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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年7月22日日曜日

先祖の記憶


昨日父方の従兄弟頭の兄さんが亡くなったとの連絡がありました。
そして今日は通夜でした。

通夜の後、私の兄とともにしばし喪主のはとこと談笑しました。
彼らの祖父さんがどんな人であったか、また曾祖父さんがどんな人であったかという話をしました。
『彼らのお祖父さん』は、父の兄です。父とその兄の関係を端的に表した一枚の写真が家に残っています。
その写真は戦前(もしくは戦中)にどこかの写真館で撮られたもので、軍服に身を包んだ二人が並んで写っています。
叔父は陸軍で、父は海軍でした。
叔父は軍服をきりりと着こなし背筋を伸ばして真っ直ぐ前を向いています。
父は叔父の左隣で襟を開け、少し砕けた様子で写っています。
そう、しっかり兄さんとやんちゃな弟、という風采なのです。

叔父はまさにしっかりした人でした。商売人で折り目の厳しい人でした。
でも私の父は、やんちゃとはほどとおい、口数が少ない、けれども躾に厳しい人でした。また余り人付き合いが上手でない人でもあったように思います。字が上手で、手先が器用で何でも作ったり修理をします(できばえはあまり美しくありませんでしたがね)。

タバコは吸うが、酒は口にしない人でもありました。
何故に酒を飲まなかったのか?これは私の長年の謎でしたが、今日一つの答えを知りました。『彼らの曾祖父さん』、つまり私達の祖父さんが原因であったと兄が語りました。

『私達の祖父さん』には会ったことがありません。私が生まれる前に亡くなっていたからです。でも兄は知っていました。幼い頃、大きな腕でだっこして貰った記憶があると語りました。
私に祖父さんの逸話を最初に語ってくれたのは、亡くなった従兄弟頭です。
祖父さんは体躯の立派な人で醤油屋を営んでいました。
後年は店を子供に任せ、読めもしない新聞をもって、日々好きな競馬に通うという、ちょっと砕けた人であったと聞きました。
それに加えて、今日兄が語った祖父さんは、とても大酒飲みであったという事です。
それが為、父は(そして叔父さんも)飲酒を戒めていたと語りました。

この様な、家族親族の歴史を語り合えるのも、葬儀の会くらいになりました。
そして昨日、一番の伝承者が亡くなりました。先祖の記憶はどんどん乏しくなっていきます。

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