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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年9月16日金曜日

東日本大震災から半年、日本とアメリカ、二つの悲劇


今年の9月11日が、アメリカ同時多発テロから10年の節目ということで、そのドキュメンタリーを幾つか見ました。
同じく9月11日で、東日本大震災から半年が経過したことになり、『日本とアメリカ、二つの悲劇』を関係付けて報じる特集記事なども読みました。

特に印象に残ったニューズウィーク日本版2011-9-14号CoverStoryの記事要約を以下に記します。
『二つの悲劇で日本とアメリカは何を失ったか』
以下記事要約-----
自由主義を信奉していたアメリカ、しかし9.11がもたらした『恐怖』は、『愛国者法』のもと、政府に生活をのぞき見されようとも『テロ』から『恐怖』からアメリカを守る、という大義がまかりとおる監視社会を招いた。アメリカは『建国の理想』を見失った。
また、『恐怖』をもたらした真の原因を内に問わず、全て外に求めて、姿無き相手との戦争に突き進んでいった。そしてこの10年でアメリカへの怨念は世界中に拡散した。

3.11の未曾有の自然災害は、またこの20年間で疲弊しきった日本を『リセット』し、再興しようという『気運』そして『団結』をもたらした。しかし被災地からまた非・被災地からマスコミが伝える数多くの『美談』によって、半年が経過してもなお復興の目処さえ立たぬ被災地の現実から非・被災地民の関心を失わせた。
また、地震と津波によって破壊された原発が引き起こした放射能拡散という未曾有の環境汚染、そしてこの国難にあってもなお政争に明け暮れる政治に巣くう人害極まりない輩によって、被災地の復興はなおのこと遠いものとなってしまった。
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記者は、日本とアメリカともに、向き合うべき問題を見失ったのではないかと括っている。

日本は、たとえこの大震災が起こらなかったとしても、世界中を巻き込む『時代の大変革』という潮流の中で、船長もおらず帆も舵も失った難破状態を正さない限り、うねりに翻弄されついには沈没、とう最悪のシナリオを歩んでいたと思います。

それともう一つ、
『どじょう内閣』と銘打ってこの9月に発足した野田新政権から速くも放言問題で大臣が一人辞任しました。
鉢呂芳雄議員(当時経済産業相)の放言問題、この最大の罪は発言した言葉に責任を持たなかったことです。鉢呂議員の「福島第一原発の周辺は死の町のようだった」という発言は、重責を担う大臣として『憂慮』と『悲しみ』、そして『復興』への断固たる決意へと続いておればなんらおかしい発言ではなかったと思います。
半年前まで人が営み交差する町があった。しかし今その町には人は立ち入ることが叶わず無人と化し、また家畜であった牛は野牛化し、犬は野犬となっている。
この異常な風景を見て『死の町』と表現できない、それが住民の神経を逆なでするから、と言葉にできない社会こそおかしいと思います。

アメリカがこの10年で監視社会へと突き進み、それが新たなる社会不安を引き起こしているのと同様に、アプローチは違いますが、日本は無関心を装うことで問題を先送りにし、いつかそれが生じる閉塞感で押しつぶされるか暴発するかという、深刻な社会問題に直面すると危惧します。

日本はもう一度3.11に立ち戻り、『今ここにある危機』を日本国民の共通認識とし、ニュースに一喜一憂するのではなく、『危機』や『復興』の定点観測に努力し、まず被災地・被災民の生活基盤を復元し、そして日本全体の新たなるビジョンを議論し、あたらなる日本を再興するという道筋を歩まなければならないと思います。

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