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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2022年2月27日日曜日

夜と霧の恐怖支配に抗う

 ユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクルが、ナチス強制収容所から生還した後に、その体験を綴った著書「ドイツ語タイトルの日本語訳は『それでも人生に然りという:ある心理学者、強制収容所を体験する』1946年出版」の邦題が『夜と霧』です。

1956年にドクター・フランクルの友人であったドクター霜山徳爾が、この邦題で邦訳本を刊行した時、その本文の前説の中で、ヒトラー率いるナチスがホロコーストでヨーロッパを恐怖に陥れる前夜にドイツ国民に行ったおぞましい「夜と霧」作戦の様子を記していました。

ヒトラーがナチスに命じた「夜と霧」作戦とは、ナチスへの反抗者、抵抗者、政敵、そしてナチスに批判的な市井の人々、ナチスが不適合者の烙印を押した性的マイノリティー、障害者までをも、誰の目にも映らないようにしてさらい、殺害し、行方不明者に仕立て上げる事でした。そして、きっとナチスの所業に批判的であった大多数の人々は、その得体の知れぬ恐怖で沈黙したのだと思います。それがヒトラーの真の狙いであったのだと思います。

しかし、ロシア連邦の独裁者となったウラジミール・プーチンは、ウクライナ侵略に反対の声を上げる多くのロシアの人々を、世界の人々の目の前で弾圧するという暴挙まで晒しています。

ヒトラー以上の狂気を覚えます。

第二次世界大戦以後、民主政治の団結のもと、繁栄を享受してきた先進国は、1989年、或いは2001年を曲がり角として、そのどの国も全てが、おごりにより、経済的な停滞や衰退、また民主政治の弱体化に直面しています。

軍事と資源の保有大国であるロシア、そして驚異的な経済的発展を遂げた軍事大国である中国は、今、弱体化に直面する民主国家が築いてきた国際秩序を破壊し、ロシア、或いは中国を覇権者とする秩序を国際社会に広げようとしています。

しかし、それを真に求めているのは、ほんの一握りの、ほんの一握りの独裁者だけです。ロシアの大多数の市井の人々も、中国の大多数の市井の人々も、100年前、50年前の無垢で無知な状態に置かれた人々ではありません。他国の人々も同じ人間、血の通った人間、共に歩むべき人間であることを知っている人々です。

本当の殺戮者は、サディストだけです。サディストでないものが殺戮に加担すれば、自らを業火に焼べることになります。兵士たちは、その事を知るべきです。自らに問うべきです。

そして、私たちは、私は、

暴力に屈しない、絶対に屈しない

ウクライナで苦しむ人々と、ロシアで苦しむ人々と、共に生きる

そして、命を賭さなければならない時が来れば、命を賭す

このことを決意しなければなりません。


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