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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年1月5日月曜日

百聞は一見にしかず

繰り返し他人の話を聞くよりも、実際に自分の目でたしかめてみたほうがよくわかる。
(大辞林より)

正月、Sports Graphic Number Web(スポーツのウェブ雑誌)に
-なぜ練習ばかりで見学しないのか。松山で考えた、日本野球の「盲点」-
http://number.bunshun.jp/articles/-/822320
という記事が掲載されていました。

翌年の国際試合に備えて行われた大学日本代表チームの選考会、その様子を見聞した記者の記事です。
全国から集合した将来のスター候補選手50名が、最高のコーチの指導を受けてさらに高みの選手へと変貌していく。その様がグランドのあちらこちらで見られるのです。それは壮観な眺めです。ですがスタンドに目を向けると、この様を見て志を立てて欲しい、次代を担うべき中高生の野球小僧の姿が一人もいない。

記者は愕然とします。と同時に怒りさえ覚えます。
「そんなことより練習です!」といわれる監督さんへ
近隣の中学や高校に、意義深い催しを広報しない学生野球の機構へ
そして、
次代の野球小僧たちへ

本物を見ること、良いお手本を間近で見ること、その価値は一日の練習をはるかに超える。
感動体験です。

司馬遼太郎「竜馬がゆく」第一巻の「江戸へ」の章に次の行があります。
妙なことから、江戸への道中を共にすることとなった盗賊寝待ノ藤兵衛との会話です。
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(ほう)
眼が洗われるような思いがした。
右手に遠州灘七十五里の紺碧が広がっている。左手には、三河、遠江、駿河の山々が、天の裾を濃淡の青で染め分けて重なっていた。
しかもこの壮大な風景には主役がいた。富士である。竜馬にとって初めて見る富士であった。風にも堪えぬほどに軽い藍色の紗を引いているようであった。
「藤兵衛、この景色を見ろ」
「へい」
藤兵衛はつまらなそうに周りを見た。二十年来、この海道を何度も往来している寝待ノ藤兵衛にとって、この眺望は珍しくも何ともない。
「気のない顔だなぁ」
竜馬は、なおも風の中で眼を細めている。彼の若い心には、潮見坂の海と山と天が、自分の限りない前途を祝福してくれているように思えるのである。
(富士は木花咲耶姫[こはなさくやひめ]の化身だというが、江戸へゆく俺のために一段と粧いをこらして待っていてくれたに違いない)
「藤兵衛、一向に驚かぬな」
「見慣れておりますんで」
「若い頃、初めて見た時は驚いたろう。それともあまり驚かなんだか」
「へい」
藤兵衛は、にが笑いしている。
「だからお前は盗賊になったんだ。血の気の熱い頃に、この風景を見て感じぬ人間は、どれほどの才があっても、ろくな奴にはなるまい。そこが真人間と泥棒の違いだなぁ」
「おっしゃいますねえ。それなら旦那は、この眺望を見て、何をお思いになりました」
「日本一の男になりたいと思った」
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また、
たとえ壮大な風景では無くても、
普段の練習や試合の中で、他校と関わりを持つ時に見ることができる
アップの風景、
練習の風景、
試合中の風景、
グランドでのたたずまい、
グランドの外での佇まい、
その中に、己を一層向上させる、チームを一層向上させる
ヒントがちりばめられている。
それを見出す「一見」力も、大切にして欲しいと思います。

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