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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月23日水曜日

『2011』

気の早い話ですが、『2011』は、将来、どの様な年であったと記録されるでしょうか、また、記憶されるでしょうか。

昨年末から中東諸国で起こった民主化運動。発端はチュニジアです。
中東やアフリカの世界地図を見れば、その国境線の異様さに気づくでしょう。他の大陸では、山河や湖、海という地形が国境線を成しています。しかし、中東やアフリカでは、定規で線を引いたように、緯度・経度で分断されています。植民地時代の名残りです。

第二次大戦以後、植民地は独立し、独立国家の体は成しましたが、実際は傀儡政権、偏狂的な民族主義、原理主義、そして独裁政治が支配し続けていました。日本にいると見えない、理解できない現実です。

しかし、世界中に広がるインターネット、そして『YouTube』(動画サイト)、『Twitter』(個人が発する短メッセージ)という個人が発信し、社会が共有するソーシャルネットワーキングの普及によって、独裁者が利益を独占し、多くの民が人権さえも奪われている現実を白日の下にさらした結果、各国の民衆から自然発火的に民主化運動に火がつきました。

チュニジアでは23年間続いた政府が倒れました。この革命はチュニジアの代表的な花『ジャスミン』から、『ジャスミン革命』と呼ばれるようになりました。

今回の民主化革命は、富を独占し続けたい独裁層と富の分配を求める民衆との戦いです。

チュニジアの民主化革命は、中東、アフリカ各国に広がりました。
エジプトでは、2月に、約30年間国を支配し続けたムバラク政権が倒れました。
また、立憲君主制(王制が政治と距離を置く)を敷く王制国家で民主化運動が広がっているのも特徴でしょう。その一つが、日本でもなじみ深いカタールです。

中東諸国は産油国が多く、絶対君主制(王制が絶対的な権力を掌握する国家)を敷く王制国家も多く、国民も富を享受できることから比較的安定した国家体制を維持し続けています。しかし、その裏では大量の外国出身労働者が国のライフラインを支えているのが実態であり、しかも彼らの権利は非常に弱い。いつまでも国民、ゲスト(外国出身労働者)といった階級構造を見直さなければ、近い将来、大多数のゲスト、つまり弱者による地位向上という気運が高まり、民主化とは少し違った運動、革命が起こる可能性も考えられます。

イランは現在、宗教上の指導者が最高権力者となり、戒律の厳しさが、民主化運動を拒んでいます。ただ、中東の中でも特に長い歴史を持ち、文化や社会も高度な発展を遂げています。この様な高度な社会では、常に高学歴者が進歩的な、或いは多様な考えを社会に生じても不思議ではありません。その都度、封じ込めをしたとしてもいつか押さえが効かなくなります。
イランの様な大国は、内政も外政も、もっともっと開かれるべきだと考えます。それが、より良き指導者の取る選択だと思います。

リビアを事実上50年以上も支配し続けてきた、日本では一般的に『カダフィー大佐』と呼ばれる革命家は、個人の保身のために、狂気的な権力を振りかざして、同じイスラム教信者をも大量虐殺したりと、『砂漠の狂犬』そのままの無法の限りを尽くしてきましたが、今回の民主化運動で、ようやくその終焉迎えることでしょう。
しかし、その最後のあがきも惨い。アフリカの貧しき諸国から大金という餌で傭兵を募り、リビア国民を無差別に殺戮するという暴挙に出ました。アメリカを中心とする国連軍は、湾岸戦争時と同様に、首都トリポリ等を空爆し、短期戦でリビアを制圧しようとしています。

以上が、『2011』年初頭からこれまでに起こった中東諸国での民主化運動の動きです。

ただ、この民主化運動は、インターネット社会に属することの出来る、一定の所得が得られ、インフラもそれなりに整備された国家で行われている事実を忘れていけません。
内戦に明け暮れる地域や貧困国、国民・人民が絶対的な管理下に置かれた国では、国外はもとより国内の真実さえ、知る由もできないでしょうし、運動を起こす勇気も体力もないに違いありません。

また、今回の民主化運動で革命に勝利した国民が、本当に民主的な国家を建設できるかは、民主主義の先進諸国が建国に際して、その国情にあった援助がどこまでできるかにかかっていると考えます。

それが成したならば、20世紀中期の『植民地解体』についで、21世紀初頭の『中東諸国の民主化』が、将来、歴史に刻まれることでしょう。

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この様な大きな世界情勢の変化という渦中をしりめに、
世界中がかつて経験した事のない大震災、大災害が日本を襲いました。マグニチュード9.0、強振、強大津波は数限りない町を人命を一瞬に奪いました。そして、地震のエネルギーは、世界最高水準といわれた日本の原子力発電所を壊滅させ、さらには人智を越える災害がまだ、いつ起こってもおかしくない状況です。

大震災が発生した3月11日から今日で2週間です。
未曾有の災害は、死亡者、行方不明者を含めた数が約3万人。被災者は30万以上。まだまだ全貌は明らかになる筈など無く、救助・救命は今も続いています。
原発の問題は、未だ解決の道半ばですが、原発問題がこれ以上の大惨事を引き起こさない様、懸命に修復作業が続けられています。
ライフラインも徐々に復旧されているようです。

しかし、日本の中枢、大東京を擁する関東地方のエネルギー枯渇問題は、この先、最悪一年間、あらゆる社会生活に影響するといわれています。復旧・復興に約一年、巨額の費用も必要ですが、24時間眠らない経済システムが張り巡らされた地球の中で、沈滞化した日本がさらに停止・停滞によって悪化するのは必然ですが、その様な事態を、傍観するか、別の方法で攻めるか、しっかりと議論し新しい社会システムの構築に向かうか、政治が政治屋ではなく、国民の代表として民意、審判を仰いで、進むべき道を選択して、勇気を持って先導する必要があると思います。

日本が、未曾有の大災害から復興を果たしたならば、それは20世紀において、戦後復興のモデルとして、多くの戦災を受けた国家から希望と星と見なされた日本の再来となります。

ただ、戦後復興は日本だけの力で成し遂げたわけではなく、世界銀行から多額の復興の為の融資を受け、50年代は朝鮮戦争による外需、そして60年以降は日米安保によって経済一本槍で成長できた、ということを忘れてはならないし、もう二度と同じ真似はできません。

戦後の廃墟から、後のソニーをホンダを生み出した、卓越した技術者であり経営者であった盛田昭夫や本田宗一郎のような、仁と術に長けた指導者の育成と発掘、そしてその様な卓越した人物に日本の復興リーダーとして先頭に立って、日本人皆で歩む。
それが、理想であるし、そうでなければ復興は覚束ないと考えます。

自然災害は、予測などつきません。如何に過去の記録に基にして、最高の技術で強固な砦を築いたとしても、それ以上の力が働けば、砂城の如く脆く崩れ去ります。

私たちは、有史以来、高度な文明を築いてきました。
しかし、この度の災害で、私たちは本来、自然とどう向き合うべきか、見直す機会が与えられたと、感謝すべきです。
自然は美しく、四季折々に恵みを与えてくれますが、しかしまた、一瞬にすべてを奪いもします。
また、自然は、人間の犯した罪、公害、環境破壊そして生態系破壊についても、治癒力・再生力があります。その時間の長さが人間が我慢出来るほど短くないだけです。

私たちは、『自然と共生』などというおこがましい考えは捨て、『自然に生かされている』という、畏れ、慈しみ、そして謙虚さで、自然に向き合うことが求められているのだと思います。


21世紀、私たちは『この地球で生かされている』を知り得た時代として、記憶されればと思います。

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