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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2011年9月15日木曜日

甘酸っぱい『初恋』の話


島崎藤村『初恋』の話です。
この詩は、藤村自身の原体験がもとになっているそうです。

七語五語で綴られる詩はとてもリズミカルで、朗々と読むほどに心地よさを感じます。
以下、『初恋』詩です。
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まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ
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因みに、若松甲作曲の節付けで歌うとこんな感じです

でもその解釈となると一意でないところがあり、幾つかの現代訳を読んでみました。
そして、私なりの解釈にしてまとめてみました。
以下、解釈詩です。
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僕はいつも
林檎畑に続く細道をのぼってくる君を
待っていた
君は前髪に花櫛をさしているのだが、
その花櫛の花のようにとても可憐でした

君が
その白くて優しい手をいっぱいに伸ばして
林檎をくれた
僕は薄紅の秋の実、林檎を見ると
あれが初恋の始まりであった事を思い出す

君を見ていて
思わず漏らした溜息が
君の髪に触れてしまった時
甘美な陶酔がおとずれ
僕はめろめろになったものだ

僕はいつも
林檎畑に続く細道をのぼって
君を待っていた
そんな僕の恋心など知る由もなく
『誰が踏み固めたのでしょう』と尋ねる

そんな君が愛おしかったです
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まだ恥じらいをしらない少女に淡い恋心を抱いた、これまた奥手の少年の、それでも逢いたいという切ない気持ちが溢れています。
でも第4節の
...そんな僕の恋心など知る由もなく
『誰が踏み固めたのでしょう』と尋ねる...
いやいや辛いなぁ、と苦笑いを覚えてしまう詩でもあります。


さて、何故に島崎藤村『初恋』を取り上げたといいますと。。。
別にこれっといった理由はありません。
深夜、中秋の月が天上にいて、静かな夜に虫の音だけが絶え間なく耳に届く、そんなゆらゆらとした心地よさに浸っていますと突然に、『秋と言えば切なさやぁ~』と何気に思いました。でも『しんどい、つらい』は幾らでも吐きますが、『切ない』という感情にはとんとご無沙汰です。それでYoutubeで幾つかのキーワードにヒットした懐メロを聴いてみました。ありました、『切ない』という感情にうってつけの歌がありました。それが舟木一夫が歌う島崎藤村『初恋』でした。

いやいや、久し振りに舟木一夫の歌声を聴きましたが、心に染みました。
私の青年期、『初恋』といえば村下孝蔵の歌ですが、もっと遠い記憶を呼び覚ましてくれたのが島崎藤村の『初恋』でした。

エッ私の初恋話ですか、そんな太古の話は覚えていません。。。

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