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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2014年10月17日金曜日

北脇丁 奉納地舞

本宮の奉納地舞は、本殿前と管公前(菅原道真公碑文前)で行われました。
一本松連中のカンちゃんと輪の一番前に陣取り撮影しました。
でも両手を突き上げたままの30分近くの撮影は、まるで道中舞を何番を連続して舞い続けるが如く、とても過酷でありました・・・

管公前では、太鼓と対面の位置、練り場でいえば後ろからの撮影となりました。
耕太郎ははじめて一番の舞を任されたのですが、青年団の先輩の声援に励まされ、後ろから見ていても、楽しんで楽しんで舞っているのが伝わりました。
北脇獅子舞の名物ひょっとこは敦基が演じました。二番での登場では、勢い余ったユーモラスな演技で舞台を笑いに包み、その後の登場では軽妙さで毛獅子を見事に誘導しました。見事な花さばき、お見事でした!

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