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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2011年3月1日火曜日

高砂南高等学校 29回生卒業式 唱歌斉唱、校歌斉唱

平成23年2月28日(月)、冷たい雨が降るこの日、
高砂南高等学校 29回生卒業式が、厳粛に、粛々と行われました。

唱歌斉唱では、『仰げば尊し』の一番、三番が歌われ、
『蛍の光』は一番、二番が歌われました。
そして、最後に全員で校歌を斉唱し、卒業式は万感の内に閉式となりました。



『仰げば尊し』

(1)仰げば 尊し 我が師の恩
   教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
   思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
   今こそ 別れめ いざさらば

(2)互(たがい)に睦し 日ごろの恩
   別るる後(のち)にも やよ 忘るな
   身を立て 名をあげ やよ 励めよ
   今こそ 別れめ いざさらば

(3)朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
   蛍の灯火 積む白雪
   忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
   今こそ 別れめ いざさらば


唱歌『蛍の光』

(1)蛍の光 窓の雪
   書読む月日 重ねつつ
   いつしか年も すぎの戸を
   開けてぞ今朝は 別れゆく

(2)とまるも行くも 限りとて
   互みに思う 千万の
   心のはしを ひとことに
   幸くとばかり 歌うなり

(3)筑紫のきわみ 陸の奥
   海山遠く へだつとも
   その真心は へだてなく
   ひとえに尽くせ 国のため

(4)千島の奥も 沖縄も
   八洲のうちの まもりなり
   いたらん国に いさおしく
   つとめよわがせ つつがなく


『兵庫県立高砂南高等学校』校歌
作詞 馬場鉄夫
作曲 和田 正

(1)かずかぎりなき 波の秀の
   播磨灘をぞ 前に見て
   強穀の心 培いつ
   山なみはるか 稲毘野の
   おだしき空に 清明の
   心を養い 来りたる
   南、南、高砂南

(2)豊旗雲の なびく見て
   加古のみなとの 夕風に
   壮士の意気を もたん我
   いにしえ今も 稲毘野の
   色とりどりの 草のさま
   みやび心を 持たんかな
   南、南、高砂南

(3)心を磨き 技を練り
   尾上の松を 友として
   固きみさおを 学ばなん
   心こぼしき 高砂は
   我がふるさとぞ 君とみや
   はばたく空に 光りあれ
   南、南、高砂南


『仰げば尊し』そして『蛍の光』は、私の時代は、定番でした。
そのメロディは、哀愁を帯びつつも、凛とした気持ちにさせてくれます。
『仰げば尊し』について、
「Song for the Close of School」という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』に収録されていた事実を、桜井雅人一橋大学名誉教授が2011年1月に発見されました。同書が基本的に初出の歌曲を載せていることと、旋律もフェルマータの位置も同曲と同一であることから、恐らくこれが原曲であろうと思われます。
「蛍の光」は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」を原曲としたことはよく知られています。
(以上、ウィキペディア百科事典からの引用です)

歌詞は、戦前に付けられたもので、『仰げば尊し』は師崇拝甚だしく、また『蛍の光』はお国のためと言わんばかり、ということで、戦後、特に最近では小、中学校ではほとんど歌われなくなりました。
あらためて歌詞を読むと、『蛍の光』第四番などは特に時代錯誤で、歌われないのは当然と思います。

ただ『仰げば尊し』は、ここまで尊べる師に出会えたらどんなに幸せか、と思います。
そういう師のもとで、学び、励み、そして旅立つ時に、この歌を捧げられたらどんなに素晴らしいか、と思います。

卒業生一人ひとりに、恩師が点された燈火がいつまでも輝き続けることを願います。

長男遼太郎の卒業式に、生徒たちの晴れやかな船出に、立ち会えたことに感謝一杯です。

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