の青写真を描いていきます。
そして龍馬は勝負に出ます。討幕派と佐幕派に二分された日本の中を奔走し、龍馬自身の人間的魅力や、時には武器の力、金の力、虚偽や方便の力まで使って、身分や敵味方関係なく同士を増やし、そして遂に大政奉還を成してデモクラシー国家建設への最初の扉を開きます。
一介の郷士出の龍馬がとんでもない事を成し遂げられたのは、ひとえに龍馬の人柄に負うところが大きいと思います。それは「人並み外れた豪胆さ」と「公平を良しとする心」です。
しかし龍馬にも私欲はあったと思います。それは権力者や指導者となってデモクラシー国家を運営する事ではなく、デモクラシーを思う存分謳歌する者になることであったと思います。「世界の海援隊になる」という名言は、そういう心持ちから出たのではと思います。
龍馬が人並みの欲、つまり新国家の末席にでもしがみつきたいという欲があったならば、龍馬を取り込んで手駒にしたい者の手で守られ、生かされたのではと思います。しかし龍馬の私欲は誰にも理解されず、誰にもなびかない龍馬は異端視され、また保守派からはこれ以上野放しにすれば災いになると恐れられ、今から150年前の冬に暗殺されました。
松平春嶽侯が、誰にも龍馬を殺す動機があった、龍馬を恐れた、私もその一人であったと龍馬の死を回想するシーンが印象的でした。
先日、来年度の高校日本史の教科書から坂本龍馬の記事が消えるというニュースを知りました。なんでも暗記項目が膨れ上がって授業や入試における学習の負担になってきたために、歴史の本流から外れる人物や事柄を除外して暗記項目数の適正化を図るというのが名目でした。
私自身の龍馬との出会いは教科書ではなく、心酔する先輩の愛読書であった司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読んで先輩に近づきたいという邪心からでしたが、でも小説のはじめの数ページを読んだだけで引き込まれ、後は夢中になって読みました。そして物語の中心人物である坂本竜馬、彼を取り巻く人々、そして幕末という激動の時代に以後ずっと魅了されることになりました。
不勉強な私には教科書の記憶などほとんどありませんが、真面目な受験生時代を過ごした先輩は高校生の時代に龍馬に出会っていました。それは授業の中でかもしれないし深夜ラジオのDJが語る熱い思いの中であったかは定かではありませんが。でも、私が先輩の熱い思いにほだされた様に、先輩も高校生の時代に誰かの熱い思いにほだされたのは事実だと思います。
歴史の教科書から除外されるということは、ある若者が人生の中で龍馬に出会う機会を一つ失うことに繋がります。
歴史研究が進んで、過去の歴史が事実と異なるのであればそれを訂正するのは必要な事ですが、単に暗記項目が増えすぎたため、暗記項目を適正数に戻すという名目で、誰かが暗記項目を選別し、歴史の教科書から排除するという行為はあってはならないと思います。そういう行為を許すことは、歴史の修正に繋がる恐れがあると思うからです。敢えて言うなら、教科書というものは、訂正は必要だけれども時代におもねることなく、内容を充実させることと、指針を貫くことが大切だと思います。
最後にもう一つ、現代の権力者である保守主義者が、保守主義を脅かす龍馬の様な変革者を生み出さぬ為に、龍馬の様な存在を日本史教科書から排除しようと企てているという邪推を記したいと思います。
そして最後の最後にもう二つ、デモクラシーが正常に機能し発展するためには、
まずデモクラシー国家を運営する指導者や権力者は、私利を慎み公利に励む。
そしてデモクラシーを享受し謳歌した者は、得た私利をデモクラシーの発展の為に活かす。
この両輪が必要であること、龍馬の物語を回想していて気づかされました。
もう一つ、国家や公共の事業(例えば小さな町の祭りを運営する)をさらに良いものへと進めたいと思ったら、己の主義主張に固執するのではなく、反対の意見を含め広く意見を聞き、議論し、学び、柔軟に考えを改めながら、公益に沿った事業の青写真を描いていく。そして、実現に向けて一つ一つ交渉して賛同を得ていく。まどろっこしい遣り方ではあるけれど、事業が成した暁には、それは一人の喜びではなく、関わったすべての人の喜びとなっている。これぞ龍馬が私たちに残してくれたデモクラシーの進め方だと思います。
それを守らず、己の主義主張に固執したならば、無益で遺恨だけが残る争いや軋轢が起こることを、私たちは肝に銘じなければいけないと思います。
『坂本龍馬』考
『坂本龍馬』考 その1 ~司馬竜馬との出会い、そして竜馬と歩む人生~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/09/blog-post_5723.html
『坂本龍馬』考 その2 ~お田鶴さまのいない『龍馬伝』、いよいよクライマックスです~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/10/blog-post.html
