昨日の昼、NHKBSプレミアムで
映画『男の出発』(原題:The Culpepper Cattle Co.)1972年アメリカ映画
を観ました。
西部劇です。ですが、1970年代が生んだアメリカン・ニューシネマでありました。
ジョン・ウェインが活躍した古き良き時代の西部劇は、ヒーローがいて、勧善懲悪が物語の基軸でした。ですが、ニューシネマの時代には、それぞれの時代、それぞれの出来事を赤裸々に描き出そうとする野心的な映画が出現しました。
そして、この『男の出発』もそうでした。
カウボーイに憧れた少年ベンは、コロラドまで牛を移動させるカウボーイの一団にコック見習いとして入ります。
他のカウボーイ達は皆荒くれ揃いで、一様に汚らしくそして貧乏でした。唯一の持ち物は、馬と拳銃です。彼らはその日の金と酒を求めて、この苦行に参加していたのです。
ですから、牛追いの道のりは、少年ベンの淡い憧れを打ち崩す出来事ばかりです。
喧嘩が絶えないし、すぐに拳銃を取り出しては決闘だとわめき散らす。
金に汚く、酒や女に飢えて、言葉は卑わい。
それに、彼らを待ち伏せる牛泥棒の夜襲におびえ、
町に立ち寄っても、常に彼らの牛や金品を狙うペテン師に注意を払わなければならない。
ベンは、その行程で、酒を知り、女を知り、下手な軽口を知り、そして暴力も経験します。
ただコック長から、
『カウボーイ(男)は、困った人がいたら立ち上がらなければならない』という粋な生き様も語り聞かされたのでした。
ある町で、町のボスにゆすられ、金と拳銃を奪われた一行は、丸腰のまま旅を続けようとしますが、草原の一角で、ニューヘブンを求めて彷徨うクリスチャンの一行に出会います。クリスチャンの一行は、約束の地を求めて彷徨い、そしてその草原を約束の地と定めて定住しようとしていたのです。
でもその地もボスの暴力の支配地でした。ボスは、出て行かなければ皆殺しにするといいます。カウボーイの一団は、そんなクリスチャン一行を置き去りにしようとしますが、ベンは『自分が立ち上がる時だ』と悟って、一人残ります。
そんなベンの純な心にほだされたのか、旅の過程でベンと親しくなった荒くれ男達が引き返し、ベンと共に銃をとり、ボス達と銃撃戦を繰り広げます。
そして、一人また一人と倒れ、最後ベンだけが生き残ります。
惨劇に呆然とするベンを横目に、クリスチャン一行は、『血で汚された地は、もはや約束の地ではない』と、屍をそのままに残して、この地を去ろうとします。
ベンは、クリスチャン一行を脅して、仲間の葬儀を行わせ、そして最後、一人荒野の向こうに旅立ちます。
end
大人になるということは、夢を実現させる時であると同時に、大人社会のさまざまな悪戯にも出会い、そして理不尽さにも出会います。ベンの仲間の非業な最後と、クリスチャン一行の無情さは、まさにそうであったと思います。
ベンはこの後、どうなるのでしょうか?映画では描かれません。でも私は想像します。ベンは漸く望んだカウボーイになったのだと。
彼は、命を投げ出す、最高に高揚する人生のクライマックスを求めて荒野を彷徨うのだと思います。
クリント・イーストウッドやロバート・レッドフォードという大スターは出ていません。名も知らぬカウボーイが、汚れて疲れ切った様子で、草原の苦行を続けます。乾いた空気と美しい風景、そして時折流れるハーモニカのメロディに、ただただ切なさを憶えました。
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