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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年4月13日水曜日

『雨ニモマケズ』朗読で、世界の主要宗教代表者が、日本のために祈りを捧げて下さいました。

朝日新聞 平成23年4月13日(水)朝刊『11面国際欄』紙面の中央に、『世界から被災地へ』という見出しの日本のための祈りの記事が掲載されていました。

以下引用-----

世界中の主要宗教の代表者が集まり、東日本大震災の被災者のために祈りを捧げる「日本のための祈り」が11日夜、米首都のワシントン大聖堂であった。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のほぼ全文などが読み上げられ、ワシントン近郊在住のソプラノ歌手・嶋田貴美子さんが「さくらさくら」を披露した。
(ワシントン=勝田敏彦)

以上引用-----

宮沢賢治は、岩手県、現花巻市の生まれで、1896年明治29年)6月15日に起こった『三陸地震津波』の二ヶ月後、1896年明治29年)8月27日に出生、家は厳格な浄土真宗の門徒でしたが、学生時に法華宗系在家仏教団体『国柱会』に入信。以後、病弱な我をかまわず、農業指導や私学の運営と、岩手を理想郷とする夢『イーハトープ』に全霊を傾けました。その仕事の間に、『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』等の多数の童話や詩集『春と修羅』を創作しました。
そして、1933年(昭和8年)9月21日に急性肺炎で死去、享年37歳でした。
(以上、Wikipediaフリー百科事典から抜粋しました)

『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治の死後、遺稿のメモの中から発見された詩です。
現在の中学生は、国語の授業で暗唱させられますね。
韻が踏まれた詩はリズムがよく読みやすく、詩も一つ一つの言葉が心に響きます。
読み終わると、心が洗われた心持ちになる詩です。

青空文庫から引用-----
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card45630.html

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

以上、青空文庫からの引用-----

宮沢賢治が入信した法華宗系在家仏教団体『国柱会』の、『国柱』は、日蓮の三大請願(我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならん。)の一つ「我、日本の柱とならん」から創設者である僧侶・田中智学によって命名された、との事ですが、まさに『我を捨て、周りのために働かん』という、聖人の如くの清廉な意志が詩の一つ一つの言葉から溢れています。

『国柱』という言葉は、キリスト者の私にとっては、ゴルゴダの丘で十字架の刑に処されたキリストを思い浮かべます。キリストは、人の罪の贖いを父である主に求め、その命で人の罪を贖い下さいました。そして、三日目に復活され、天に昇られ主の御座で私たち人を見守り下さっています。

1989年にソ連が崩壊し冷戦が終わった後も、1990年代のユーゴスラビア紛争、湾岸戦争と、人間は、互いの宗教を盾にし、槍にして争い続けてきました。
多くの未来学者は、ユーゴスラビア紛争の後、『次は、東アジアで暴発が起こる』と予言しました。それは、宗教ではなく、『最後の共産主義国の暴発』、朝鮮半島、そして日本までもが巻き込まれる有事の予言でした。
それが2001年9月11日の、アメリカ国内における同時多発テロで一変し、テロリストのいう人類が生んだ『光と影』の戦いに突入しました。この根底にあるのは、搾取し文明を謳歌する者への、奪われ常に命の危険にさらされる者の怒りです。貧富の格差、人権の軽視です。

3月11日、日本を襲った大地震、大災害は、神の雷でも罰でもなく、私たちが地球という巨大な生命体の表層に住を借りる、全くの小さき者である事を、思い起こさせられた出来事でした。

ただ、経済優先、生産性や効率化が優先され、人自身が軽視されてきた事も、強く思い起こさせられました。

大災害は、戦争同様の酷い状況を被災地に与えましたが、私たちは、恨む敵を作ったわけではなく、多くの支援者、友人を得ました。この関係は、この先、何年、何十年、何百年と繋がり続けなければいけない大切な絆、関係です。
もし、神に一つだけ感謝するならば、日本人は孤独ではなく、多くの世界の友人がいて、支援し、見守ってくれる、その事を知り得たことです。


大災害の地で、その昔、読まれた詩『雨ニモマケズ』、聖書にも匹敵するほどの人類愛に満ちた詩が、世界中の宗教指導者の祈りの中で読まれた事に、深い感銘を受けたと共に、
私たち自身も、『雨ニモマケズ』の、『そういう者に、私はなりたい』と強く思います。

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