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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2010年10月13日水曜日

ベスト4進出! 第32回東播地区中学校新人体育大会 軟式野球競技大会

開催予定が、10/9(土)、10/11(月)、予備日10/16(土)であったが、年間で1番雨が少ないといわれるこの時期10/8、9の両日大雨となり、大会初日が順延、10/11(月)、晴天を取り戻した秋空の下、芝の緑色がさらに鮮やかにさえた加西球場で、東播大会4ブロック目の1回戦、2回戦が行われた。


今年の春の総体東播大会の覇者、兵庫教育大附属中(加東地区1位)は第3ブロック(西脇市民球場)で1回戦黒田庄中(西脇地区1位)と対戦、高砂新人戦で一位通過した荒井中は第1ブロック(榊公園野球場)で朝霧中(明石地区3位)と対戦である。

【加西球場 1回戦第2試合 浜の宮中学校(加古川地区1位)との対戦】
まず最初に驚かされたのは、第1試合、自由が丘中(一塁側)vs.加西中(三塁側)が3-0で終了した後、三塁側スタンドで、応援の準備をしていたところ、一塁側ベンチ前で、整列した一団が校歌を高らかに斉唱しだした。勝った自由が丘中の選手達かと見ていたら、歌詞の最後に『浜の宮~!』と歌っているではないか!!!

宣戦布告である、『トラ・トラ・トラ』である・・・

ゲームも、予感通りに厳しい展開であった。
先攻は鹿島、リードオフマン凌が出塁、内野手の乱れを突いて二塁を狙ったものの、一二塁間に挟まれ挟殺プレーでアウト。その後は、浜の宮中エース大村君に沈黙させられた。
鹿島先発は、エース雄大、そして捕手拓樹のバッテリー。



4回裏浜の宮中の攻撃、この回先頭の2番西村君を四球で出し、次打者の送りバントが野選、その後、送りバントを決められて、1死二三塁。四番を四球で歩かせ満塁とした後、五番キャプテン波戸君がバットを一握り短く持って、低めの球を叩きつけ、打球は投手雄大の前で大きく弾き、西村君が悠々と生還、浜の宮中に1点を先取された。
ゲームが動いた。
5回表鹿島の攻撃、この回先頭の4番健介がセンター左へクリーンヒットを放ち、続く真己も三遊間を抜くレフト前ヒット。



拓樹が送りバントを決めて、1死二三塁。7番幸伍の時、二塁牽制のボールがセンター奥まで深々と達し、鹿島中にとっては棚ぼたの2点、浜の宮中に取ってはまさかの2点、逆転した。
6回表浜の宮中の攻撃、先頭打者9番前田君が四球、そして二盗・三盗を決めた後、1番田中君も四球で無死一三塁。
2番西村君が二球目を投手前にスクイズ。
ここから鹿島中バッテリーの守備が光った。
雄大がグラブトスで拓樹がホームで前田君を刺殺。



3番大廣君の時、重盗を決められ、1死二三塁。大廣君もしぶとく、そして低めの球を叩きつけたが、前進守備のショート凌が捕球して本塁に送球、クロスプレーとなったが、拓樹が田中君を刺殺、同点を防いだ。



そして最終回となった7回裏、先頭打者、9番前田君の代打で打席に立った今栄君がしぶとくライト前テキサスヒット。ここで、一塁走者が大熊君に替わる。鹿島中も外野守備固めとして、レフト悠介がライトへ移動、そしてレフトに雄飛が入った。
続く田中君が三遊間を抜くレフト前ヒット。野球とはつくづく不思議なスポーツだ、替わった所に打球が飛ぶ。
無死一二塁。
2番西村君三振の時、それぞれの走者が進塁を図ったが、大熊君を三塁で刺殺。2死二塁。
最後のバッターとなった大廣君をサードゴロに打ち取り、ゲームセット、10:51-12:31、100分間をしのいだ鹿島中が2-1で勝った。



