播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年1月8日木曜日

表現の自由

表現の自由が脅かされる、そんな事態が世界で起こっています。

一つは、昨年11月に起こったアメリカのソニーピクチャーズへのサイバー攻撃です。
12月に公開予定であった新作映画「The Interview」、現北朝鮮最高指導者である金正恩をアメリカのテレビクルーがCIAの命を受けて暗殺するというコメディーだそうですが、この映画の公開を阻止するために、謎のサイバー攻撃集団「Guardians of Peace」がソニーピクチャーズを攻撃し、コンピュータに保管された映画関係者の個人記録やメール記録、機密データ、新作映画データを盗みます。そしてソニーピクチャーズに対して、世界中に公開されたくなければ映画の公開を中止せよ!と迫ったのです。

そして二つめは、昨日フランスはパリの中心街で起こった風刺週刊紙シャルリー・エブド本社へのマシンガンによる襲撃事件です。イスラム圏の宗教指導者を風刺する漫画を紙面に掲載し、それがテロリストの「預言者を侮辱した仇」として標的にされ、警邏の警察官2名を含む12名の貴い命が奪われました。

表現の自由は、民主主義や自由主義を標榜する国家においては、保証される国民の権利です。ですが、権威主義がまかり通る、或いは宗教のある部分を尖鋭的に掲げる原理主義、或いは全体主義を掲げる国家やそれに準ずる組織においては、表現の自由などありません。それもまた世界の有り様なのだと思います。

今から75年前に、希代の映画人チャールズ・スペンサー・チャップリンは「独裁者」というタイトルの映画を撮りました。ヨーロッパ全土を覆うナチズムを、ペンならぬ映画でその本性を世界に訴えました。チャップリンはナチスに命を狙われる危険を承知で、私財を投じ、ヨーロッパの悲劇を、そしてユダヤの民の悲劇を世界に訴え、またヒットラーやムッソリーニという独裁者を酷く扱き下ろしました。
チャップリンは、独裁者批判を、鮮烈に、また命がけで「表現の自由」を行使したのです。

「表現の自由」は、民主主義や自由主義を勝ち得た中で、獲得した人民の権利です。
ですから身体の自由と同様に決して侵害してはならない、侵害されてはならないものです。
ですから、一人の「表現の自由」を認められた者として、今回の蛮行に対して、最大の抗議を表明します。

ですがまた、行き過ぎた「表現の自由」に対しては警報を鳴らします。
「表現の自由」とは、自らの意見や思想・主張を、何者にも束縛を受けずに表現できるという事ですが、ややもすれば他者への攻撃や中傷、また不快感といった暴力の手段と化します。成熟した民主主義や自由主義社会においては、「いたわり」こそ大事です。自らの権利と同じに他者の権利も守らなければならないのです。それが本来の「表現の自由」ではないかと考えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