勧める本は、あったかい物語、が描かれた比較的頁の少ない本です。
最初に勧めた「母と暮らせば」は、よほど母の心の琴線に触れたのでしょうか、就寝時間も忘れて読書に没頭し、当日中に読み終えてしまいました。後で、無理をさせているのではと、私は家族から責められてしまいました。
その後も、母は少しペースを落としながらも、「十二番目の天使」、「ほっとする禅語」「続ほっとする禅語」を次々に読み終えていきました。
二週間前に体調を崩して、しばらく読書から遠のいていましたが、それも快方に向かってきましたので、次に勧める本を探しに本屋を覗きました。そこで「アルケミスト」の愛蔵版を見つけました。「アルケミスト」の文庫版は持っていますが、如何せん文字が小さくて読みづらい。しかし愛蔵版は文字も少し大きくて、なにより美しい挿絵がありました。それで母の読書用にと購入しました。
扉を開くと、文庫版にはなかった「愛蔵版『アルケミスト』刊行によせて」という作者パウロ・コエーリョさんからのメッセージがありました。そのメッセージには、「アルケミスト」に込められた人生の極意が書かれていました。
それは「七転び八起き」です。
著者曰く
「必要かどうかはともかく、挫折は必ずやってきます。夢に向かって闘い始めるとき、人は経験不足ですから、多くの過ちを犯します。しかし、人生の極意は、七転び八起きなのです。」
そして、なぜ人一倍、苦労することを知りながらも、自分の運命を生きることがそれほどに重要なのか?について
「それは、挫折を克服した後には -挫折は必ず克服できるものです- 必ずもっと大きな喜びと自信が得られるからです。そして、心の奥底で、私たちは、自分たちが人生の奇蹟を受けるに相応しい存在となりつつあることを自覚するのです。一日一日、一刻一刻が『よき闘い』の一部であり、それによって、私たちは、情熱と歓喜を抱いて生きられるようになるのです。」
そこには悩ましい警句もありました。
「予期せぬ過酷な苦悩は、そのまま堪えられそうに見える苦悩に比べれば、あっという間に過ぎてしまいます。むしろ後者の方がだらだらと何年も続き、知らぬ間に私たちの心を蝕んでゆくものです。そして、ついにある日、私たちはその苦悩から逃げられなくなり、その苦しい思いは、一生つきまとうことになります。」
予期せぬ過酷な苦悩とは、「試練」や「挫折」の事でしょう。著者は、戦い続ければ「試練」や「挫折」は必ず乗り越えられる、克服できると語ります。
では、そのまま堪えられそうに見える苦悩とは何か?それは「偽る」事なのだと理解します。他者を「偽る」、己を「偽る」、それは知らぬ間に心を蝕んでいき、「偽る」私は一生その苦痛から逃れることが出来なくなる。
私にとって、これほど恐ろしい警句はありません。また、多くの人にとっても身につまされる警句だと思います。
でも、もし私が「偽る」事を捨て、再び人生に「真摯」になって向き合う勇気を取り戻せば、人生は再び私に「試練」や「挫折」を与え、その先にある情熱と歓喜を味わう機会をも与えてくれる。これもまた「アルケミスト」の大いなる人生の極意だと思います。