【加西球場 2回戦 自由が丘中学校(三木地区1位)との対戦】
自由が丘中は、エース岩崎君、連投であった。ずんぐりした体型、一昔前の鉄腕タイプだ。ゆっくりとしたモーションから投げる球は威力十分。先の加西中戦で見せつけられた。
但、この大舞台、加西中戦の様にはいかない、そう観た。

2回戦も鹿島が先攻。高砂大会から5試合全て先攻だ。凌の勝負運の強さに感じ入る。
初回鹿島の攻撃、先頭打者凌が四球で出塁、ボークで二進、牽制悪送球で三塁まで進み先制のチャンスを掴む。
2番悠将も四球で出塁、しかしディレード・スチールを試みるも一二塁間に挟まれ憤死。
3番雄大の内野ゴロで凌が本塁に飛び込むも、クロスプレーでアウト。
このイニング、先取点をものに出来なかった。
鹿島中先発は健介、そして拓樹のバッテリー。


1回裏自由が丘中の攻撃、先頭打者森下君センター前ヒット、牽制悪送球で二進。チャンスの後にはピンチである。
2番吉田君、3番松山君を連続三振に取るも、続く4番岩崎君、5番空中君を連続四球で満塁。
しかし、6番潮見君をピッチャーゴロに打ち取り、無失点で切り抜けた。
2回から4回まで試合が膠着した。そして、5回、試合が動いた。
5回表鹿島中の攻撃。
先頭打者8番耕太郎が四球で出塁。
9番悠介が送りバントを決め、1死二塁。
そして、1番凌がセンター右を破る三塁打を放ち、耕太郎が生還、1点を先取。



尚も2番悠将のスクイズバントで凌が生還し、この回2点を奪う。



7回表鹿島中の攻撃。
7番幸伍の代打として、今大会初出場となる帆岳が打席に立つ。
初球を空振り、二球目ボール、三球目空振り、四球目ファウル、五球目空振り。帆岳はこの打席、思いっきりアピールした。


8番耕太郎、二球で追い込まれた三球目、内角高めをジャストミート。打球は高々とレフトの頭上を越え、ワンバウンドでレフトフィンスに当たって大きく跳ねた。久々のヒット、三塁打である。


9番悠介の打席でワイルドピッチ、耕太郎が生還し、この回1点目。悠介は四球で出塁。


1番凌センターフライ、一死一塁。
2番悠将四球、一死一二塁。
3番雄大のレフト前テキサスヒットで、二塁悠介が生還し、この回2点目。


4番健介の三遊間を抜くレフト前ヒットで満塁。


5番真己の打球はファースト手前で大きく弾み、カバーのセカンドも越えてライトに転々とする間に、悠将、雄大の2者が生還し、この回4点を奪った。


健介-拓樹のバッテリーは5回以降も自由が丘打線を抑えた。しかし、随所にファン・プレーがあった。加西球場の見事な外野芝生が選手に勇気を与えたのだろうと思う。
5回裏、1死から8番黒川君のレフト前テキサスヒットになろうかという当たりを、この試合レフトに入った雄大がスライディングキャッチ。


6回裏、1死から2番吉田君の右中間を抜けるかという当たりを耕太郎がヘッドスライディングキャッチ。


そして7回裏、最終回守備固めとしてライトに入った雄飛が、1死後、ライト前内野と外野芝の境に飛んだ打球を果敢にスライディングキャッチ。セカンド悠介ともう少しでクラッシュする場面であったが、悠介が右にとっさに避けて大事に至らなかった。


