数日前、娘からLINEで
「おとうさん スポットライトという映画 見た事ある?」
という問い掛けがありました。
観た事はないけど、どうして?と問い返すと
「ちょっと 仕事の資料として」
と返事がありました。
うろ覚えですが、私はスポットライトというタイトルには聞き覚えがありました。
ずいぶん前にニューズウィーク誌で読んだ、欧米の道徳社会を根底から揺るがしかねない、カトリック神父による児童への性的虐待という大スキャンダルのニュース・・・。
それでウィキペディアでこの映画のあらましを確認した後、amazonプライムの映画公開リストにこの映画のタイトルがありましたので観ました。
日本語のタイトルは「スポットライト 世紀のスクープ」(原題Spotlight 2015年公開アメリカ映画)で、2016年にアカデミー作品賞の他、数々の映画賞を総なめにした作品でした。
映画の冒頭、『この物語は、実際の出来事に基づいている(this story is based on actual events. )』が表記されます。
2001年、マサチューセッツ州ボストンの日刊紙ボストン・グローブは、親会社タイムズからマーティ・バロンを編集長に迎えます。
バロンの仕事は、インターネットという新興メディアの台頭によって新聞の存在が脅かされるなかで、グローブを読者に支持される読み応えのある新聞に成長させる事でした。
そしてバロンが最初に眼を付けたのは、グローブのスクープを扱う精鋭チーム「スポットライト」の記者の一人サーシャ・ファイファ-が以前に書いた「ゲーガン神父が児童虐待で逮捕」という小さな記事でした。
バロンは、この小さな記事をもっと深掘りする事で、大きな金鉱(大スクープ)を探り当てられると予感し、スポットライトのリーダーであるウォルター・ロビンソンに、この事件を深掘りする事を求めます。
バロン編集長は、この町からすればよそ者で、かつユダヤ教徒の独身者でした。スポットライトの記者の面々は、この町が地元であり、家族や友人に敬虔なカトリック教会の信徒がいます。そして敬虔な信徒は教会の権威と家族や信徒の結束を何よりも重んじます。そのためスポットライトの記者たちは、バロン編集長とのそごを感じながら、また、家族や友人への負い目を覚えながら、スクープのための調査を開始します。
しかし、調査を開始してすぐに、記者達は、大変な不正、不義が、この事件の深層を覆い隠している事を知ります。
ゲーガン神父の児童虐待は30年に渡って行われていました。何十人もの児童がその魔の手に掛かっていながら、ゲーガン神父は何一つ処罰されずに、教区を渡り歩いていました。
虐待事件を知る者は、大勢いました。被害者本人、その家族、それぞれの事件に立ち会った警察、検察、弁護士、学校の責任者、そして教会の責任者。事件はすべて司法の手には委ねられず、教会の弁護士が家族を言い含めて示談にし、事件そのものがなかったものとされ続けてきました。そして新聞社もその一つでした。何年も前に、事実を知る者が深い罪から逃れる為に、新聞社に証拠とともに告発状を送ったものの、新聞社は何も行動を起こさなかったのです。
彼らの主張は、「少しの悪の為に、多くの善は捨てられない」という、組織を守る事、権威を守る事、それによって得られる利益を守る事の為に、彼らからすれば取るに足らない人間の犠牲はやむを得ないという、聖書が示す信仰とはとても相容れない、非常に身勝手極まりないものでした。
そして記者たちはさらなる深い闇を突き止めました。児童虐待を繰り返していたのはゲーガン神父だけではなかったのです。記者たちの想像をはるかに超える数の神父が、教会の隠蔽システムに守られながら、何十年も性犯罪を繰り返していたのです。
そして、これはマサチューセッツだけの問題ではなかったのです。カトリック教会によって布教活動が行われているあらゆる国、あらゆる場所で起こっているのです。枢機卿、そしてバチカンの法王までもが隠蔽システムに関わっている疑惑が出てきたのです。
記者たちは、
教会の権威を守るマジョリティから、不敬もの、嘘つき、詐欺師と攻撃を受ける
かつて性的虐待を受け心に深い傷を負い、何年も何十年も苦しみ続けている被害者(被害者達は自らを、苦しみに耐え命を落とす事を選択しなかったサバイバーと呼んでいた)、
