朝日新聞 平成23年4月27日(水)夕刊の8面に掲載された記事、「『反原発』ソング脚光、インターネット上で話題」という新聞、今も机の上に取っています。
この記事は、「東京電力の福島第一原発事故をめぐり、反原発の姿勢を打ち出す楽曲が話題になっている…レコード会社やラジオ局には『自粛』の動きもあるが、インターネット投稿サイトなどで広がり続けている。」
という前文があって、本文に繋いでいます。
「この国を歩けば、原発が54基/教科書も言っていたよ、安全です/俺たちをだまして、言い訳は『想定外』」
「ずっとウソだったんだぜ/やっぱ、ばれてしまったな/ホント、ウソだったんだぜ/原子力は安全です」
この歌の題名は「ずっとウソだった」。ロック歌手斎藤和義さんのヒット曲「ずっと好きだったのに」をご本人が替え歌で歌われていて、4月上旬からネットの投稿サイトで話題になっているとの事。
また、もう一人、というか伝説のバンド、RCサクセッションの「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」で、ともに1988年のアルバム「COVERS」に収録されていたという。
86年のチェルノブイリ原発事故の影響もあり、反核の姿勢が鮮明だった。リーダーの故忌野清志郎さんは「ラヴ・ミー・テンダー」に「放射能はいらねえ/牛乳は飲みてえ」と日本語歌詞を付けた。
「サマータイム・ブルース」は「人気のない所で泳いだら/原子力発電所がたっていた/さっぱりわかんねえ/狭い日本のサマータイム・ブルース」となった。
20歳の頃、それまで『優しい』フォークに夢中だった私にとって、RCサクセションの『雨上がりの夜空に』『トランジスタラジオ』は衝撃だった。余りにも歌詞がストレートで、それで隠れファンとなっていた。
その後、最近までまったく聴かなかった、というよりも社会人になった頃は、テレビもほとんど観ない生活だった。ただ、新聞で、RCサクセッションのロック曲『君が代』が発売中止になったという記事を読んで、『反骨、ストレートは健在なり』と思ったものだ。
RCサクセッションの先の2曲は、当時の所属レコード会社『東芝EMI』は新聞広告で『素晴らしすぎて発売できません』と表明したとの事だ。タブー(触れてはいけない)があった時代でした。
その後、90年代、2000年代と清志郎さんは、『パパの歌』など、疲労困憊の同世代へのエールの曲を歌っていた。子供達に『父さんは格好いいんだぜぇ、ベイビィ』なんて気持ちで歌われていたのだと思います。
清志郎さんは、反骨の塊であったろうけれど、決して、今、頑張っている人を傷つける様な人ではない、と私は思っています。
今回の未曾有の大震災と津波によって、東日本、三陸で尊い命が奪われ、また原発は破壊され、それは日本の危機管理能力が無いに等しい事、また原発において、想定というものにあぐらをかき、何重ものセーフティ管理を怠っていた事が明らかになりました。
民主党による菅政府も1955年以降で初めて、単独で自由民主党から政権を昨年奪ったばかりで、日本の長きに渡って眠っていた野党が、漸く目覚め、政権を国民の審判で譲渡されたばかり、山積した問題も共に譲渡された中で、内政運営、外交運営ともに、これから新しいシステムを構築し、実践の中で人材を育て、山積した問題を一つ一つ処理する、という矢先の出来事で、その非力さは、一国民として泣きたいほど辛いです。
今回の大震災後の対応だけでも、彼らは、国民に対して『罪』を犯しました。『隠匿』、『説明不足・理解不足』、『鈍重』です。
しかし、日本は政府が支配する国でしょうか。日本は国民主権の民主主義国家です。日本が未曾有の危機に陥ったとき、『黙り』を決め込んだり、『政府』を避難して力を貸そうとしない、野党や在野の権力者、有識者なる者達は、一体何なのでしょうか。
もし、清志郎さんが生きていたら、今、直感で本当の『悪い奴ら』をロック魂で、『ちょけながら(播州弁です)、ふざけながら』糾弾するでしょう。
様々な問題を抱えながらも、今、破壊つくされた町の復興作業に尽力されている人がいるという事を、原発事故の被害がこれ以上拡大しない様、命がけで高濃度の放射能が渦巻く建屋内で修復作業に就かれている人がいるという事を、私たちは一時も忘れてはいけないと思います。
そして私たちは、決して風潮に流されてはいけない、問題に面前にした時には、立ち止まってでも、しっかりと問題を見つめ、考え、学び、そして自分の選択・判断・決意のもとに歩まねばなりません。そうしなければ、いつまでも責任逃れするばかりで、本当に、良い方向に歩む事などできないと思います。
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