雄飛はこの後、ウィニングボールをキャッチした。


13:11-15:04の試合、鹿島中は6-0で勝った。東播新人大会ベスト4入りである。





感想として、
ベスト4である。また10/16(土)、この加西球場で鹿島中の試合が観られる、応援できる。こんなに嬉しいことはない、である。
この文章は、10/13に書いている。
今日から三日間、鹿島中校区は秋祭りで染まる。10月13-14日は曽根天満宮、そして10月14-15日は大塩天満宮の秋祭りである。町を上げての祭りである。ヤッサの大太鼓の響きに、心が騒がぬ漢はそうはいないだろう。いや、漢だけでなく女子もである。
昔、秋祭りは、1年の苦役の果ての秋の実り、豊作を喜び、そして神に感謝する神事であり、それこそ1年の最大の喜び、大騒ぎが許される時であった。でも今は、内には伝統行事であり、外には観光行事である。節度とルールを守らなければいけない。
野球部員には、少々酷な話となるが、君達にとって、今最高に楽しめる10/16を控えている。どうか、余り浮かれすぎず、決して怪我等せず、体を壊さず、10/16を迎えて欲しい。
それから、野球である。
君達は全力でプレーしている、試合の後の表情を見ればそれはわかる、くたくたな中にも満足感、安堵感を漂わせているからだ。ただ、残念なことがある。
新チームの秋の大会は、守りきった方が勝つ、いつも君達が監督・コーチから言われている事だと思う。君達はそうして勝ってきたし、また負けもした。
負けの要因はエラーである。特に送球エラーが致命的になるケースを他数見てきたし、君達も経験したことだと思う。
送球は、キャッチボール、野球の基本である。そんなことは君達は分かっているだろうし、一生懸命取り組んでいると思う。でも、ゲームの最後、エラーがでたら負けである。夏の暑さに比べれば、日中、例え日差しが強くても、心地よい。心地よい風を感じ、空気を感じ、グラウンドの匂いを感じながら、心を落ち着けて、長くても2時間、最後まで、自分の技量を惜しみなく出し尽くして欲しいと願う。
もう一つは、声である。
雄大や健介に尋ねてみたい、ピンチの時、コントロールを乱したとき、周りから声援や叱咤が飛ぶことに対して、マウンドでどの様に感じているのか?
君達の勇気にプラスとなっているのか、それとも、言われなくともわかっているとマイナスに感じているのか、それとも、無関心なのか。
野手の皆に尋ねてみたい、掛け声や声援を出している、一生懸命プレーしている。でも、広い球場では、折角の声も、届けたい相手に届かなければ、伝わらなければ、心に響かなければ、もったいないと思う。
今大会は、ベンチ入りに制限がありスタンドから戦っているチームメートが7名いる。彼らは、2試合、ずっと声を張り上げ嗄らし、勇気を届けようとし、また、勝機には歓声・歓喜で応えている。スタンドにいても、彼らの言霊はグラウンドにいて戦っているのである。


グラウンドに立つものは、一層応える義務があると思う。彼らと共に戦っている、勇気と共に責任もとは、常にとは言わない、しかし胸の中でしっかりと育てて欲しいと思う。

10/16(土)、君達の誇らしげな笑顔が見られる事を願う。

2010年10月10日日曜日

「目には目を」は、私たちを盲目にする - マハトマ・ガンジーの警句

平成22年10月9日(土)、Googleは、ジョン・レノン生誕70周年記念動画ロゴを制作し掲載した。

※動画ロゴは、10月10日削除された。

ソロ・シンガー?となったジョン・レノンの1番印象的な曲は、”Imagine”であったが、
今日、PVを観ていて、ある”Happy Christmas (War is Over)”の動画に目が留まった。

投稿者が動画埋め込みを無効にされているので、動画表示のアドレスを掲載する。

http://jp.youtube.com/watch?v=s8jw-ifqwkM

動画の最後に、『非暴力・非服従』を提唱し、その思想でインドをイギリスからの独立に導いたマハトマ・ガンジーの、あるメッセージが記されていた。

An eye for an eye will make us all blind
「目には目を」は、私たちを盲目にする

原理主義者や大国のエゴに共通する、破壊的な教理への警句である。

2003年制作のビデオメッセージは、『9.11』に端を発する、憎悪の連鎖と大国の無法への警告として、ガンジーの警句を引用したのだと理解する。
しかし、私はこのビデオメッセージを、『明日の、私達への警告』として観た。