『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/11/3.html
『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2017/11/blog-post_20.html
以下書状内容
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG13H1B_T10C17A1CR0000/
の記事から引用させていただきます。
一筆啓上差し上げます。
この度、越前の老侯(松平春嶽侯)が御上京になられたことは、千万の兵を得たような心持ちでございます。
先生(中根雪江)にも、諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。
しかしながら、先頃直接申し上げておきました三岡八郎兄の上京、出仕の一件は急を要する事と思っておりますので、なにとぞ早々に(藩)のご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄の上京が一日先になったならば新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまうと考えられます。
ただ、ここのところにひたすらご尽力をお願い致します。
誠恐謹言
十一月十日
龍馬
中根先生
追白
今日永井玄蕃頭(幕臣永井尚志)方へ訪ねていったのですが、面会は叶いませんでした。
談じたい天下の議論が数々あり、明日また訪ねたいと考えているところですので、大兄もご同行がかないますならば実に大幸に存じます。
この龍馬の長く封印されてきた書状から着想された、慶長三年11月15日(新暦1867年12月10日)龍馬暗殺から遡る一ヶ月前からの物語
NHKスペシャル「ドラマ 龍馬 最後の30日」を見ました。
そして新たに思いを強くしたのは、坂本龍馬という人は、デモクラシー(あえて民主主義とはいいません)に憧れ、それを自ら実践し、そして殉じた人なんだという思いです。
劇中、龍馬の従者であった岡本健三郎が「あなたはコロコロと意見が変わる」と愚痴っていましたが、それこそが龍馬のデモクラシーであったのだと思います。
幕末、尊皇攘夷原理主義派の倒幕運動が盛んになる中で、知識人から聞き及ぶデモクラシーに龍馬は憧れました。龍馬が憧れたデモクラシーとは「『身分の隔てなく、国をよくしていきたいという志を持つものなら誰でも国家運営に参画できる』や『誰もがなりたいものになれる』という、機会は誰にも平等に与えられる」という考え方であったように思います。
そして龍馬は、当時の日本にはどこにもなかったデモクラシーを一人自ら実践していきました。開明的な考えを持つ人物の噂を聞けば、それが誰であったとしても、自ら出向き、話を聞き、議論し、学び、柔軟に考えを改めながら、日本版デモクラシー国家の青写真を描いていきます。
そして龍馬は勝負に出ます。討幕派と佐幕派に二分された日本の中を奔走し、龍馬自身の人間的魅力や、時には武器の力、金の力、虚偽や方便の力まで使って、身分や敵味方関係なく同士を増やし、そして遂に大政奉還を成してデモクラシー国家建設への最初の扉を開きます。
一介の郷士出の龍馬がとんでもない事を成し遂げられたのは、ひとえに龍馬の人柄に負うところが大きいと思います。それは「人並み外れた豪胆さ」と「公平を良しとする心」です。
しかし龍馬にも私欲はあったと思います。それは権力者や指導者となってデモクラシー国家を運営する事ではなく、デモクラシーを思う存分謳歌する者になることであったと思います。「世界の海援隊になる」という名言は、そういう心持ちから出たのではと思います。
龍馬が人並みの欲、つまり新国家の末席にでもしがみつきたいという欲があったならば、龍馬を取り込んで手駒にしたい者の手で守られ、生かされたのではと思います。しかし龍馬の私欲は誰にも理解されず、誰にもなびかない龍馬は異端視され、また保守派からはこれ以上野放しにすれば災いになると恐れられ、今から150年前の冬に暗殺されました。
松平春嶽侯が、誰にも龍馬を殺す動機があった、龍馬を恐れた、私もその一人であったと龍馬の死を回想するシーンが印象的でした。
先日、来年度の高校日本史の教科書から坂本龍馬の記事が消えるというニュースを知りました。なんでも暗記項目が膨れ上がって授業や入試における学習の負担になってきたために、歴史の本流から外れる人物や事柄を除外して暗記項目数の適正化を図るというのが名目でした。
私自身の龍馬との出会いは教科書ではなく、心酔する先輩の愛読書であった司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読んで先輩に近づきたいという邪心からでしたが、でも小説のはじめの数ページを読んだだけで引き込まれ、後は夢中になって読みました。そして物語の中心人物である坂本竜馬、彼を取り巻く人々、そして幕末という激動の時代に以後ずっと魅了されることになりました。
