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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月24日木曜日

3/21放送『スタジオジブリ物語』視聴感想

3月21日、久し振りに家族が一部屋に揃って一緒にテレビ番組を観ました
日本テレビ制作『スタジオジブリ物語』です。

結婚して、子供が授かってから、ジブリ以前の作品や初期のジブリ作品をテレビやビデオで鑑賞するようになりました。
90年代後半の作品である
・もののけ姫(1997年)
・千と千尋の神隠し(2001年)
・ハウルの動く城(2004年)
・ゲド戦記(2006年)
・崖の受けのポニョ(2008年)
は、我が子だけでなく、甥っ子、姪っ子を連れだって観に行きました。1990年代当時は、まだ映写室の入れ替え制もなく、満員、立ち見の状態で、幼子を抱きかかえて観賞したり、子供らの座れるスペース(通路など)を確保したり、次回上映時には空き席になると予想される席にへばり付くなど、大変にしんどい思いをしました。

※少し話はそれますが、姫路や加古川の主要な映画館も、現在はすべて指定席、もしくは入れ替え制が取られており、座れないという不都合はありません。ただ、映画の前にトイレに行く、映画中は飲料水を飲まない等、長編作品になるほど、中座しない様気をつけています。そういう意味では、昔の映画館が懐かしく思い返されます。特に平日、映写室に一人ということも珍しいことではなく、ずっといても誰の迷惑にもならないじゃないの。サクラになってあげようか。と映画館の支配人に言ってあげたくなります。
昔、学生の頃は、石川県金沢に住んでいて、週末は、朝から劇場が閉館となるまで、都会では三ヶ月前にロードショーされた作品が三本立て、三回上映が当たり前で、尻の痛みを我慢しながら、三角の牛乳パックとサンドイッチで一日映画館で過ごしたものです。
友人には『小汚い奴』なんて微笑ましくチクリとイヤミを言われたものですが、映画が好き、そして小遣いも乏しい、となれば自然とこの様なスタイルに落ち着いたのでした。

さてさて、おもいっきり脱線してしまいました。本筋に戻りましょう。

宮崎アニメといえば、
・アルプスの少女ハイジ
・未来少年コナン
まさに国民的なアニメでした。
特に、主人公のコナン、ジムシィのバカバカしいほどの超人力は笑えました。
また、ダイス、モンスリーなど独裁者レプカの犬であったものが、やがてコナンやラナ、その他の虐げられた人々と接する内に、人の心を取り戻す、心の変化もしっかりと描かれ、それが物語を単なるSFに終わらせなかった要因であったと思います。
この、『未来少年コナン』は、後の、『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』の作品世界、またキャラクターデザインに大きな影響を与えたと思います。

そして、不遇の時代にあった宮崎駿が東京ムービー新社の誘いで撮った監督第一作アニメ作品が『カリオストロの城』(1979年)です。この作品も公開当初は興行的に成功といえず、さらに宮崎駿を不遇に追いやった様ですが、私はその後、テレビ放映、ビデオ等で何十回となく観ましたが、一度も飽きた、と思った事がありません。いつもラストシーンの銭形警部とヒロイン・クラリスとの会話

銭形 「くそっ 遅かったか!ルパンめまんまと盗みおって」
クラリス「いいえ あの方は何も盗らなかったわ。私のために闘ってくださったのです。」
銭形 「いや 奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です。」

に、慈しみや友情を感じていつも涙がこぼれます。映画のストーリーの面白さ、キャラクターそれぞれの描写、スピーディーな展開、そしてユーモア、すべてが一級品の映画です。

これは、80年代徳間書店制作で作成された
・風の谷のナウシカ(1984年)
・天空の城ラピュタ(1986年)
もそうです。90年代後半の様に、十分な予算が与えられていないため、どうしても
アニメーションとして、ディズニーの完成度に比べて見劣るところはありますが、
これらの作品で宮崎駿は映画監督として不動の人気作家となりました。
しかし、バブル全盛の時代に、宮崎が描いた終末戦後の世界、人知を越える自然の治癒力・再生力、そして人は元来、自然の恩恵を受けて生きるものであり、大らかな生きものであるという、宮崎の人間観は20年以上先を進んでいたように思います。
現代においてリメークして欲しい作品です。

最後に、私のジブリ作品のお気に入り二編紹介して終わりたいと思います。
まずは、『耳を澄ませば』(1995年)
中学生である、主人公雫と聖司が、進路に不安も抱えつつも、まず自分の可能性を試そうとする勇気、そして互いを思いやり支え合う甘酸っぱいほどの清純さ、14歳、15歳にしか出会えない時間を大切に過ごそうとする彼らの日常風景がとても爽やかで、痛々しいほどでもあります。
聖司のお爺さん司朗さんが戦時中ドイツ留学時に持ち帰ったという、猫の男爵人形バロンの眼に埋め込まれたラピスラズリが印象的な光を放っていました。バロンの悲劇はお爺さんの悲劇なのでしょうね。そういう深みがさらっと語られるところが、この物語の良さです。
そして、雫が、聖司の『バイオリン作り』に呼応して自分の可能性を試そうと小説を描こうとする。その彼らの生きる現実世界と、空想世界の入り口に、画家・井上直之さんの『イバラード』の世界が浮遊する。(まさに、ジェームス・キャメロン『アバター』の世界感のもとです)
現実と空想の世界を行ったり来たりする様に見える雫も、実際は現実の厳しさに立ち向かっている、それがこの物語が、ファンタジーではなく、青春物語たるゆえんだと思います。