20世紀の後半、世界の中で極めて安全で平和な国『日本』といわれた、あの『日本』はどこへいってしまったのか。
90年初頭、『Rising Sun』と称された日本は、その後、滑落するが如く凋落し、時の政治家がソフトランディングを模索したが、その様な余力、自力は無かった。
日本の衰退は、世情不安を増長し、あるものは暴力に訴え、またあるものは無関心を決め込む。

70年代の旗印『Love and Peace』、今もう一度、掲げてみてはどうだろうか。
『暴力』や『無関心』ではなく、『慈愛』や『変革』のために行動してみてはどうだろうか。

その一歩は、小さいものかもしれない、しかしいつか大きな潮流を招く一歩になるかもしれない。
行動しなくてはならない、そう思う。

『私達が望むなら、私達はできる、想像してごらん』 - ジョン・レノンのメッセージ

平成22年10月9日(土)はジョン・レノンの生誕70周年。

彼と妻オノ・ヨーコが、70年代から世界中に問いかけてきた

War is over, if you want it
私達が望むなら、戦争は終わる

We can do it
私達はできる

Imagine
想像してごらん

当時の彼らの問いかけ、反戦運動の対象は『ベトナム戦争』であった。
でも、40年たった今も、このメッセージは、若々しく私達に問いかけてくる。

60年代から70年代に掛けて、近代化、繁栄の起爆剤として戦争があった。
80年代から90年代、社会主義国家、全体主義国家崩壊の導きとして戦争があった。
そして21世紀、大義のエゴ、正義のエゴとして戦争を使う時代となった。

大きな世界ではなく、身近な生活に目を転じてみる。
利己主義、貧富の二極化、生活の不安と、描けぬ未来予想図。
暗澹たる思いが身近な生活を浸食し、私達は無関心を装って保身する。
それは、危機の時代、か弱きものの常套手段であり、
自分を守り、家族を守る、これも生きる為の知恵である。

私達の国『日本』は、狭義の意味での、殺し合いという直接的な意味での『戦争』は、1945年、敗戦で終えた世界大戦以降、新憲法のもと、放棄した。しかしそれは、『独立国家のあり方』『日米安保』『専守防衛』という新たな矛盾を生む事態となった。

しかし、広義での戦争には、経済発展の時代の表裏で常に戦わされてきた。交通戦争、受験戦争、経済戦争、戦争という言葉が適切でないなら競争と置き換えてもよい。でも、結果は同じだ。勝者がいて、敗者がいる、死者がいる。
私達の国『日本』は、勝者に優しく、敗者に冷淡である。社会保障環境が整備されつつ、しかもまだ経済がプラス成長していた時代はそれが表沙汰になることはなかったが、90年代のバブル崩壊、新興国の台頭、日本社会システムの矛盾と崩壊、経済の凋落・・・、マイナスに転じてからは、それは自明のものとなった。
『勝ち組』『負け組』、幼稚な表現がまかり通るほどに、私達の国『日本』は、成熟から程遠い、未成熟な国家である事も露呈した。


私達は、時々でいい、ひとときでいい、手を休め、
ジョンとヨーコのメッセージ、問いかけに、素直になって、自問してみてはどうかと思う。

If you want it
私達が望むなら

We can do it
私達はできる

Imagine
想像してごらん


私達一人ひとりは、小さくか弱きものであるが、生活を変革する、"POWER"を秘めている。
私達が手を取り合えば、世界を変革する、”Gig Wave”を作り出す事が出来る。

Wonder to oneself
自らに問いかけてみよう

For carve out a better future
よりよい未来を切り開くために