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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月21日月曜日

震災を食い物にする『悪人』の存在

震災を、金儲けの機会として行動する輩がいます。
まずは、巨悪といってしまえば、身も蓋もないのだが、世界のマネーを支配する投資家です。
震災の後、株価は予想通り、全面安となりましたが、予想に反して(というより私が経済に無知なだけですが・・・)、円は急激に円高に振れました。一時は1ドルに対して76円まで円高になりました。円高になった要因として経済評で論じられているところでは、

(1)他の通貨よりも円が安全
いわゆる『円の安全神話』といわれるもので、これまでの日銀の、消極的な政策が円の価値を上げ過ぎもせず、落とし過ぎることもしなかったことから、『円』は今でも比較的安定した通貨として信じられ、海外の投資家らは、一時避難の絶好の通貨と見なしている。

(2)日本社会が、震災復興のために大量の『円』を必要とする。
火事場泥棒である。不幸を当て込んで、先物取引のようにして、海外で『円』を買いあさっている。血も涙もない、仮想社会のマネーゲームである。

20世紀初頭から、資本家、経営者、労働者(労働者はまた、大切な顧客でもある)の三位が一体となって、産業・企業を振興し、やがて資本主義は20世紀の覇者となりました。しかし、80年代以降、労働の流動性という大義名分によって、労働者の権利が著しく侵され、90年代に入り、株式上場企業では経営者が企業経営のコントロール力を失いました。21世紀に入り、遂には最後の砦である資本家がパトロンの役割を下り、資本主義社会は、農作物を食い尽くすイナゴの大群の如くの投資家、投資集団によって、国境なき無法地帯となってしまいました。

もう一つ、現在、先進国だけではなくBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)も同様に大きな社会問題となっている、労働人口の減少、そして人口の約3分の1を占めようとする年金受給者層の増大、いわゆる人口構造の偏重が、年金給付、その巨額な財源が国費を圧迫し、国力を疲弊させてしまっています。健全な投資先を失った優良な投資家までもが、数少ない危険な金脈に殺到している要因になっているのではないかと危惧します。

戦後復興や新都市建設がそうであるように、派手なハードウェアの建設は目を引きますが、利便性、安全性、運用というソフトウェアの構築や、都市のライフサイクルを見越した長期的な維持・再生計画をないがしろにした都市計画も同様です。いつか耐久年度を過ぎると、急速に疲弊します。すべてが同じ轍を踏んでいるのです。

年金だけでなく、民間の生命保険や損害補償も同様でです。加入よりも解約、もしくは保険金支払い額が増大しています(と新聞を読んでいて感じています)。これでは、正常な保険・補償事業は成り立ちません。そうなれば、事業の縮小や撤退、もしくは、やはり危険な金脈に殺到するしか道がないのかもしれません。

国家の再生、産業・企業の再生には、資本論(偉そうな言葉を使ってはいますが、あらためて言います。経済は無知です。マルクスの『資本論』など読んだこともありません。ただ、NEC時代に受けた社内教育と、ドラッカー著『マネジメント』が私の経済論の骨子となっています)の原点に立ち返って、資本家、経営者、労働者の三位の義務と権利の再定義と一体化を取り戻すことだと思います。
また、血、肉で成り立つビジネスを弄ぼうとする投資家へは、何らかの制約を下す、世界的な法規処置が必要であるとも思います。

そうしなければ、今のままでは、ビジネスは幼稚な仮想ゲームにいつまでも翻弄され続けるでしょう。


そして、善悪を判断して自分を律する事の出来ない、義援金を搾取しようとする様な輩です。
一昔前は、ヤクザな生活に身を落とそうとも、人情、任侠、義侠心を失わず、いつか、この命『弱きを助け、強きを挫く』に捧ぐ、ちょっと健さんの映画の見過ぎ、美化しすぎとお叱りを受けそうですが、そういう面は確かにあったと思います。苦行の先は二手に分かれて、仏の道に進むか、ヤクザな道に進むか、選択が求められます。しかし、どちらの道を選択したとしても、弱き者の庇護者であることには変わりなかったと思うのです。
現在横行している、『オレオレ詐欺』『騙り詐欺』は弱者を食い物にします。こららの輩は、巧妙で、ITを駆使し、芝居も出来る。悪知恵が長けています。しかし、彼らの根底にあるのは、『幼稚』と『身勝手』です。
これらの詐欺も、日本人だけで行っているわけではないでしょう。これも、高学歴社会とインターネット社会が生み出した弊害です。しかし、詰まるところ、日本人が守らなければならない行動規範、モラル教育が、社会で、家庭で、学校で、ないがしろにしてきたツケであります。

ですから、対策はハッキリと言えます。十年くらいのスパンは必要ですが、幼年期から十代までの教育において、しっかり、日本人としての行動規範、モラルを育む事に重点を置いた教育を実践する事、それが重要だと思います。

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