早朝、イタリアから一時帰国した聖司が、朝焼けが美しい城跡、彼の秘密の場所に雫を連れ出し、『結婚してくれ』と頼みます。そこに、14歳、15歳の少年であっても、独り立ちする男の決意が感じられ、また素直に応じる雫にも、幼さの中にも、大らかさ、力強さを感じました。
ある日常を切り取っただけの映画、映像かもしれませんが、こんな素敵な日常なら、何度でも訪れて欲しい、叶わぬ願いと知りながらも、つい願ってしまう私です。

劇中で流れる『カントリーロード』、演奏は素晴らしいのですが、歌が下手、そこがまた良い。本当に少女の溌剌とした可愛さが描かれた映画でした。


そして、『紅の豚』(1992年)
『飛べない豚はただの豚だ!』一番お気に入りのキャッチコピーです。
舞台は、第一次大戦後のイタリアと旧(現在で言う)ユーゴスラビアに挟まれるアドリア海が舞台。戦争で疲弊した市民。美しいアドリア海が貧しい領民の悲哀を一層引き立ててます。そして、本作のヒロインの一人、主人公マルコ・ロッソと深い関係を匂わせるアドリア海のマドンナ、マダム・ジーナ。そして、イタリア空軍のエース・パイロットとして活躍しながらも、戦後、自らに魔法を掛けて、人である事を辞め、豚の顔を持つ賞金稼ぎに身を落とすマルコ・ロッソ。声優の森山周一郎のニヒルで重厚な声と、トレンチコートにハット、サングラスと、豚であるのに、本当に格好いいのです。
そして、気持ちの良い男たち、空賊と、賞金稼ぎドナルド・カーチス。カーチスは1/4イタリア系のアメリカ人で、将来ハリウッドに進出し、さらには大統領を目指している。まさに、故ドナルド・レーガン大統領がモデルでしょう。日本でもイタリアでも、移民を排除してきた国では考えられない突き抜けた発想です。
カーチスは、空賊をとっちめて賞金稼ぎをする、マルコをたたきつぶすために空賊に雇われる。突然のカーチスの攻撃で、マルコの水上戦闘機は酷く損傷を受けるも一命を取り留め、隠密にミラノの空挺機製造会社『ピッコロ社』で戦闘機の修復、更なるチューンナップを依頼する。
『ピッコロ社』で働くのは、すべてピッコロ社に関係する女性たちばかりだ。
第一次大戦でイタリアが如何に、悲劇的損失を被ったを印象深く描かれているシーンです。
マルコの水上戦闘機の修復・チューンナップを任されたのが、もう一人のヒロイン、フィオ、ピッコロの孫である。才能は祖父譲り、しかし、完成間近、イタリアの秘密警察に嗅ぎ着かれて、テストをせずに、フィオとともに、イタリアを脱出してアドリア海の秘密の島に辿り着く。
しかし、その島は空賊に支配され、危うくマルコは殺され掛けるが、フィオの機転で、空賊主催、アドレア海中のはみ出しものたちが集まって、マルコとカーチスの一騎打ち、一大勝負を賭けの対象のしたイベントが催される。
マルコ、カーチスとも飛行技術の粋を魅せて観衆を楽しませるが、マルコは人殺しをしないという信条によって、結局、空中戦では決着がつかず、今度は浅瀬でのボクシング試合となる。
両雄とも甲乙つけがたく決着はつかぬと思われた矢先、最後は、ジーナとフィオという女性の愛に満たされたマルコが先に息を吹き返して、勝利を収め、勝利の賞金を手にする。

この大騒ぎをかぎつけたイタリア軍が一網打尽にしようと、攻めてくるのを、一足早くジーナが察知して、彼らのお祭りを終わらせる。マルコは、ジーナの空挺にフィオを担ぎ乗せて、カーチスとともに、イタリア軍を攪乱するために飛び立ってゆく。

空挺、水上艇という乗り物が、宮崎駿のお気に入りらしく、彼は、雑紙でも、克明に、この時代の乗り物、町、風景、を克明に描いている。彼にとっては、その時代がノスタルジアを感じる世界なのでしょう。

最後の最後、おまけとして、この『スタジオジブリ物語』を観て、一つの疑問が晴れました。
というのは、『となりのトトロ』(1988年)、
サウンドトラックの表紙絵が、トトロとサツキの二人しか描かれていない事について長年、疑問も抱いていました。何てことの無い理由でした。
同時上映の『火垂るの墓』(1988年、高畑勲監督作品)、どちらも60分程度の予定であったのが、『火垂るの墓』がだんだん長くなり、『となりのトトロ』も、エピソードを増やして物語を長くするため、一人っ子ではなく、姉妹(サツキとメイ)にしたとの事でした。
サウンドトラックの表紙絵は、まだ初期ポスターを使用していたようです。
こういうのがトリビアというのでしょうね。

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