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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年1月7日水曜日

映画「ぽっぽや」を観ました。

高倉健さんの追悼番組は続いています・・・
昨日「ぽっぽや」(1999年日本映画)を観ました。
良い映画を見終わった後は心が満たされる感を覚えますが、この作品もそうでした。

昭和の時代にいたであろう、仕事に人生を捧げた男の物語です。
そこに、儚げな不思議が絡み合い、男の最晩年に色彩を与えていました。

あらすじです。

男は、山間の町、幌舞にある終着駅の駅長です。
幌舞は、その昔炭坑があって賑わいのある町でしたが、鉱山が閉山となってから、どんどんと寂れていきました。そして今の幌舞駅には、日に数本の一両編成のディーゼルカーが到着するのみで、乗降客もほとんどいません。
そんな幌舞駅を、男は律儀に守っています。雨の日も、吹雪の日も、ホームに立ち続けて、ディーゼルカーを迎え、乗降客を迎えます。

男は、父の代からの鉄道マンです。父の姿に憧れ、父の言葉「戦後日本の復興を、D51が牽引する」を信じて機関車乗りになりました。そして炭坑が斜陽を迎える時代に、機関車を降り、この幌舞の駅長になりました。

男には、静枝という妻がいました。可愛い妻です。二人はとても仲むつまじい夫婦で、幌舞駅を切り盛りし、町の人々ととても懇意でありました。こんな仲の良い夫婦でしたが、長年子供に恵まれませんでした。
でも、十七年目にして初の子供を授かります。女の子でした。二人は、雪のように美しい娘になれよと、雪子と名付けます。

しばらくして、生まれたばかりの雪子が風邪を引きました。
男は、代わりのいない駅長仕事を続けながら、ディーゼルカーに乗って大きな町にある病院に向かう静枝と雪子を見送ります。それが雪子との最後の別れとなりました。
雪子は、快方することなく、町の病院で亡くなりました。
そして、ディーゼルカーに乗って、雪子の亡骸を抱いた静枝が戻ってきました。
でも男は、駅長としていつもと同じに、ホームでディーゼルカーを迎えます。
その姿は静枝には、非情にさえ写ります。

そして又長い年月が経ち、今度は静枝が重い病に掛かります。
男は、代わりのいない駅長仕事を続けながら、ディーゼルカーに乗って大きな町にある病院に向かう静枝を見送ります。窓越しに見るやつれた静枝の姿、それが静枝の最後の面影となりました。男は駅長仕事の為に、静枝の臨終に立ち会うことが叶いませんでした。

そして数年が経ちました。
男は、近く定年を迎える事になりました。
そして幌舞線も、近く廃線となることが決まりました。

正月、
男の長年のぽっぽやの後輩、仙次が幌舞にやって来ます。
仙次は、新年の挨拶と男(乙松)の定年後の就職先を世話するために、酒と肴を携えてやって来ます。
乙松は、仙次の乗るディーゼルカーをホームで待つ合間に、年端のいかない小さな女の子を見かけます。女の子は、町からこの幌舞に里帰りした家族の一人子でしょうか、お洒落な服を着てホームの上を跳ねています。両手に古めかしい娘人形を携えています。それがとても印象的でした。
駅舎に戻ると、古めかしい娘人形がベンチに一人置かれていました。幼子の忘れ物です。
乙松は、仕事が終わった後に、その子を探して娘人形を届けることにしました。

その夜、最終の列車を送り出した後、
乙松は、仙次と酒盛りをしました。
友情という肴は、心地よい酔いを与えてくれました。
ふと気が付くと、駅舎に明かりが灯っています。駅舎には少女が一人たっています。
少女に尋ねると、昼間の幼子の姉で、忘れた娘人形を取りにきたと云います。
少女は十二才の小学生で、近くの寺に里帰りしていると話します。
乙松は、ストーブで暖めた牛乳を少女に与えます。
少女は乙松に、目を閉じると良いことが起こると話します。
乙松が目を閉じます。
少女は、乙松に近づいて可愛い口づけを贈ります。
乙松はびっくりします。
少女は、笑顔で駅舎の外にかけていきます。
古い娘人形が残ります。

翌日、仙次が町の駅に帰ります。
乙松は、仙次をホームで見送った後、駅舎に戻ると若い娘が駅舎にたっています。
一目で少女たちの姉であることがわかります。
若い娘は、十七才で高校生だと話します。コートの下には、仙次も良く知る高校の古めかしいセーラー服を着込んでいました。
乙松は、運転手に振る舞うために用意をしていた汁粉を娘に振る舞います。
娘は、学校で鉄道クラブに所属し、鉄道が大好きだと話します。
気をよくした乙松は、私部屋に置いている長年かけて集めた鉄道のコレクションを娘に披露します。
そして古い話を聞かせます。
古いアルバムも披露します。
そのアルバムの最初のページには、雪子の写真がありました。
その写真には、乙松が娘雪子に贈った娘人形も写っていました。

最終の列車を送る間、乙松は、部屋を離れます。
そして部屋に戻ると、娘が冷蔵庫のあり合わせで、暖かい鍋を作って待っていました。
乙松は、妻を亡くしてから久しく、そんな暖かな鍋を囲んだことがありませんでした。
乙松は、正座しなおし、娘から手渡された深皿を受け取りました。
口をつけ、汁を一口啜ります。
妻の懐かしさが甦ってきます。
そして同時に、深い感謝の気持ちで胸が一杯になりました。涙が一杯こぼれ落ちます。

電話がなります。
乙松は、部屋を出、電話を取ります。
電話は寺の住職からです。
娘雪子の十七回忌を告げる電話でありました。
そして、寺には誰も里帰りしていないことを知ります。

電話を置きます。
乙松の隣に、娘がたっています。
乙松は、それが雪子であることを知ります。
雪子は、乙松を驚かさぬよう、明るく姿を現して、乙松が知らぬ雪子の成長を垣間見せてくれていました。
乙松は、娘を驚く父などいないと云います。
雪子は、長い間、一人で辛い思いをさせたね、と父を気遣います。
そして父娘は、しばし無言で抱き合います。
乙松は目を閉じます。
雪子は、娘人形を携えて去って行きます。

翌日、
ラッセル車を待つ幌舞駅のホームで、乙松は斃れます。乙松は長年病気がちでありました。
それを公にせず、定年近くまで勤め上げてきたのです。
最後までホームを守り、そして一人ホームで亡くなりました。

end

1999年といえば、ファンタジー映画の再興の年でした。
洋画では、ハリーポッターシリーズが始まり、指輪物語も実写化されました。
文字で綴られたファンタジーの物語を、最先端の映像技術で魔法の世界を映像化しました。
それはめくるめく世界で、すっかり虜にさせられました。

でも、文字で綴られたファンタジーを、文字で綴られたままの、どこにでもある風景のままで、第一級のファンタジーに仕上げた映画を過去知りませんでした。
この「ぽっぽや」は、そんなまさに文字のままに綴られたファンタジーでした。

魅せられました。

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