被害者の訴えで共に戦う決意をした弁護士、
教会の秘密の療養施設(性犯罪を繰り返す神父を矯正するための施設)で心理療法を30年に渡って研究し、この問題を公にしようとして教会から追放された研究者、
とゆっくりと信頼関係を築きながら、彼らの告白、告発を聞き取りました。
そして、性犯罪を起こす、何度も繰り返す性犯罪者の神父の標的となる子供のタイプを掴みます。
「信心深い地域の子供たちを選ぶ
罪悪感とか羞恥心が強い子供たちを選ぶ
寡黙な子供たちを選ぶ
貧困世帯の子供たちを選ぶ
父親不在の子供たちを選ぶ
家庭崩壊の子供たちを選ぶ」
そして、母を手懐け、子供を手懐け、何度も犯し続けていたのです。
性犯罪は、神父が教師を務める高校でも、そして神学校でも行われていました。
被害者は男子も女子もいました。
研究者は、教会からの攻撃によって断念した研究結果の公表を記者に託します。
それは次の様なものでした。
「この危機の原因は、聖職者の独身制にある。それが私の最初の発見だ。
禁欲を守る聖職者はたった50%、今はほとんどが性交渉を求めている。
だが、教会の秘密主義が、小児性愛者を守る結果になっている。
教会は危機の存在を知っていた。
ルイジアナの事件の後、法王庁の法官トム・ドイルの報告書に、小児性愛の被害者への賠償額は10億ドルになると書いてあった。それが1985年だ。」
記者の調査が佳境に入った最中、9.11同時多発テロが起こります。スポットライトの記者たちも全員、同時多発テロ関係の取材に駆り出され、調査は中断することになりました。
同時多発テロが宗教戦争の色合いを帯びていた事から、アメリカ社会の団結を阻害する様なカトリック教会のスキャンダルは公開出来なくなったという理由もあったかもしれません。これによって、重い口を割って告白してくれた被害者たちは、悲嘆しますが、記者たちにはどうすることも出来ませんでした。
一年が過ぎ、2002年の冬、スポットライトチームは、再び調査を再開し、そして遂に、ボストンを預かる枢機卿が隠蔽に加担した事実を示す証拠の手紙と、ボストンの教区で過去30年の間に性犯罪を犯した神父90名の実名リストを手にします。
そして、2002年12月のグローブ日曜版で、「カトリック教会が長らく隠蔽し続けてきた神父による性的虐待」を明らかにするスクープの第一報が報じられました。
この第一報によって、抗議運動とか不買運動が始まるのではと危惧して、一睡も出来ずに、休日出勤してきた記者たちが目にしたのは、これまで声を発する事ができなかった多くの被害者からの救済を望む電話でした。
***
鑑賞後、私がこの映画から受け取ったのは次の様な事です。
ひとつは、
この物語は、被害者の生々しい告白のシーンがあり、深い心の傷を負った被害者から、私自身が記者の目線で生々しい告白を聞かされている様な錯覚に陥って、心に強い恐れを受けた事です。これからこの映画作品を観る人には、心して観てほしいと思います。
そしてもう一つは、
物語のラストで、困難な末にスポットライトチームによる大スキャンダルのスクープ記事がグローブ紙から出たその朝、これまで誰にも声を発する事の出来なかった多くの被害者や被害者家族から、スポットライトに、次々にその声が電話で届けられるシーンを観て、この大スキャンダルの顛末を事前に調べて知っていた私は、ようやくこれから被害者への本当の救済が始まるんだという安堵感で、涙が溢れてきた事です。
まことに真実に迫る映画作品でありました。
追伸.
今、日本の児童性的虐待事件の象徴的な事件としてセンセーショナルに扱われる様になった、亡きジャニー喜多川氏によるジャニーズ事務所所属の青少年への半世紀に渡る性的虐待事件について、この映画を見終わって、テレビのニュース番組で語られる以上の、深い闇がある様に思えてきました。
疑問点は三つです。
一つは、一人だけの事なのか
二つめは、隠蔽システムは、何を守っているのか
そして三つめは、私たちは、本当に自分の事として考え、正したいと思っているのか
です。
性的被害者の人権、名誉は、二度と犯してはならない。二度殺してはならない。
それを厳守した上で、私たちは本気でこの、陰湿な問題を自分の身近な問題として考えられるのか、正面から向き合う勇気があるのか。そのことを自分に問うてしまいます。