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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2017年11月20日月曜日

『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~

今年の初めに、坂本龍馬が京都で暗殺される五日前に福井藩重臣中根雪江に宛てた書状が見つかりました。書状は折りたたまれ封紙に入った状態で見つかったといいます。封書には「坂本先生遭難直前の書状にて他見を憚るものなり」と朱書きの付箋が貼られていました。
以下書状内容
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG13H1B_T10C17A1CR0000/
の記事から引用させていただきます。

一筆啓上差し上げます。

この度、越前の老侯(松平春嶽侯)が御上京になられたことは、千万の兵を得たような心持ちでございます。
先生(中根雪江)にも、諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。
しかしながら、先頃直接申し上げておきました三岡八郎兄の上京、出仕の一件は急を要する事と思っておりますので、なにとぞ早々に(藩)のご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄の上京が一日先になったならば新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまうと考えられます。
ただ、ここのところにひたすらご尽力をお願い致します。

誠恐謹言

十一月十日
龍馬
中根先生

追白
今日永井玄蕃頭(幕臣永井尚志)方へ訪ねていったのですが、面会は叶いませんでした。
談じたい天下の議論が数々あり、明日また訪ねたいと考えているところですので、大兄もご同行がかないますならば実に大幸に存じます。


この龍馬の長く封印されてきた書状から着想された、慶長三年11月15日(新暦1867年12月10日)龍馬暗殺から遡る一ヶ月前からの物語
NHKスペシャル「ドラマ 龍馬 最後の30日」を見ました。

そして新たに思いを強くしたのは、坂本龍馬という人は、デモクラシー(あえて民主主義とはいいません)に憧れ、それを自ら実践し、そして殉じた人なんだという思いです。
劇中、龍馬の従者であった岡本健三郎が「あなたはコロコロと意見が変わる」と愚痴っていましたが、それこそが龍馬のデモクラシーであったのだと思います。

幕末、尊皇攘夷原理主義派の倒幕運動が盛んになる中で、知識人から聞き及ぶデモクラシーに龍馬は憧れました。龍馬が憧れたデモクラシーとは「『身分の隔てなく、国をよくしていきたいという志を持つものなら誰でも国家運営に参画できる』や『誰もがなりたいものになれる』という、機会は誰にも平等に与えられる」という考え方であったように思います。
そして龍馬は、当時の日本にはどこにもなかったデモクラシーを一人自ら実践していきました。開明的な考えを持つ人物の噂を聞けば、それが誰であったとしても、自ら出向き、話を聞き、議論し、学び、柔軟に考えを改めながら、日本版デモクラシー国家の青写真を描いていきます。
そして龍馬は勝負に出ます。討幕派と佐幕派に二分された日本の中を奔走し、龍馬自身の人間的魅力や、時には武器の力、金の力、虚偽や方便の力まで使って、身分や敵味方関係なく同士を増やし、そして遂に大政奉還を成してデモクラシー国家建設への最初の扉を開きます。
一介の郷士出の龍馬がとんでもない事を成し遂げられたのは、ひとえに龍馬の人柄に負うところが大きいと思います。それは「人並み外れた豪胆さ」と「公平を良しとする心」です。
しかし龍馬にも私欲はあったと思います。それは権力者や指導者となってデモクラシー国家を運営する事ではなく、デモクラシーを思う存分謳歌する者になることであったと思います。「世界の海援隊になる」という名言は、そういう心持ちから出たのではと思います。
龍馬が人並みの欲、つまり新国家の末席にでもしがみつきたいという欲があったならば、龍馬を取り込んで手駒にしたい者の手で守られ、生かされたのではと思います。しかし龍馬の私欲は誰にも理解されず、誰にもなびかない龍馬は異端視され、また保守派からはこれ以上野放しにすれば災いになると恐れられ、今から150年前の冬に暗殺されました。
松平春嶽侯が、誰にも龍馬を殺す動機があった、龍馬を恐れた、私もその一人であったと龍馬の死を回想するシーンが印象的でした。


先日、来年度の高校日本史の教科書から坂本龍馬の記事が消えるというニュースを知りました。なんでも暗記項目が膨れ上がって授業や入試における学習の負担になってきたために、歴史の本流から外れる人物や事柄を除外して暗記項目数の適正化を図るというのが名目でした。
私自身の龍馬との出会いは教科書ではなく、心酔する先輩の愛読書であった司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読んで先輩に近づきたいという邪心からでしたが、でも小説のはじめの数ページを読んだだけで引き込まれ、後は夢中になって読みました。そして物語の中心人物である坂本竜馬、彼を取り巻く人々、そして幕末という激動の時代に以後ずっと魅了されることになりました。
不勉強な私には教科書の記憶などほとんどありませんが、真面目な受験生時代を過ごした先輩は高校生の時代に龍馬に出会っていました。それは授業の中でかもしれないし深夜ラジオのDJが語る熱い思いの中であったかは定かではありませんが。でも、私が先輩の熱い思いにほだされた様に、先輩も高校生の時代に誰かの熱い思いにほだされたのは事実だと思います。
歴史の教科書から除外されるということは、ある若者が人生の中で龍馬に出会う機会を一つ失うことに繋がります。
歴史研究が進んで、過去の歴史が事実と異なるのであればそれを訂正するのは必要な事ですが、単に暗記項目が増えすぎたため、暗記項目を適正数に戻すという名目で、誰かが暗記項目を選別し、歴史の教科書から排除するという行為はあってはならないと思います。そういう行為を許すことは、歴史の修正に繋がる恐れがあると思うからです。敢えて言うなら、教科書というものは、訂正は必要だけれども時代におもねることなく、内容を充実させることと、指針を貫くことが大切だと思います。
最後にもう一つ、現代の権力者である保守主義者が、保守主義を脅かす龍馬の様な変革者を生み出さぬ為に、龍馬の様な存在を日本史教科書から排除しようと企てているという邪推を記したいと思います。

そして最後の最後にもう二つ、デモクラシーが正常に機能し発展するためには、
まずデモクラシー国家を運営する指導者や権力者は、私利を慎み公利に励む。
そしてデモクラシーを享受し謳歌した者は、得た私利をデモクラシーの発展の為に活かす。
この両輪が必要であること、龍馬の物語を回想していて気づかされました。

もう一つ、国家や公共の事業(例えば小さな町の祭りを運営する)をさらに良いものへと進めたいと思ったら、己の主義主張に固執するのではなく、反対の意見を含め広く意見を聞き、議論し、学び、柔軟に考えを改めながら、公益に沿った事業の青写真を描いていく。そして、実現に向けて一つ一つ交渉して賛同を得ていく。まどろっこしい遣り方ではあるけれど、事業が成した暁には、それは一人の喜びではなく、関わったすべての人の喜びとなっている。これぞ龍馬が私たちに残してくれたデモクラシーの進め方だと思います。
それを守らず、己の主義主張に固執したならば、無益で遺恨だけが残る争いや軋轢が起こることを、私たちは肝に銘じなければいけないと思います。

『坂本龍馬』考

『坂本龍馬』考 その1 ~司馬竜馬との出会い、そして竜馬と歩む人生~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/09/blog-post_5723.html

『坂本龍馬』考 その2 ~お田鶴さまのいない『龍馬伝』、いよいよクライマックスです~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/10/blog-post.html

『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/11/3.html

『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2017/11/blog-post_20.html



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