不勉強な私には教科書の記憶などほとんどありませんが、真面目な受験生時代を過ごした先輩は高校生の時代に龍馬に出会っていました。それは授業の中でかもしれないし深夜ラジオのDJが語る熱い思いの中であったかは定かではありませんが。でも、私が先輩の熱い思いにほだされた様に、先輩も高校生の時代に誰かの熱い思いにほだされたのは事実だと思います。
歴史の教科書から除外されるということは、ある若者が人生の中で龍馬に出会う機会を一つ失うことに繋がります。
歴史研究が進んで、過去の歴史が事実と異なるのであればそれを訂正するのは必要な事ですが、単に暗記項目が増えすぎたため、暗記項目を適正数に戻すという名目で、誰かが暗記項目を選別し、歴史の教科書から排除するという行為はあってはならないと思います。そういう行為を許すことは、歴史の修正に繋がる恐れがあると思うからです。敢えて言うなら、教科書というものは、訂正は必要だけれども時代におもねることなく、内容を充実させることと、指針を貫くことが大切だと思います。
最後にもう一つ、現代の権力者である保守主義者が、保守主義を脅かす龍馬の様な変革者を生み出さぬ為に、龍馬の様な存在を日本史教科書から排除しようと企てているという邪推を記したいと思います。
そして最後の最後にもう二つ、デモクラシーが正常に機能し発展するためには、
まずデモクラシー国家を運営する指導者や権力者は、私利を慎み公利に励む。
そしてデモクラシーを享受し謳歌した者は、得た私利をデモクラシーの発展の為に活かす。
この両輪が必要であること、龍馬の物語を回想していて気づかされました。
もう一つ、国家や公共の事業(例えば小さな町の祭りを運営する)をさらに良いものへと進めたいと思ったら、己の主義主張に固執するのではなく、反対の意見を含め広く意見を聞き、議論し、学び、柔軟に考えを改めながら、公益に沿った事業の青写真を描いていく。そして、実現に向けて一つ一つ交渉して賛同を得ていく。まどろっこしい遣り方ではあるけれど、事業が成した暁には、それは一人の喜びではなく、関わったすべての人の喜びとなっている。これぞ龍馬が私たちに残してくれたデモクラシーの進め方だと思います。
それを守らず、己の主義主張に固執したならば、無益で遺恨だけが残る争いや軋轢が起こることを、私たちは肝に銘じなければいけないと思います。
『坂本龍馬』考
『坂本龍馬』考 その1 ~司馬竜馬との出会い、そして竜馬と歩む人生~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/09/blog-post_5723.html
『坂本龍馬』考 その2 ~お田鶴さまのいない『龍馬伝』、いよいよクライマックスです~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/10/blog-post.html
『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/11/3.html
『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2017/11/blog-post_20.html
2017年11月19日日曜日
サンタさん ありがとう ~ちいさなクリスマスのものがたり
来週末は久々の絵本朗読担当日ということもあって、家の本棚を物色していると一冊の本が目に留まりました。
長尾玲子さん作「サンタさん ありがとう ~ちいさなクリスマスのものがたり」
妻にたずねると、子どもが小学生の時に学童の先生からプレゼントされたものだと分かりました。クリーム色の生地に糸で絵が描かれていました。一本一本の線は細いのだけれど描かれた絵は命が宿っている様に生き生きとしています。
お話もとても温かく、この本で朗読してみようと思い立ちました。
それで朗読練習をする傍ら朗読動画を作成しました。
BGMには、絵には不釣り合いかもしれない大人のスタンダード、ビング・クロスビーのクリスマスソングを使わせていただきました。でも出来上がった動画には、ピッタリの音楽でとても気に入っています。
長尾玲子さん作「サンタさん ありがとう ~ちいさなクリスマスのものがたり」
妻にたずねると、子どもが小学生の時に学童の先生からプレゼントされたものだと分かりました。クリーム色の生地に糸で絵が描かれていました。一本一本の線は細いのだけれど描かれた絵は命が宿っている様に生き生きとしています。
お話もとても温かく、この本で朗読してみようと思い立ちました。
それで朗読練習をする傍ら朗読動画を作成しました。
BGMには、絵には不釣り合いかもしれない大人のスタンダード、ビング・クロスビーのクリスマスソングを使わせていただきました。でも出来上がった動画には、ピッタリの音楽でとても気に入っています。
来週の絵本朗読会では、クリスマス絵本朗読でいきたと思います。
さあ練習せねば・・・
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