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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2010年12月3日金曜日

O.Henry 作『賢者のおくりもの』の朗読ビデオをYouTubeにアップしました。

近代のクリスマスの物語として最初に浮かぶ物語は、
ディケンズ作『クリスマ・スキャロル』ではないでしょうか。
お金持ちだけれども強欲で誰にも心を閉ざしたスクルージのところに、
3人の精霊が次々に現れます。
最初の精霊は過去、まだスクルージが暖かい心を宿し、貧しいけれども家族や友人に囲まれて幸せであった時代へ導きます。
そして第二の精霊は、現在、お金に心を病んだスクルージの非情により、クリスマスの寒空の中で苦しみ悲しむ家族や友人達の姿を垣間見せ、スクルージの罪を指摘します。
最後、第三の精霊は、未来、天罰が下されるスクルージを予言し、
そしてスクルージは、悔い改め、本当の幸せ、人を愛し愛される者として導かれるのです。
この様な物語だったと思います。

とてもファンタジックな物語であると同時に、ディケンズの解釈によるキリスト教的な死生観、道徳観が溢れている作品だと思います。また、想像力を掻き立てられる物語であるため、数多くの映画やドラマ、アニメ等々で、数多くの映像作家が題材として作品を作り続けています。昨年、ロバート・ゼメキス監督そしてジム・キャリーでモーションキャプチャー映画として公開された作品が記憶に新しいです。

この長編ファンタジックなクリスマス物語と双璧な物語として、私の記憶に残る話が、今回朗読作品として制作し登録した、O.Henry作『賢者の贈り物』です。
短編小説で、ある貧しいけれどもとても愛し合っている若い夫婦が、互いに心からのクリスマスのプレゼントを贈るために、自らの一番大切な品物を売って、プレゼントを贈る、という物語です。
妻は、夫の大切な金時計に見合う高雅なプラチナの時計鎖を得るために、豊かな美しい髪の毛を手放します。
夫は、妻の美しい髪に似合う、美しい櫛を得るために、大切な金時計を手放します。

物語の中で、作者O.Henryは読者に対して、『週8ドルと年百万ドル-その違いはなんぞや』と問いかけてきます。
唐突な問いかけです。またその金額にもさして意味があるとは思えません。
ただ、持たざる者、でも愛情に溢れる者同士だからこそ、見方によっては愚かな行為、しかし愛ある心で見れば、それはとても高貴でとても素敵な行為であることが分かります。

この『賢者の贈り物』も、聖書の『マタイの福音書』第二章、救い主イエス様の誕生と東方の賢者による最初の高雅な貢ぎ物のエピソードが題材となっています。

私は、この物語を約40数年前に教科書か絵本で読み、大切な物語としてずっと覚えていました。
今年の夏か、古書店周りをしていて、冨山房出版 リスベート・ツヴェルガーさん挿絵、矢川澄子さん訳による、絵本『賢者の贈り物』を求めました。挿絵はとても繊細で、登場人物の心情を見事に描いています。また日本語訳の文章も重厚で読み応えがあります。

本題からはそれてしまいますが、色々な読書、様々な楽しみ方、読み方、観賞の仕方があると思います。
これしかない、という硬直した見方ではなく、自分らしさで読書を楽しめばよい、そう思います。
また、面白い、とか大切、と思った本は何度も読書を繰り返すうちに、作者と心を通わせる事ができると思います。
それは、私だけの、貴方だけの作者との心の繋がりです。そういった繋がりを幾つも繋いで、心の豊かさを養いたいと思います。



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