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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2010年11月29日月曜日

『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~

岩崎弥太郎の視点、回想として描かれた大河ドラマ『龍馬伝』は、11月28日、最終回『龍の魂』で完となった。

幼少の頃より、泣き虫、夜ばあたれと悪口をたたかれ、実母が病で逝った後、剣術に目覚め、下士の次男坊、また裕福な家庭という環境も手伝って18歳で、江戸へ剣術修業。江戸中期、太平の頃なら、せいぜい道場主として生き、名もなき一藩士として歴史に刻まれる事なく一生を終えたであろう。

しかし、時代は時の統治組織である徳川幕府の凡庸さでは対応できぬ、産業革命を経て富国強兵を成し遂げた列強国の襲来、開国の突き上げに、日本国の志あるものは、尊皇攘夷また開国の二極に分かれ、やがて対立は国家を二分した
内戦へと突き進み、それぞれの組織を後押しする格好で、搦め手で日本への侵略・占領を図ろうとする列強国が舌なめずりして機会を覗っている・・・

丁度、江戸剣術修行中に、黒船の来航に遭遇し、幕府の狼狽え振り、凡庸さを肌で感じ、剣術を通じて知り合った諸藩の若き闘士と交わる中で、龍馬の中に眠っていたあるものが目覚めたのだと思う。
それは、狂気じみた『愛国心』や列強国への『恐れ』ではなく、開かれた世界への『憧れ』と、どうすればそこへ辿り着けるかを知りたいという『探求』である。

そして、龍馬がその強い衝動に駆られて走り始めた第一歩が、国抜け『脱藩』である。
険路、韮ヶ峠~榎ヶ峠~泉ヶ峠を越えて伊予の国に入り、船で長州へ、片道切符の出奔である。

龍馬には天分がある。
ドラマ『龍馬伝』第一回の中で龍馬を回想する岩崎弥太郎が吐き捨てるように言う龍馬評である。


龍馬はのう・・・
わしがこの世で一番嫌いな男やった!
あんな脳天気でっ
自分勝手でっ
人たらしでっ
おなごに好かれてっ
あれば腹が立つ男は
どこにもおらんのじゃき!


そう、龍馬が行くところ、龍馬が成そうとするところ必ず有志が集まる。
志が高く、また優秀なる人材が集まる。
また、龍馬は必要ならばどこへでも出かけていく。
幕府側では松平春嶽、勝海舟、永井尚志、ともに大大名である。
動乱の時代でなければ、近づくことなどできぬ、身分が違う。
しかし、彼らの方が龍馬を遇した、可愛がった。
真っ直ぐに夢を語り、度胸も腕も立つ。雄弁ではないが、例えが面白く、聴き手をグイグイと龍馬の夢の支援者に引き込んでいく。

そして、一触即発、日本国存亡の岐路の険路を悠々と渡り歩いて人類が文明を築いてから、誰も成し遂げたことのない、『大政奉還』、時の統治者が、権力の座から退くという無血革命を成し遂げた。

龍馬には多くの友がいた。武市半平太、以蔵、饅頭屋長治郎、他土佐勤王党の面々、そして龍馬が旗揚げした亀山社中、その後の海援隊の隊士達、その多くが龍馬の立った夢の頂きを共に踏みしめることはなかった。
それぞれの道、志半ばで斃れ、野に散った。

そしてまた、龍馬を敵視するもの、その数多く・・・
『龍馬伝』最終回で、龍馬の潜伏する近江屋に乗り込み、これまでの龍馬への複雑な感情を露呈した弥太郎が、最後に龍馬に告げる予言である。


けんどのぅ龍馬・・・
人が、みんなぁ自分のように・・・
新しい世の中を、新しい世の中を
望んじゅうと思うたら大間違いじゃぞ。
口ではどういうちょたち、いざ扉が開いたら
戸惑い、怖じ気づくもんは山のようにおるがじゃき
恨みや妬みや、恐れ、保身・・・
その内、怒りの矛先はオマンに向くろ
わしにはわかる。
眩しすぎる陽の光は
無性に腹が立つことを、知っちょうきのう。



もし、もしも龍馬が暗殺されずに、明治を迎えたとしてその後の、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争は起こらなかっただろうか

