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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2024年4月22日月曜日

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)”

先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。
ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、まことに今、私たちが直面している危機にも通じる恐怖を描いて見せてくれました。
ただ映画館は、新作コナンが上映される大スクリーンには、家族連れや若者たち、子供たちが大勢集っていましたが、今作が上映される小スクリーンには、私と同年代のシニア世代がちらほら入っている程度の有り様で、できれば、家族連れや若者たち、子供たちの多くにも今作品を観てもらい、感想や内容、疑問について会話し、私たち、貴方たちの未來を左右する危機について、自分事として関心を持つ機会にしてほしいと老婆心ながら思わずにはいられませんでした。しかし、この映画はレイティングがR15+なんですね。実際に鑑賞していて、生々しい情事の様子や情事の後の女性の裸体が、都度、緊張感が漂う詰問会の場面に何度も差し入れられて、そのあまりの唐突さに戸惑うと同時に、気恥ずかしい気持ちにもなりました。ノーランの意図は理解しますが、全年齢、少なくとも12歳以上鑑賞可能な表現に出来なかったものかと、その点が唯一のマイナス評価となりました。

冒頭の”nearly zero”は、オッペンハイマーが開発部門で指揮をとったマンハッタン計画(濃縮放射性物質の核分裂反応を利用した原子爆弾の開発)の最終段階となる1945年7月16日に実施されたトリニティー実験(人類史上初となる原子爆弾の爆発実験)で、オッペンハイマーたち理論物理学者が理論方程式で導いた、濃縮された核物質の核分裂反応が自然界に存在する核物質の核分裂反応を誘発する確率の数値です。演算上zeroでないということは、トリニティー実験が導火線となり地球が太陽の様な巨大な火球になる可能性がzeroではなかったということを示しています。
翌日7月17日からポツダムで始まるアメリカ、イギリス、ソヴィエトの3カ国首脳による第二次世界大戦後の世界地図と戦後処理を決定する会談で、すでに始まっていた冷戦の敵国ソヴィエトの首脳にアメリカの圧倒的な力の保持を明示することで、戦後の世界地図をアメリカの思い通りに描くためには、是が非でもアメリカの為政者は原子爆弾が必要でした。
このアメリカの為政者の身勝手な理由だけで、計算上”nearly zero”の人類初の核爆発実験は、ロスアラモスという秘密の原子爆弾開発研究所に集う科学者と軍人、政府関係者の内々が見守る中で実施されたと、ノーランは粛々と行われたトリニティー実験当日の様子と、夜明け前の闇夜を裂く巨大な火球、その火球から数十㎞先まで放たれる、射すもの全てを焼き尽くす光と立ちはだかるもの全てを吹き飛ばす爆風で、その成功を描きました。

しかし、ノーランはエピローグで再びオッペンハイマーの悪夢として”nearly zero”に言及します。
アメリカの原子爆弾開発は、理論物理学の先進国であったドイツで、ナチスが原子爆弾の開発に着手したというニュースに脅威を覚えたドイツからの亡命者で希代の理論物理学者であるアインシュタインが、時の大統領ルーズベルトに開発に着手する進言書を送った事が発端という話があります。映画でもこの点が触れられていましが、しかしナチスは、原子爆弾開発を中断或いは中止して、弾道ミサイル開発を推し進め、第二次世界大戦中にV2ロケットを実用化し、ロンドンに向けて発射を成功させていたました。オッペンハイマーは知り合いの戦闘機パイロットから、戦闘機よりも速い速度で火花を吐きながら飛んで行く幾つもの物体の光跡を目にしたことを聞いて、その事実を知っていました。
オッペンハイマーの悪夢は、核兵器保有を隠さぬ超軍事大国を筆頭に、1945年から79年を経過した現在、十数カ国が核弾頭搭載大陸間弾道ミサイルを保有するに至っており、その多くの国が、現在、実際に戦争を行っていたり、或いは何時発火してもおかしくない紛争の火種を抱えている状況です。万一にも、一つの核弾頭搭載大陸間弾道ミサイルが発射されれば、自動的に反撃の核弾頭搭載大陸間弾道ミサイルが発射される仕組みとなっていて、”nearly zero”と理論物理学者が計算した核兵器による地球の火球化は、今まさに現実の危機となったと、ノーランは描いていました。

オッペンハイマーは、裕福なユダヤ人家庭の出の、いわゆる天才的な頭脳を持つ非常に上昇志向の高い人物であると同時に、アンナ・ハーレントの『責任と判断』を読んで、100年前の貴族や富裕層が背徳に惹かれていた事を知り、オッペンハイマーも、アメリカ社会に反する共産主義に興味を持ったり、またキリスト教やユダヤ教の戒律に反する行為、姦淫の行為に耽るといった、精神的に不安定さのある人物であったと想像します。そういう人物であったから、共産主義に傾倒する精神科の女医との情事に耽った過去がありました。
オッペンハイマーは、アメリカ市民から『原爆の父』ともてはやされた絶頂期に、トルーマン大統領と面会し、原爆よりもさらに破壊力のある水爆開発に異を唱えた事で、アメリカ政府はオッペンハイマーを共産主義者のスパイという嫌疑を掛け(全くの冤罪)、彼の名声を奪い、社会的な抹殺を図ります。その重要な証拠としてくだんの過去が利用されました。
オッペンハイマーを陥れたのは、原子爆弾投下を政治利用した張本人であるトルーマン大統領であり、オッペンハイマーに変わって水爆開発を担う事になる同僚であった科学者であり、オッペンハイマーに恥を掻かされたたたき上げの政治家でした。彼らは、オッペンハイマーの口を封じる為、或い我欲の為、或いは妬み、怨みのために、オッペンハイマーを裁判ではなく、非公開の詰問会で責め続け、彼を精神的に追い込みました。くだんのふしだらな幻視はオッペンハイマーの苦しみの具象でありました。

最後に、映画の中での日本への言及について、
東京大空襲で、一夜にして14万人が殺されことが、原爆の開発を中断しようと立ち上がるロスアラモスの科学者の中で話されていました。要は、原爆開発競争の対抗馬であったドイツはすでに降伏し、残る日本も戦争を続ける戦力も体力もなく、国内は全国津々浦々まで空爆され廃墟と化しつつあることを、アメリカ人はニュース等で知っていたのだと思います。誰の目にも、思考にも、日本に原爆は必要でないことは明白でした。しかしトルーマン大統領だけは、新たに始まった冷戦の敵国ソヴィエトを黙らすために、原爆投下というパフォーマンスが必要だった。その為に原子爆弾は投下され、そしてヒロシマでは十万人を越える市民が、ナガサキでは7万人を越える市民が、原爆の一撃で瞬時に殺され、そして翌日から現在に至るまでに重度の火傷や怪我で、そして原爆病を発症して、20万人以上の人々が長い苦しみの末に死んでいったのです。
その惨劇を伝聞でしったオッペンハイマーは、自分の手が血で染まっていると表現し、後悔に打ち震えます。ただ、誰も惨劇の実際の様子を見た人など生存していません。B29から投下された原子爆弾が上空500mで炸裂し、爆心地点から1㎞圏内を一瞬で焼き付くし、4~5㎞圏内を光線と爆風で破壊し尽くしたのです。
ノーランは賢明でした。死者への冒涜でしかないヒロシマとナガサキの惨劇を映像化しませんでした。私はノーラン監督の真実に迫る映像作家としての矜恃に、最高の評価を与えたいと思います。

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