欧米列強に並ぶ、富国強兵の振興、近代化、欧米化、そしてアジア諸国を巻き込んだ侵略、植民地政策の強行そして太平洋戦争は起こらなかっただろうか・・・

龍馬は、天性の外交官、であったと思う。それも大局を見て謀ができ、また商才にも長けている。
それまでの、またそれ以降を見ても龍馬ほどの世界の列強国と渡り合える外交官を日本は輩出できてはいないと思う。

しかし、またそこが龍馬の限界であったと思う。

大政奉還までの道筋を描き、実現に奔走し、各藩の有力者を説き、また幕府の重役を説き、彼らを動かした。共感を与え働かせたのである。
そして『大政奉還』を成した。
ただ、『大政奉還』が成したとて、明治という時代が開かれたとして、すぐに龍馬が描く、志ある者が、学び、そして国民に選ばれて国の運営を司る、という仕組みが受け入れられて、この国に馴染むには、果てしない時間を要する事業なのである。

龍馬には、日本を指導する強力な権力も、盤石な地盤も財力さえ無いのである。

国の中枢に巣くう政治屋には到底なれず、また岩崎弥太郎の様に、現代に残る大企業『三菱』を興す祖たるに相応しい人物でもない。

龍馬には野心がない、いや日本に留まる程度のこんまい野心は持ち合わせていなかったのであろうと思う。

だから、もし龍馬が命を長らえ明治を迎えていたとしても、その後の歴史は、なんちゃあ変わる事はなかったと思うのである。

天は、龍馬を用いて、日本から侍の世を葬り、開かれた国へと日本を導びかれた。龍馬の使命は終わったのである。


最終回、弥太郎がもう一度吐く。


龍馬・・・龍馬・・・龍馬・・・龍馬
龍馬はのう-!
脳天気で
自分勝手で
人たらしで
おなごに好かれて
あれば腹が立つ男は
どこにもおらんかったんじゃき!
あんな男は・・・あんな・・・
あんな龍は
どこにもおらんぜよ!


龍馬が残したモノは、志ある者、才能ある者、勇気ある者に希望を繋いだことである。

明治以降、在野から多くの卓越した人物が出現した。
それは、国家が推し進める富国強兵よりも、日本の文化・文明を清く高めるに大いに貢献した。

龍馬の辞世の句として語り継がれている言葉がある。


世の人は
われをなにとも
ゆえばいへ
わがなすことは
われのみぞしる


この言葉は、龍馬の青春時代、希望の見えない土佐暗黒の時代に読んだ詩とも言われている。

明治維新の西洋文明の導入期、また太平洋戦争からの復興、そして成長期において、先進国、戦勝国に追いつけ追い越せ、を掛け声に、物を真似て製造し、他国から『猿まね』と揶揄されながらも、学び、工夫・改善し、いつか世界一の品質の証である "Made in Japan"の称号を日本製品は勝ち得た。

日本人は、自分たちのそれぞれの夢を信じて、われのみぞ知る、頂きに到達したのである。


現在、世界はこれ以上無いほどに密接し、しかも様々な思想に支配される国々とより一層関係を密にしなければ、一国では立ちゆかない時代に入ってしまった。
そして日本は、1980年代から1990年代にかけての『陽いずる日本~Rising Sun~』『世界一安全な国』と称された時代から一転、凋落し、内外の問題が噴出し、政治も経済も停滞し、日本から夢や希望がどんどん失われていく喪失感に苛まれている。

今、私達に必要な事は、それぞれが天から与えられた唯一無二の天分に従って現状の枠組み・ルールの中で自分を活かし、争わず笑顔で、学び、働き、楽しむ事ではないだろうか。

また、国、社会を運営する任を与えられし者は、それぞれの個性、パーソナリティーを尊重し、活かす社会システムの再構築(イノベーション)をもたらすことではないだろうか。

それが、龍馬の描いた『夢』なのだと思うのである。
それが、私の、私達の『必要な夢』なのだと希望する。


『坂本龍馬』考

『坂本龍馬』考 その1 ~司馬竜馬との出会い、そして竜馬と歩む人生~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/09/blog-post_5723.html

『坂本龍馬』考 その2 ~お田鶴さまのいない『龍馬伝』、いよいよクライマックスです~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/10/blog-post.html

『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~
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『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
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